世間知らずのお嬢さんが“覗いた”メキシコの今をお伝えするコーナー、今週で第二回。前回はメキシコの金銭的“大雑把”についてお話したが、今回はメキシコの市バスに注目する。テーマは、「毎日がヒヤヒヤ!-命をかけたバス通学-」。今日こそ死ぬかもしれない、と毎日半泣き状態だった。


 メキシコ人にとって、バスは大切な足である。私のスペイン語の授業を受けていたグアダラハラ自治大学へもバス通学だった。
 ますはバスの乗り方からご紹介。バスの前窓にはルートを示す番号と、行き先が書いてあるので、このへんは日本と同じでわかりやすい。一応、バス停らしきものもある。ベンチと簡素な屋根が設置されているところもあれば、標識が立っているだけのところ、到底バス停だと認識できないような何もたっていないところもある。バスに乗りたいときには、バスの前窓のルートを示す番号と、行き先を見て、ヒッチハイクみたいにバスに人差し指をピーンと立てて合図する。
 料金は一律3.5ペソ(50円)でいつも前払い。運転手さんにお金を渡し、お釣りをもらう。両替の煩わしさもなく、人と人とで直にお金を受け渡すのがなんだか新鮮で気持ちがいい。バスの中は運転手さんの好みで、デザインされていた。キリストの絵やお化けキャラクターのシールが貼ってあるバス、天井を黒く染めて光る星シールを貼って雰囲気を盛り上げているバスなど、個性があってどれも面白い。
 さて、毎日が“ヒヤヒヤ”というお話だが、この市バス、グアダラハラ市内だけでなんと毎年約100人の乗客が事故で亡くなっている、という事実はまずみなさんに知っていただきたい。運転手のお給料は何人乗せたかで決まるので、できるだけ多くの人を乗せようと、狭くてガタガタな道路を100キロの猛スピードで走る。バス停に停まる時間は数十秒。客が乗るか降りるかってくらいのところで走り出してしまう。人を溢れるほど乗せるので、バスからはみ出ている人もいる。「絶対危ない。私、メキシコで死ぬかも」どうにかしてちゃんとバスに乗ろうと、毎日奮闘していた。でも、バスの中にいても実は危険だ。何十年使っているのかわからないような壊れかけの手すりに身を寄せなければ、揺れで転がりそう。運よく座れたとしても、トランポリンのようにお尻が上がる。降りるときは、ひとつしかない後部ドアのブザーを鳴らすか、「バハメ!(私を降ろして!)」と大声で叫ばなければならない。日本育ちの私にとっては、誠に信じられない光景が続く。
 でも、そんな危険なバスの中で心温まるような出来事があった。ある日、私は前方ドアから乗ることができず、後部ドアからバスに乗った。料金は運転手に払うので、まだ料金は当然払えず。降りるのは後部ドア。「もしかして今日はただ乗り?さすがメキシコ、テキトーだわ」なんていけないことを思っていた。そんな時、ちょうど私と同じ時に乗ったおばさんが私に3.5ペソを渡してきた。ふと周りを見ると、他の人もバケツリレーで前の人にお金を回している。私も真似して渡してみた。すると、ついには運転手までお金が届き、お釣りとレシートがまたバケツリレーで戻ってきたのだ。私も自分のお金を前の人に回してみた。同じように前の人からお釣りがちゃーんと回ってきた。
 メキシコ人にはとても失礼だけど、お釣りまできちんと戻ってくることに、私はとても驚いてしまった。誰も横取りしたりはしない。みんなただ乗りしたりはしない。きちんと料金を支払う。当たり前のことなのに、私はメキシコを誤解していたようだ。
 他にも楽しい出来事はあった。たまにギターを持ったおじさんが乗ってきて、メキシコの歌を歌ってくれる。どれも素敵で惚れ惚れしてしまう。下手な人もいるけれど、憂鬱なバス通学を素敵なものに変えてくれた。危険いっぱいのバスだったけど、終わってみれば懐かしい、楽しいバス通学だった。