学士教育改革の先導実践にみる大学組織の社会学的研究-慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスを事例に-

総合教育科学専攻
比較教育社会学コース
佐藤真衣
指導教員 苅谷剛彦教授

 「現状に合わせて」生きるのではなく、これからの社会を「創る」ことを教育理念の支柱に掲げ、「問題発見解決型教育の先導実践」として、政策的にも学士教育改革モデルとして称揚されてきた慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(以下、「SFC」と略)が、問題発見解決の手順を学生に見えやすくする形で2007年度より新カリキュラム導入に至った。この事象を前に、次の問いが立ち現れる。なぜSFCは、このような形でカリキュラム改定をするに至ったのか。大学が環境との相互作用の中で存続する「オープンシステム」組織との視座に立つならば、このようにSFCという大学をカリキュラム改定へと導く社会環境は、どのようなものなのか。本研究はこの問いの解題を出発点とし、大学組織の今日的課題を社会学的に照射することを目的とする。

 まず第1章では、本研究のリサーチクエスチョンの妥当性を示すことを目的とし、SFCの設立背景、教育理念、教育システムを概観することで、1990年当時、日本の大学初となる教育的試みを多種取り入れた「脱従来」型教育を先導してきたことが明らかにされる。その上で、新カリキュラムには旧カリキュラムと比較して、学年配当制必修科目の必修化、卒業論文の必修化、ゼミの必修化などが盛り込まれており、「脱従来」という理念と矛盾する点が浮かび上がる。そこで、なぜそのような矛盾が起こるのか、という問題提起に至ることが改めて説明される。

 第1章での問題提起を受け、第2章では、大学を取り巻く社会環境として「世評」とも呼べるメディアによる大学評価を取り上げる。「市場型評価」(間渕他2002)とも称される雑誌メディアを中心とした大学評価の情報提供対象の広さを述べた上で、SFCも例外なく雑誌メディアによって、10年強の間に「期待視」から「絶望視」にいたるまでの評価を受けてきたことが、言説分析によって明らかにされる。そうした「世評」は、卒業生の職業生活における企業組織での適応状況を主な指標とし、教育成果としての卒業生の質から、大学教育の質を測るというロジックで構成されていることもわかる。志願者数が設立当時の90年代前半から比べると、近年3分の1ほどに落ち込んでいるという現状もあり、大学側はそうした「世評」を見縊ることなく、公式ホームページ上で弁明を行うなど、メディアによる大学評価に、敏感にならざるを得ない社会環境に置かれていることが浮かび上がる。

 続く第3章では、メディアによる、卒業生の質を通じた大学評価がなされるという環境に次いで、「志願者」「在校生」「卒業生」といった「教育の受け手」、「顧客」側の大学評価はいかなるものなのかについて明らかにするとともに、卒業生の質として測られるような「教育の産物」、「製品」としての、現在職業生活を送る「社会人」である「卒業生」のキャリア形成状況を、24名の卒業生を対象としたインタビュー調査によって明らかにした。結果、「志願者」の性質として、大学進学希望者の大学選択に関するマクロデータでは、自分の学びたいことのコースがあることや、偏差値、就職、など様々な選択基準が上位に挙げられていたが、本研究のサンプルの限りでは、SFC志願者は、SFCの既存の学問体系を超えたという新しさを持つ学際教育をはじめとする教育理念への共感によって、志望した人が多かった。SFCがまさに訴求した理念や教育の独自性を、「顧客」が支持した形である。しかし、学際教育への憧れは、一部を除く多くの人にとって、あらゆる分野を揃えた学際的カリキュラムならば、「やりたいこと」が見つかる、「可能性の幅」が広がるといった意味であることもわかる。志願者募集の戦略としては、一定の効果があったことは確かだが、入学後の学習計画が曖昧な志願者を自動的に取り込みやすいことになるとも推察される。さらに、「在校生」という立場からは、SFCで用意されている多様な分野を、多様なカリキュラム運用によって、学習していたことがわかるが、自身の関心に合わせて、積極的にカリキュラムを運用する人がいる一方で、卒業後5年以内の卒業生の中から、「志願者」時代に、学際教育に憧れを持ったものの、自分でカリキュラムを組み立てることが困難であり、身動きがとれないでいたという声が挙がった。また、職業生活を送る「社会人」となった卒業生は、SFCでの教育を、概ね好意的に評価するものの、卒業後10年未満の卒業生からは、体系的学習、基礎から応用という学習ステップの強化を望む声や、卒業後5年以内の卒業生からは、カリキュラムの運用に際してなど、学生サポートを充実させる必要性が叫ばれた。そして、教育後の「製品」としては、夢に向かってまっしぐらな卒業生や、順調にキャリアを発展させていく人がいる一方で、現職に不満を抱え、離職もしくは転職を予定しているが、次にどうしていいかわからないというキャリアが迷走状態にある人の存在も明らかになった。そのような人は、共通して、「在校生」の頃に、カリキュラム運用に困難を覚えたと答えた人であった。順調にキャリアを発展させていっている人の中にも、「志願者」の頃には、学習計画が明確ではなかった人もいるが、「在校生」の頃には、何かしら後々のキャリア形成を意識して、自分の軸となる専門性を構築するよう、カリキュラムを組み立てていたことがわかった。そして自分の専門性を生かした就職活動を行ったという。

