5月28日(木)、「ソフトウェア工学」(担当: 倉林修一環境情報学部専任講師)において株式会社Cygamesの取締役CTO、芦原栄登士氏が講演。「最高のコンテンツは最高の技術から生まれる」をテーマに、ゲーム開発の内側や芦原氏が現在の仕事に就くまでのストーリーが語られた。

 SFC CLIP編集部は、芦原氏の講演を取材。「大学時代に学んだことが仕事に活きている」という芦原氏の経験談を聞き、改めて大学での勉強の大切さを感じる時間となった。以下、講演の様子をリポートする。

芦原氏の話に学生らは聞き入った。

「日本のゲーム業界をもう一度世界一に」

事前に学生から寄せられた「現在の自分の夢はなんですか」という質問に対して、芦原氏は「日本のゲーム業界をもう一度世界一にしたい」と答える。ひと昔前のゲーム業界では、日本が世界で一番といわれていて、海外のゲームより先に進んでいると余裕をもってつくっていた。だが、気づけばいつの間にか海外の方が先に進んでいて、日本のシェアが少なくなっているという。その一例として、据置型ゲーム機「Play Station 4」(SCE、日本発売2014年2月)をあげた。日本発のハードウェアにもかかわらず、リリースは北米が先で、3ヶ月後にようやく日本でもリリースされたのだ。
 しかし、現在著しい成長をみせているスマートフォンのソーシャルゲームなら日本は巻き返せると芦原氏は考えている。 スマートフォンのソーシャルゲームは、コンシューマーゲームとネットワークサービスが結びついた新しい分野で、スマートフォンが出回っていないフューチャーフォンの時代から日本は先行していたからだ。それでも、日本発に甘んじてまた安心しきっていると据置型ゲーム機と同じように海外に抜かれるため、そこをどう抑えていくのかが大事だと芦原氏は強調した。
 

大学で学んだことを仕事に活かす

大学時代、芦原氏は、分散オブジェクト指向言語に関する研究を行い、コンパイラを作ることもやっていたという。コンパイラとは、コンピュータプログラムを人間が扱える形式からコンピュータが解釈、実行できる形式に変換するソフトウェアのことだ。就職活動のときはコンパイラをつくっている会社を調べ、ゲーム会社に応募したところ採用が決まり、1995年に入社。昼にゲーム開発をしながら、夜は大学院でネットワークを使ったプログラム言語の研究も続けていた。制作と研究を両立させるなか、次第に、ユーザーからレスポンスのあるゲーム開発の方におもしろさを感じ、芦原氏は大学院卒業後もゲーム業界に残った。
 当時、Windows 95が発売され、インターネットが一気に世に知れ渡る。会社でネットワークゲームを制作しようという話が出たが、なんといってもインターネットは普及し始めたばかり。社内は、インターネットの標準通信プロトコルであるTCP/IPについて詳しい人がいなかった。そんなとき、研究でネットワークを使っていたので「TCP/IPプログラムが出来ます」と名乗りを上げたのが芦原氏だ。ネットワークプログラマーになるきっかけとなったと振り返った。
 そのころは、ゲームを移植しようとするときに、アセンブラしかないとコンパイラからつくることもあった。また、Windowsのサーバーでつくっていたため、Remote Shellを自作したり、テスト用クライアントなどを自分で書いていた。「昔はベースとなるものがあまりなかったから、ないなら自分で作ればいいというのが当たり前だった。最近はエンジンとかライブラリが充実しているが、提供されている以上のものは作れない。やっぱり自分で作るのが大事だ」と芦原氏は学生らに訴えた。

芦原氏はインターネット黎明期のエピソードを語った。

ソーシャルゲームの楽しさは「ユーザーとの近さ」

「ソーシャルゲームの楽しさはユーザーとの近さ」と芦原氏は言い切る。
 据置型や携帯型ゲーム機でプレイするコンシューマーゲームは、完成してからリリースするのに約1ヶ月も時間があいてしまう。その1ヶ月の間に次のプロジェクトが始まり、つくったゲームが思い出に変わったころにユーザーの手元に届くのだ。
 一方、ソーシャルゲームはスピード感が何倍も違う。つくって出したらすぐにユーザーの反応があり、どのくらい伸びているのかなど、あらゆるデータがすぐにわかる。また短期間で更新するため、ユーザーの声に合わせてゲームを育てていく事もできる。もちろん多くのユーザーを抱えることは大変だが、その分、技術的にやりがいがあって楽しいのだという。
 

