NPO法人マイスターネットより
8月講演会のお知らせ
第49回講演会
テーマ:「日本人とフランス語」
(日本人はフランスをどう捉えたか)
今回は、幕末の歴史秘話から「フランス語と私達の係わり」にスポットを当てます。
講師はフランス語を独学し、留学・赴任を経て日仏交流にも携わってきた、フランスをこよなく愛する人です。日仏の出会いをイメージしてみませんか。
ふるってご参加ください。
・NPO法人マイスターネット 第49回講演会
・日時:2010年8月21日(土) 15:00-17:00
・場所:藤沢市市民活動推進センター A会議室
藤沢市藤沢1031 小島ビル2F TEL0466-54-4510
http://center.f-npon.jp/
・講師: 長谷川 晃
三重県桑名市出身(昭和七年生)。名古屋大学経済学部経済学科卒。フランス語は独学。
NHK在職中、一年間フランスに留学。帰国後、NHK解説委員室、パリ特派員、国際局欧米部長他を歴任。停年直前の二年間、JICAへ出向、インドネシア政府情報省顧問(ジャワ島、ジョクジャカルタ駐在)。帰国後、「日本国際開発学会」に所属、現在、副会長。
NHK勤務末期、国際局欧米部長として、東京大学福井芳男教授、中央大学田島宏教授らで構成する「実用フランス語検定協会」(現在の「仏検」)設立のプロセスに、フランス語を社会的に実用、駆使する機関の代表の一人として参加。
・講演概要
・日本人は、最初「フランス」をどのように書いたか?
Franceは、日本語では「佛蘭西」、「法論西」、「ホロンス」など…(中国では「法国」)だった。フランス語との出会いとして、日本人が最初に手にしたフランス語の手紙は、北海道北辺で、何者かに襲撃された、その土地のサケ・マス漁民番小屋の襲撃、火災現場に、帝政ロシアの海軍将校が書いて、置き手紙としてあった、日本の対外姿勢に不満を吐露する、国際的外交脅迫状だった。言い換えれば、北洋、北海道、千島諸島での沿岸漁業の、魚介水産物捕獲活動の国際的軋轢現象の一つだった。(フランス語の書面は訳文を添えて別途配布します)
・ 松前奉行所は、漁師の番小屋襲撃現場の置き手紙を、江戸へそのまま送ったが、江戸では読解不能。「現物」を早飛脚で長崎奉行へ送り、解読を命じたが、そこでも解読できる「通詞」が居らず、オランダ商館長ドゥーフに読解を依頼した。ドゥーフは、一読、日露間の国際緊張を予感し、また、日露の交流濃密化による、オランダの日本での地位(の低下)を案じて、政略的な計算から「柔軟訳」を捏造した。事態の本質を深刻に捉えた日本側は、自ら、その新しい文明現象を消化せざるを得なくなった。
・ それ以後の経緯の特徴を、日本の近代化の過程の中に位置づけて、日本における、今日のフランス語の受容状況の特徴を数刻、検討してみたい。
・参加費 正会員、賛助会員および講師同伴者、学生: 無料
学生以外の非会員(ビジター):700円
問合せ先: マイスターネット([email protected])
URL http://www.meisternet.jp/