外国語教育や外国語との関わり方について考える「Languages」。今回は、2016(平成28)年度より、SFCの総合政策学部・環境情報学部の一般入学試験における外国語科目が多言語化されることに着目する。その背景や意図について、SFC外国語教育の中枢を担い、入試改革にも携わるフランス語研究室の國枝孝弘総合政策学部教授に話を聞いた。
 このSFC入試における外国語科目の多言語化が持つ本当の狙いやSFCの掲げる「多言語主義」、そして“ほんとうの外国語教育”のカタチが見えてきた。

入試外国語 英語に加えて一部をドイツ語・フランス語も選択可能に

7月29日付けで義塾より発表されたSFC入試における変更内容は、従来、英語だけだった外国語科目の問題の一部について、ドイツ語もしくはフランス語の問題を試験中に選択することが可能になるというものだ。
 具体的には、以下の3パターンの形式から1つを選択する。

1 「コミュニケーション英語Ⅰ・コミュニケーション英語Ⅱ・コミュニケーション英語Ⅲ・英語表現Ⅰ・英語表現Ⅱ」
2 「コミュニケーション英語Ⅰ・コミュニケーション英語Ⅱ・コミュニケーション英語Ⅲ・英語表現Ⅰ・英語表現Ⅱ・ドイツ語」
3 「コミュニケーション英語Ⅰ・コミュニケーション英語Ⅱ・コミュニケーション英語Ⅲ・英語表現Ⅰ・英語表現Ⅱ・フランス語」
2016年度SFC入試における外国語科目の選択パターン

この変更を経て、英語に加えてドイツ語もしくはフランス語を選択して受験ができるようになる。

この変更には、以下の二つの狙いがある。(編集部要約)

①外国語の入試科目を多言語化することによって、日本の中等教育において複数の外国語の学習を推進すること。 ②英語だけではなく、それ以外の外国語も高度に使いこなしながら世界を舞台に活躍できる人物の輩出を目指す。

この外国語科目変更のほか、同じく2016年度より新たに「情報」が加わる(2013年12月27日付発表)など、SFC入試改革は社会の注目を集めている。今回は外国語に的を絞ってお伝えしよう。
 以下、國枝教授のインタビューを通して、SFC入試外国語科目の多言語化に込められた意義に迫り、さらに“ほんとうの多言語教育”を探っていく。

入口から「多言語化」 第二外国語を学ぶ中高生を増やす

— 2016年度からSFC入試の外国語科目を多言語化するに至った経緯は何でしょうか?

國枝教授:
 SFCは「多言語主義」を掲げ、英語以外の言語にも力を入れてきました。広い世界を見る上で、学生が自分の学びたい言語をきちんと勉強することはとても重要なことです。彼らが自分の目的に合わせた言語科目を学べるようにと考えてきたのです。
 しかし、その「多言語主義」は入学した後のことです。それ以前の入学試験の段階では「多言語」にはなっていませんでした。そこで、キャンパスの中だけではなく、入試自体も2016年度から多言語化することに決めました。

— 入口から広くしようということですね。

そうです。そして、入口を広くするために考えたことが二つありました。
 一つ目は、英語に加えて、いわゆる第二外国語を勉強している高校生をエンカレッジするということ。いまの高校生で、英語に加えて第二外国語を勉強している生徒は1.4%(約5万人)しかいません。圧倒的にマイノリティーなその子たちを応援したいという思いがあります。

 「英語だけがグローバリゼーションだろうか?」という社会への問いかけ

二つ目は、日本社会へのアピールです。かつて社会に大きな影響を与えたSFCが入試制度を変えたとなれば、少なからず社会に対するインパクトがあるでしょう。「英語をやることだけが、“ほんとうのグローバリゼーション”だろうか」という問いを投げかけるということです。高校生の1.4%しか第二外国語を学習していない国は、実はとても珍しい。母語に加えて、第一外国語と第二外国語を中学・高校から学んでいる国が多数派なのです。お隣の中国や韓国もそうです。
 やはり、日本社会の国際化を考える上で、中高生に英語以外の言語を学んでもらうことが大事ではないか、という社会的メッセージがあります。
 

— 14学則で総環ともに言語科目が必修になったこととも関係しているのでしょうか?

