レストランで一泊

どの国でも、道路に沿ってレストランがあった。レストランだけの場合もあるが、ガソリンスタンドやホテルの併設である場合も多い。トラックの運転手が利用する事を前提としているので、安くてうまくて量がたっぷりの気取らないレストランがほとんどである。


 トルコではガソリンスタンド併設のレストランに何度も寝かせてもらった。レストランで食べた代金を払おうとしたら、もうあの人が払ったと言って受け取ってくれなかったりした。チャイを何杯も勧めてくれた。そしてまだ頼んでもいないのに、今晩はここに泊まっていきなさいと言ってくれた。パキスタンでもよくレストランに寝かせてもらった。タイでもそうだった。ベトナムでもそうだった。
 道端にあるレストランはいい。何より安いのだ。「安い」ということは重要である。長期間旅をしていて、貯金を切り崩しながら生活をしていると、残高はあとどれだけ旅をできるかに直接関係してくる。だから「安い」というだけで安心して胃が広がり、舌がしっかり味を受け止めてくれる。「安い」ということが「腹が減っている」という事と同じように最良の調味料になり、結果、思う存分うまい飯を食う事ができる。
本郷毅史これはスペシャルターリーである。右の二皿が付いていないのが普通のターリー
 しかし、安くて腹が減っているということは確かに重要だが、「それだけではないおいしさ」が道端のレストランにはあった。
 インドの道端には数キロごとにレストランが点在していた。夜はもちろんだが、昼間も疲れたらレストランで寝た。どういう訳か、道端にあるインドやパキスタンのレストランでは、机や椅子はなくとも網ベッドはあった。人々はベッドの上にあぐらを
かいて食事をしていた。不思議な習慣だと思ったが、慣れてしまえばこれは結構都合がいい。レストランはただ食事をするだけでなく、休憩もできる場所なのだ。確かに満腹になったら横になりたくなるのが人情である。網ベッドに横になりながら満タンになった腹をさすり横になる至福をも計算してそのレストランの味とするのは、決して間違いではないだろう。
 インドでのある日。
 その日も前日と同じように夕方レストランに泊めてもらえる事になった。店のおじさんも給仕の少年も英語を全く話さなかった。しかし、身振り手振りで泊めてもらいたい旨を伝えると、喜んで店の一角を提供してくれた。まずはターリーを注文した。ターリーはご飯と数種類のベジタブルカレーの定食で、10-20ルピー(30円-60円)で食べる事ができる。このときは奮発してチキンカレーも頼んだ。それでも40ルピーぐらいだった。
 給仕の少年は10歳ぐらいだっただろうか。本当によく働いていた。そしてちょっとでも暇ができるとすぐに僕の所に来て、ちょこんと座り、にこにこしていた。店のおじさんも、何度もチャイを持って僕の所に来てくれた。言葉は通じないのだが気詰まりになる事もなく、にこにこしているだけで何かとても楽しかった。チャイのお礼にインドタバコのビリー(20本で3ルピー、9円という安さ)を勧め、ジェスチャーで「バラナシから漕いで来た。これからカルカッタまで行く」と言うと「信じられない」という顔になり、僕の足をポンポン叩き力こぶを作った。僕は笑って肩をすぼめる。そんな他愛もない会話が楽しい。
本郷毅史インドの道端、カモ横断中
 何か特別な出来事が起こった訳ではないが、インドを旅し連日レストランに泊めてもらった日々は、確かに深く記憶されている。あのターリーの香辛料の匂いやレストランの炭火の台所の匂い、網ベッドの感触や濃厚なチャイの味がかけがえのないものとして思い出される。
 道端のレストランで一泊すると、実に素朴で当たり前の生活を見る事ができる。毎日だと好奇心旺盛な人々の歓待で寝不足になるのだが、時折だとこれほど素晴らしい宿はない。道端のレストランはしばしば料理と共に「それだけではないおいしさ」をも提供してくれた。味を判断するのは舌だけの専売特許ではないのだ。
【本郷毅史】(ほんごう・つよし)プロフィール
1977年生まれ。13歳で富士山自転車旅行を経験し、16歳のときにはカナダで述べ45日、4千キロの道のりを自転車で旅した。1997年、慶應義塾大学環境情報学部に入学。2年経過した1999年の2月に、喜望峰から日本の自転車旅行(3年5ヶ月、40カ国、4万5千キロ)を開始した。現在は復学、 SFCに通学中。ホームページに旅の紀行文を連載中。