タシュクルガンの衝撃

国境を超えると、いつも何かが変わる。それはどの国境にも言えた。劇的に変わる時もあれば、明言できないが何か空気感のようなものが変わったと感じる時もあった。国境を超えるのは楽しい。次の国への期待と不安が入り交じり、未知の国へ入っていくという緊張がある。どれだけ長く旅をしていても、国境を超える時は何かしら姿勢を正したくなる。強く旅情を感じる瞬間である。


 パキスタンから中国へ、カラコルムハイウェイを通りヒマラヤを超えた。厳しい峠を超え、中国側のイミグレーションがある町タシュクルガンに辿り着いた。仮に「タシュクルガンの衝撃」とでも名付けたい物を食べたのは次の日の朝だ。
 
中国に入るという事、それはつまり中華料理になるということである。そんな事は知っていたはずである。それをどれだけ楽しみにしていたか知れない。しかし頭で知っているという事と舌で知るということは全く別ものである。タシュクルガンで朝食を摂ろうと食堂へ入って、出てきた物を食べて初めて中国に入ったのだと知った。
 大げさに書くまでもない。ただ回鍋肉(ホイコーロー)を食べただけなのである。食堂に入り、メニューを見せてもらい漢字の料理とその種類の多さに興奮し、しかし全然分からず、取りあえず知っている回鍋肉を注文した。
 すぐに出てきた。このとき僕はタシュクルガンで再会した友人(彼とはイラン・パキスタンを一緒に旅した)と二人であった。一口食べ、お互い目を合わせた。言葉が無かった。慣れ親しんだような、それでいてひどく久しぶりな味であった。
本郷毅史カラコルムハイウェイ(パキスタン)風の谷のナウシカの舞台となったとも言われるフンザを北上する。
 ひと呼吸おいてやっと分かった。それは豚肉だったのである。分かってしまえばこれほど当たり前の事もないが、回鍋肉とは豚肉の料理だったのだ。そして僕たちはトルコ、イラン、パキスタンと半年以上もイスラム圏を旅していて、そういえば一口も豚肉を食していなかったのである。
「うまい」
「豚肉だ」
「中国だ」
口の中が一時的に何も無くなった瞬間にそう短くつぶやいて、僕たちはにやにやしながら夢中で食べ、あっとう間に平らげてしまった。ちょっと足りなかったので青椒肉絲(チンジャオロース)も注文して平らげた。満腹になり、これが中国なのだと知らされた。こんな国境の小さな町の場末の飯屋でもこれほどの質の高さを提供する中国。恐るべしである。
それにしても豚肉である。半年以上イスラム圏を旅していて、僕は豚肉の存在をすっかり忘れていた。肉と言えば羊か鳥だった。豚肉は不浄なものとして一切食されていなかった。食されていないどころか、僕の見た限りでは目にする事さえ無かった。
 トルコである人にどうして豚肉を食べないのか?と聞いた事がある。その人は「豚はゴミまで食べる。排泄物まで食べる。人間の食べるものではない」とさも卑しいものであるかのように言った。確かにその通りである。アフリカを旅していた頃に道ばたで豚を見かけた事があった。汚い言葉を使うとクソミソの中に顔を突っ込んでクソミソまみれになりながらクソミソを食べていた。これほど卑しい生きものはいないと思えるような醜態であった。
本郷毅史カラコルムハイウェイ(中国)道ばたにいた民族衣装を着た女の子。
 しかし、しっかり料理され、味付けされ皿に盛られて出てくると信心のない僕はそんな事は忘れてしまう。夢中で回鍋肉に飛びついてしまう。そう言えばイランで日本に出稼ぎに行っていたイラン人に聞いた事がある。「日本でカツ丼食った?」と聞くと「食べたね。おいしかったね」と返ってきた。
 ともあれ、この国境ほど舌で実感するものはなかった。それは裏を返せばそれまの食生活が我慢の連続だったということでもある。
 トルコ料理はうまかった。しかしその後のイランとパキスタンの料理は、一体バザールで売られているあの色とりどりの香辛料の数々がどこに消えてしまったのだという様な忍耐を要求されるものだった。だからこそタシュクルガンでの経験は衝撃的だったのである。
 国境を超えた途端に言葉や通貨が変わったり、肌の色が変わったりする。経済状況を反映して道路の舗装状態が国境線を境に見事なまでに変わるという事もある。しかし、自転車で旅するものにとって最も重要なものは燃料である食べ物である。これがないと動けないので食事情ほど重要なものはない。
 僕は回鍋肉を食べたときにやっと中国に入ったという事を知った。以後、豚肉料理を注文し続けることとなった。中国は舌から入国する国であるようだ。
【本郷毅史】(ほんごう・つよし)プロフィール
1977年生まれ。13歳で富士山自転車旅行を経験し、16歳のときにはカナダで述べ45日、4千キロの道のりを自転車で旅した。1997年、慶應義塾大学環境情報学部に入学。2年経過した1999年の2月に、喜望峰から日本の自転車旅行(3年5ヶ月、40カ国、4万5千キロ)を開始した。現在は復学、 SFCに通学中。ホームページに旅の紀行文を連載中。