関係していると思います。私たち言語の教員はもちろん、学部長も含めて、やはりSFCの魅力の一つは「外国語」だと考えています。また、SFCの学生がどんな研究をするにせよ、「外国語」と「情報処理」は重要になってくる。研究における足腰を鍛える上でも、「外国語」と「情報処理」は強化すべきだということで、14学則ではこれらに関連する必修を増やしました。
 

 「まずは増やせる言語から」 2017年度以降も多言語化を推進

— 今回、フランス語とドイツ語という言語が選ばれたのはなぜですか?

理想的には、できるだけ多くの言語、すべての言語を導入したいのですが、全言語を一斉に始めるということは現実的に難しい。そこで、まずはできることから始めようということで、ドイツ語とフランス語を導入しました。2017年度以降もさらに多言語化を進めていくつもりで、その先鞭をつけるというわけです。
 ただし、SFCがフランス語とドイツ語に特別な力を入れているということでは全然ありません。単純に、現実的なマンパワーの問題です。例えば、朝鮮語の専任の先生はSFCに一人しかいません。そういう各言語の事情を考慮した結果、2016年度に導入する言語をドイツ語とフランス語に選びました。

複眼的に世界を見よう 「三角測量」の必要性

 研究目的に合わせた言語を選ぶことが必要

— 一般的に外国語と言えば、「とりあえず英語ができればよいだろう」というイメージがありますよね。

はい、とてもよくわかります。しかし、例えば移民研究において、「一体世界の国々は移民の受け入れをどうやってきたのだろうか」と考えたとき、果たしてアメリカが一番良いモデルケースでしょうか。
 その場合、フランスも重要なケースになります。アフリカに多くの植民地を持ったという「負の遺産」もありますが、同時にそのフランスという国が、移民政策をどうやって実施してきたかを知るということは、移民研究に大いに参考になります。移民問題を本格的に研究する際には、おそらくフランス語が必要になるでしょう。
 また、例えばフェアトレードについて研究したいのであれば、ラテンアメリカ地域を欠くことはできません。その場合には、スペイン語が重要になってきます。
 つまり、自分の研究に応じて、その研究対象によって、本当に学ばなければならない言語は変わってくるのです。これが、私たちが英語以外の言語を学ぶ必要があると考える理由の一つです。

 英語だけでは「世界」の情報を得られない

二つ目の理由は、英語自体の問題です。英語を学ぶとはどういうことかと言えば、「英語によって情報を取れるようになる」ということです。しかし、英語によって情報を取れるようになったからといって、それは世界の情報を取れるというわけではありません。やはり、大方はアメリカのものの見方や、アメリカというバイアスの中で情報を取ることが多くなってしまいがちです。

— 母語と英語に加えてもう一つの言語を習得することで、はじめて見えてくるものがある、と。

日本語と英語、そしてもう一つの言語という三点でものを見るということ、これを「三角測量」(文化人類学者川田順造氏の著作より借用)と言います。「三角測量」を行うことで、自分の視野を広げたり、違う見方を得たりすることができます。単眼的なものの見方ではなく、複眼的なものの見方をするのが大切なのです。

 外国語を一つに絞らないという多言語化

大学入試の外国語科目では、英語 “か” フランス語もしくはドイツ語、というように外国語を一つに絞って入試を実施している大学もあります。しかし、SFCが2016年度から実施する外国語科目はそうではありません。英語の問題のなかから、“一部”をフランス語やドイツ語の問題からその場で選んでよい、というものです。
 僕たちがやろうとしてることは、「英語じゃなくてフランス語ができる」「英語じゃなくてドイツ語ができる」という教育ではありません。これでは、やはり第一外国語しかやっていないことになる。
 僕たちは、外国語を二つ勉強することを薦めています。日本の現状に即して言えば、「英語ともう一つ」です。なにも英語をやらなくてよいということではありません。でも、「英語だけでは世界を見られないから、もう一言語やろうよ」ということ推奨していきます。
 

誤解されている「外国語活動」 中等教育の問題

— 入試制度変更の狙いの一つに「中等教育への影響」があります。やはり小・中・高の教育は、大学入試をある種のゴールとして設計されているので、大学入試制度から受ける影響は大きいものなのでしょうか?

結局、僕たちが言っているような「多言語主義」をどうやって中高生に普及させていくか、彼らが世界を複眼的に見られるようになるためにはどうしたらよいか、そしてそれをどのように現実化させるか、と考えると、「入試」がどうしても重要になってきます。

 「入試を変えないと何も変わらない」中等教育現場のホンネ

中高の先生の本音は「入試を変えないと、何も変わらない」ということです。それが正しいのかどうかはわかりませんが、現実にものを動かすためには、「入試」を動かすことがやはり現実的には大きなインパクトをもつんです。とりわけ日本だと、受験産業との兼ね合いで、学校も「入試」を基準に考えざるを得ないんですよね。
 

— 外国語教育の議論では「母語でしっかり思考できるようになってから、外国語を学んだ方がよい」という意見もよく耳にします。國枝教授は外国語の早期教育についてはどう考えていますか?

