こんにちは。NYで今日も喫煙場所を探して歩いている小島君から原稿が回ってきました。Alvarenga Smith Jones Jr.と申します。日ごろは、カタギ勤めをしておりますが、なにぶんconfidentialな部分の多い仕事なので、今回はプライベートで最も感じ入ったことをこの場をお借りして発射してみます。サササと書きます。サササと読んでくださることを期待しつつ。そういう訳で、サックリ本題へ。
君は神を見たか?
もう一度お尋ねる。神見た?


 ニーチェだかが神は死んだと爆弾発言をしてから長らく経った昨今、一応神は死んだことになっているけど、といいつつも、バリ島の山奥じゃあいまだにヒンドゥーの儀式がバリバリ(シャレじゃないってば)行われているし、インドじゃまだまだバガバットギーターが大人気。巨大バーニングマンが砂浜のあちこちで明るい炎を放ってる。黄金のエルサレムを巡ってWASPなアメリカの彼達と、ユダヤ教の天才達と、パレスチナの厳格なイスラームが戦っていて、どうやら沢山の神がそこにいる。日本でも千と千尋の神隠しがヒットすするわ、新興宗教は春のたけのこのごとくボカボカ現れてるわで毎日が大騒ぎ。ちなみに白装束集団はSARS大流行の昨今においてはキャッチーすぎる。要は、いるところにはいるのだ。神は。

で。君は、神を見たか?

あんまり、見ていないだろうと思われる。というか24時間のうち80%くらいは見るための時間なんてないから。常人たるものスターバックスででもまったりして、朝から学校に出向いたり会社に出向いたりして、そつなく仕事や学業をこなしていればそこそこの暮らしができるようにできていて、まずはそういうことどもに心を砕かれざるを得ないように世の中はうまくできていて、そうすると自分の時間の80%くらいは神の不在の生活になるわけですな。実際のところ。それはそれでいいんだけども。
 ただ、その80%から認識されてくる世界というのはアレ、トテモ疲れるものだ。人と拮抗しなくちゃいけないわ他の女に会っているのを彼女に見られて言い訳しなきゃならんわ、時には汚いことしてなじりあいしなきゃつぶされそうになるわ、肩ひじ張ってなきゃどこか不安☆ドキッ、とかなっちゃって夜中に突然泣き出したりするわ、粉飾決済を株主に報告しなないわ、テポドンとか飛ばしちゃうわで、いつのまにか知らないところでエライことになってる。取り返しがつかなくなっている。そこで気がつけばいいんだろうけれど、気がつかないままに火の車状態で更なる超多忙生活へ突入の事態に。なんというかどっぷり俗に染まりきるのならまだしも、こう、肩が凝る感じ?、無理しちゃだめよアナタ、と帰省したら母親に言われてしまうみたいな無理の仕方。気がつけばふがいなし。つい
に根性もなくなってる。
 日々の強度を追い求めてそうこうしていると、神云々なんぞ言っていられなくなっていて、神という言葉を口にした瞬間、おめでたいことに真っ白い視線を浴びることになる。まあ、路上でNYの小島君みたいに女装して青山を歩くのとどちらが白い目を浴びるかといえば、そりゃアレだけども、、、。(ちなみにすごいセクシーではあった。)
 ともかく。ニーチェ的には神は死んで、神もそれ以外もまったくおんなじものになってしまったということだろうけども、実際には、神は死んだとかいないんじゃなくって、われわれが見えていないだけなのだと思っています。ギンズバーグ(詩人)が「そいつ(註:言葉)は、びくつきなががらやってくる。僕はそっとそいつに近づいていく」みたいなことを書いていたり(スナイダーだっけ。どっちでもいいけど言語論的にも興味深い。)、私の最高に尊敬する大竹伸朗(美術家)が「既にそこにあるもの」と言っていたり、そこに神らしきものはいるのだよ。すこしばかりの限られた人間が、もしかしたらいないかもしれない神を見ることができているということである。やつらになぜ見えているかというと、疲れること人一倍しりつつも、それに呑み込まれずに持ち時間の80%をそつなくやりくりして残りが最高の20%になる可能性のある時間を、本当に最高に仕立て上げる本当に戦略的な術を知っているからだと思われます。そこから搾り出されてくるアウトプットのすさまじさよ。神を見てしまったやつが発射してくるものは、すごい。神はやっぱりいて、神をみちゃったやつもついでにすごいのだ。

で。わたしは神を見ていたか?

見ていたか、と書いたのはもちろん過去に見たことがあるかという意味であって、過去というのは記憶もないような過去ではなくて、要はSFC時代くらいのことになる。結論からいいえば、捜し求めておりました、といったところでしょうか。
 福田和也先生のゼミにいて、古典とか読まされながら、一方ではプログラムを書いたり国際政治の講義でがんばってみたり。SFCというのはたくさんの可能性に溢れていて、たくさんの素敵な人々がいるのだけれど、神をみちゃったとか神並にものすごいアウトプットを出しちゃったみたいな人は、自分も含めてまったくいなかった気がするし、今も絶対いないだろう。
 だからひたすらフワフワと色々がんばっていて、そのころは神っぽいもの、自分にとって本当に大切なものはどこにある、ということが理解しきれていなくって、限られた持ち時間をかなり無駄にしたなーという思いでおります。勉強はそこそこまじめにしていたし、無駄ではないと思うけど、実感として神じゃないね。実感として組織マネージメントの話やサイバースペースの話は、自分にとって神じゃなかったです。すいません。
 そう。それでダーっとここまで書いてきたのだけれども、もしここまでお読みになってくださっている物凄く忍耐強いあなたに感謝しつつ、いいたいことはいつだって幸か不幸かここにいきつくただ一つ、いつも感じてるかとということ。全てはそこからしか始まらん気がする。仕事に対する感覚的姿勢も、様々なマーケティング理論の身につき方も、人との付き合い方も、何か決定的なものを感じることなしには、はじまらん。
 僕が今回とりあえずカタギ勤めをしながら、神を感じるのは例えば、football is my lifeなSFC時代の友達と、よくある街のサッカー場で、よくある感じのユニフォームを着て、よくある試合展開でプレーをして、それで幸せを感じるその瞬間。
 未来からの留学生の今は、こういう風にやっと一つ幸せを見つけたばかりのアタシもいるのでした。最近のヒットは、DVDでも出ているマラドーナのドキュメンタリー「君は神をみたか」で、これは僕のバイブル。神神神神って書き散らしてありがたみが薄くなった感が否めないのだけれど、ともかく、幸運を祈る。
<<プロフィール>>
Alvarenga Smith Jones Jr.(pen name)
01年3月   環境情報学部卒業 福田和也ゼミ
01年4月から 某巨大総合企業にてコミュニケーション系の部署にて勤務中 
プライベートでフーリガン
mail : [email protected]