 第3章までで、大学組織の存続に影響を与え得る社会環境を、メディアによる大学評価、教育の「顧客」による大学評価、「製品」として下される大学評価という視点から摘要してきた。これを踏まえて、大学側のカリキュラム改定の真意を探るのが、第4章である。学内機関誌での情報と、本研究が行ったカリキュラム改定に直接携わった教員へのインタビュー調査で得られた情報とを複合的に検討し、なぜSFCの「問題発見解決型教育の先導実践」を体現する、自律性の高いカリキュラムが、改定されるに至ったのかについて、最終的な見解を示すことを目的とした。結果、学内機関誌における、当時の学部長やカリキュラム委員の教員の語りからは、第3章で明らかにされたような、カリキュラムを自身で組み立てられない学生の存在、そのような学生が卒業しては、大学として「品質保証」が行えないとの立場から、どのような学生にも在学中に専門性と呼べるものを構築し、品質管理が行えるシステム作りとして、新カリキュラムの導入がなされたことがわかった。しかしながら、本研究が行った教員へのインタビューにおいては、学内的に施された上記のような説明は悉く否定されてしまう。新カリキュラムは、SFCが現在抱える問題を反映させたものではなく、「あるべき姿」を追求し、学生が自分の頭で考える仕組みづくりを行ったと主張するのである。だが、さらに矛盾は続き、インタビューにおける教員の語りの中でも、「脱従来」型教育として、その理念を今後も追求すると語りながら、端々で、受験産業におけるSFCの優位性が、今のままでは掴みにくいといった語りもなされ、大学受験といった既存の社会構造の中で、「脱従来」型の教育を実践することの難しさを覗かせる。教育理念の実現と、志願者の確保とその後の人材輩出までの、いわば製造責任を抱えた経営体としての大学組織のクラシカルな課題に、SFCも漏れなく直面し、「信奉された理論」と「実効理論」(Argyris and Schon 1978)によって組織が管理された状況にあることがわかるのだ。

 以上のように、本研究は、学士教育改革の先導実践とされる教育組織に、カリキュラム改定という事象を皮切りにして、切り込みを入れてきた。するとそこには、革新的教育組織としての自負と、経営体としての組織の性質の狭間に揺らぎながら、SFC的教育の追求の抵抗勢力となり得る社会環境に必死の攻防を挑む大学組織の姿が顕になった。その社会環境とは、リースマン(1986)がかつて経済学の「限界差別化」という概念を用いて、学生を求める市場競争が激化するほどに大学がリスクを恐れ、結局似通ったものになり、またそれを選択する学生も、リスクを恐れマジョリティーとなる大学を選択するとしたが、SFCのカリキュラム改定が指し示すものも、「限界差別化」した大学市場に他ならないのかもしれない。「脱従来」型の革新的な教育を受けても、多くの人が行き着く先は企業である。その企業が求めるものが、「脱従来」を推進させる、「創造性」や「個性」でないとしたらどうだろう(第2章)。また、現にキャリアを順調に発展させていっている卒業生は、皆、SFCの提供する学際的分野を渡り歩いたのではなく、学科制を持つ大多数の大学と何ら変わりなく、自身の専門性を1つ決めて、それに合わせて学習を続けてきた人であることも本研究では明らかにしている(第3章)。それでもまだ学生は、「新しい」教育を望むのだろうか。

 大学選択を行う「志願者」の存在、実際に教育を受ける「在校生」の存在、卒業後、教育の「製品」として教育評価が下される側となる「社会人」という存在が、それぞれ大学にとって無視できない社会環境を作り出しており、それに輪をかけて、メディアという教育評価の1プレーヤーも存在する。それら社会環境が、「未来を創る大学」としての立場と相容れないものであるとき、折れるのは、大学の側であることを本研究は示唆している。大学教育の「個性化・多様化」が叫ばれ、いち早くそれを実践へと移したSFCが、学士教育改革のリーディングケースとして、称揚されてきたことは冒頭でも示したとおりである。しかしながら、SFCが自身を取り巻く社会環境へと適応する道へ進むことを余儀なくされている状況は、括弧つきの「社会が求める」教育、既存の構造を打ち破るような「新しい」教育への手放しの賞賛に対する警鐘とも受け取れるのである。学士教育改革を、理想論ではなく、実践を含めた現状から、再評価する時が来ている。

SFC CLIP:[SFC生の就職を考える]活躍・あるいは迷走する卒業生たち 明暗を分けたもの