SFC CLIPが3年目、100号目を迎えた。メールマガジンとしては、幾つかある号外を除くと1年目に38号、2年目に40号を配信し、そして今回で22号目となる。よく続いているな、と我ながら思う。


 そもそもこのプロジェクトは、2001年に中島洋研究室で諸先輩方によって作り上げられたものである。私が2年生の頃の話である。私はその草莽期に、単なる使い走りとして参加していたに過ぎない。内部事情を申上げると、SFC CLIPの中にα及びκにある掲示板の掲示物を知らせる記事が毎週あり、1号目から今回の100号目に至るまで続いている。実はこの掲示板周り、記事を書く側である我々からは、つまらない割には骨の折れる仕事として最も人気がない。下っ端もいいところだった当時、私はよくこの掲示板周りを多くさせられていた。もっとも、研究室もこのプロジェクトも上下関係というようなものは全く存在せず、私自身この掲示板周りのような仕事を嬉々としてやっていた記憶がある。
 とにかく、私はそんな程度のものである。2年目以降は、キャンパスを去られる中島先生の研究室から小檜山賢二研究室に籍を移し、3年目は創刊当時の諸先輩が全て卒業し、ひそかに抵抗はしたものの結局は最も長く所属する自分が編集長という役におさまることとなった。正直、技量の点でも人間性の点でもこの任には、まったく相応しくないと今でも思っている。
 かくなる未熟な私が編集長になってからも、それでもSFC CLIPが欠く事もなく毎回情報を発信し続けてくることができたのは、ただ一言「素晴らしき仲間」がいたからと言うほかない。本当にそう思う。今現在、メンバーは子持ちの院生からまだ10代の学部1年生までバラエティに富んだメンバーで構成されている。今までの継続を成功と呼ぶなら、この優秀で勤勉な面々 1人1人こそが、この成功の要因そのものである。
  この彼ら彼女らは、正直、私などよりよほどSFC CLIPの主役であると思うし、質・量の点でも素晴らしい仕事をしている。感謝と敬意の念を持たざるをえない。「いつも助けられている」と言うには、あまりに傲慢であるともいえる。これを書いている今も、私の横には体力の限界を超えてひたすら編集作業に没頭する仲間の顔がある。これこそが、今のSFC CLIPを支える土台なのである。
  今年、3年目は1つの節目であった。1年目、2年目より「ヤバイ」年であった。ひとまずの節目は、仲間がいた故に100号を迎えるほどに何とかやってくることができた。
 来年以降、さらなる難事を乗り切るのもこの仲間次第なのだろうと今強く思う。最後に、現在のSFC CLIPメンバー、そして応援してくださっている読者の皆様に本当に心より感謝の念を申上げたい。大変ありがとうございます。