この話は、小学校教育で最近言われているような、早期外国語教育の話を念頭に置いていますよね。国が言っている、原則英語の「外国語活動」は、「教科の英語」と「コミュニケーションの英語」など、いろいろなものがごっちゃになっています。

 「外国語」と「活動」を区別した「多言語活動」

僕が思う「外国語活動」とは、「外国語活動」の「外国語」と「活動」とをそれぞれ大事にするということです。そのときの「外国語」は、「多言語」を大事にしなければなりません。要するに「多言語活動」です。
 例えば、小学生に「中国ってどう?」と聞くと、「中国、嫌い」と答えることもあります。これは彼らがしっかり自分の頭で考えて言っているわけではありません。世の中の風潮を敏感に感じ取って、反応しているに過ぎません。つまり、世の中のネガティブな面が、良くも悪くも子どもの思考に反映されてしまうのです。では、何をしなくてはいけないか。

 外国の人々に出会って多様性を知る―ほんとうの多言語活動

おそらく、本当の「多言語活動」とは、「その人たちがほんとにどういう人たちなのかを知ること」だと僕は考えます。つまり、「言葉」に対する目覚めの前に、「一体その人たちはどういう人なの?」「中国、韓国、アフリカにはどういう人たちがいるの?」という人にたいする目覚めが大事なのです。
 僕がすごくいいなと思った事例を紹介します。横浜でアフリカの国々が集まる国際会議(第5回アフリカ開発会議・2013年6月1-3日)があったとき、小学生とアフリカの国々が交流しました。小学生たちがそれぞれの国を調べて、実際にその国から来た人に会ってみようという流れです。こういうカタチが、すごく望ましい活動ではないかと強く感じました。
 なんでも早くやればよいというものではありませんが、「言語」の教育ではなく、いま僕が話したような、「外国の人々に出会う」という「活動」であれば、早期教育もアリだと思います。「言語」だけの問題に関して言えば、個人的には、高校2年生くらいの時期に一度外国に行くということでも十分だと思いますね。

ほんとうの「国際化」と「多言語教育」のチカラ

 対立ではなく比較することで「気づき」を得る

— 多言語教育を通して、多様性を認め合うとか、相対的に日本という国を見られるようになるとか、そういうものを主眼にしたものならば積極的にやるべきだ、と。

はい。それが「国際化」だと思います。さらに、もし「言語」の教育をするならば、やはり「気づき」というものを大切にしなければいけません。要するに、“外国語か日本語か”と対立させるのではなく、それを比較するという学びもできると思うんですよ。
 例えば、日本語で「僕はリンゴが好きです」を、英語に訳すと、主語と目的語の位置が逆になる。このように、「自分が話してる言葉とは違う構造や語彙を持った言葉が世界にはいろいろある」ということを知ることによって、同時に自分の母語を理解できるようになるかもしれません。

— 小さいころから世界の多様性を認められるように育った人と、そのような教育を受けないで育った人いると想定します。その二人が政治家になったとき、それぞれどのような外交戦略をとるのか、というところまで「外国語教育」はつながっていきそうですね。

そのように期待したいですね。言語だけに留まるものではないと思います。加えて、大学の外国語教育は、現地に行って「これまけてください」とか「この服の別の色はありませんか」と聞けることが学びの本質ではないと考えています。
 少数民族の問題を研究しておられる中国語の先生に次のようなお話を伺ったことがあります。「ある土地に入って、そこに住む民族の人たちとご飯を食べて、寝泊まりして、というように人間関係を構築していくことで、ようやく口を開いて、コミュニケーションが成り立つ」。このことからもわかるように、人間と人間はそんなに簡単にコミュニケーションがとれるものじゃないんだと思いますね。

もし、「道具」として言語を使いたいならば、さして早期教育も必要ないのだろう。そうではなく、その人自身の内面を成長させ、豊かなものにするための「外国語教育」が重要だ。そのための「外国語試験の多言語化」なのである。
 そして、このことはこれまでの「Language」の連載を通してすべての先生が一貫して口にされていることでもある。ほんとうの「多言語主義」に根ざした「外国語教育」がSFCの強みであり、なによりの魅力なのだろう。