「楽しませる本質は変わらない」これからのゲームが歩む道

ゲームがこれから歩む道とは何か。Play StationやWii(任天堂)が代表するコンシューマーゲームと、スマートフォン向けのソーシャルゲームの両方の開発に携わってきた芦原氏は、デバイスやプレイするシチュエーションが違うだけで、ユーザーを楽しませようとするのは一緒であり、将来的には「コンシューマー」や「ソーシャル」という言い方がなくなるのではないかと考えている。
 

「未来を描けるような人になって」

最後に、芦原氏は参加した学生に対して「学生のうちにやってほしいのは、もちろん勉強もですが、ゲーム業界に入りたいならゲームをいっぱいやっておもしさを知ってほしい。最高のコンテンツとは何か、ゲーム以外のコンテンツでもいいので『おもしろい』『これはみんな楽しめそうだね』と思えるような感性を持つことが大切。みなさんには、技術力があって、人から信頼されて、説得力があって、未来を描けるような人になってもらいたい」というメッセージをおくり、講演を締めくくった。

学生から積極的な質問が投げかけられた。

学生:  韓国などで今すごく流行っている、eスポーツ(対戦型コンピュータゲームを用いた競技)についてどう思いますか?

芦原氏:
 eスポーツ自体はやっていきたいと思いますが、eスポーツとしてできるゲームをまだつくれていません。まずは、eスポーツになり得るゲーム、みんなが楽しめるゲームをつくっていきたいと思っています。
 

学生:  私自身、就職でゲーム会社のプランナーを目指しています。芦原さんはプログラミングが専門ですが、今はプログラマーでもたくさんのものづくりができると思います。芦原さんはプランナーとして実際に新しいゲームの根幹をつくってみたいと思ったことはありますか?

芦原氏:
 プログラマーのなかにはプランニングがすごく好きで、やっているうちにプランナーになっちゃいましたという人もいます。チームのディレクターになっていく人は割といるので、ゲーム好きはディレクターになる人も多いです。ただ、私はどちらかというとネットワークの、ゲームの仕組みづくりの方がおもしろく感じるので、自分で新しいゲームを考え出したいという方向にはあまりいきませんでしたね。
 

学生:  ゲーム開発において、「これは絶対にできないだろう」というところが一つくらいはあると思います。何かすごいアイデアで、まだ実現できていないもの、できたらおもしろいな、と思うものがあれば教えてください。

芦原氏:
 最近はいくつか出てきましたが、以前よく考えていたものは、モノが壊れていく系です。昔、自分がプログラムを書いていたころは、難しいから別の方法にしようと避けてきました。でも、最近は壊していくゲームも増えてきたので、やる人はやっているんだなぁと思っています。
 例えば、建物が壊れる仕掛けをつくろうとするとき、一番簡単なのは、最初から壊れた状態でつくってしまうこと。建物が壊れた破片のパーツを組み立てておいて、再度バラバラにすることで「建物が壊れた」という表現になります。しかし、本当は自由なところから壊れていくという表現をしたいわけです。
 本当にリアルタイムで自由に壊れるという技術がちゃんとできれば、ものすごくリアルになっておもしろい。今ある技術だと、どうしても結果をあらかじめ用意しなければいけません。固いものがリアルに壊れる、柔らかいものがリアルに切れる、というのをゲームに取り入れてみたいと昔から思っていますが、いろいろな制約があって難しい。それが「できたらおもしろいな」というもののひとつです。
 

【芦原栄登士氏・略歴】
 1995年にゲーム企業に就職後、プログラマーとして日本で最初のネットゲームの開発に従事。開発業務と並行して、社会人大学院である筑波大学ビジネス科学研究か 経営システム科学先攻を修了。分散オブジェクト指向言語に関する研究を行なった。2009年に株式会社ゲームリパブリックの技術部部長に就任。 社内技術共通化、 ミドルウェア選定ほかマネジメント全般を統括。その後、 全世界規模のゲームサービスネットワーク基板開発におけるサーバー構築・運用までを担当。2012年4月に株式会社CygamesのCTOに就任。豊富で幅広い経験をもとに、同社のゲーム開発からインフラまでの技術面全般を担当する。