1999年に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの学生を中心に結成した劇団「ぺピン結構設計」。メンバー13人中、学生が10人を占めているが、2002年には『東京の米』(作:石神夏希)で第2回かながわ戯曲賞を受賞し、東京国際芸術祭2004にも参加した。学内外から高い評価を受ける劇団「ぺピン結構設計」はどのようにしてつくられるのか?鍵をにぎる石神夏希さん(政・メ)と里見有祐さん(経4)に話を聞いた。



【「感情」でなく、「構造」から演劇を考える】
劇団結成のきっかけを教えてください。
石神:1999年の2月、つまり私が高校3年生のとき、SFCの中等部・高等部に通う同期5人が集まって結成しました。その中には私のように小学校のころから演劇をしている人もいれば、そうでない人もいましたが、全員、大学に入ったら演劇に関わりたいと思っていました。
学部時代、石神さんは文学部、里見さんは経済学部に在籍しましたが、なぜSFCでサークルを立ち上げようと思ったのですか?
石神:慶應義塾大学の三田や日吉キャンパスに既にあるサークルや演劇研究会に入ることも考えました。でも、三田や日吉よりも新しい団体をつくりやすく、活動の自由があるSFCで団体を新たに立ち上げた方が、自分のたちのやりたい演劇ができるんじゃないかと思ったんです。
里見:また、三田や日吉の公認団体になるには、1年間の審査期間が必要でした。僕らには、それが足かせに思えました。
石神:さらに付け加えると、私たちは演劇を「大学時代の思い出」にしたくなかった。大学を卒業してからも続けていけるものにしたいという想いが当初からあったのです。大学のサークルのなかには、その活動を一生つづけたいと思っている人とそうでない人とがいて、メンバー間に意識の差がありますよね。私たちはぺピン結構設計の中にそういう差がうまれてほしくなかった。みんなの意識が重なったところで1つのものをつくりたかったので、大学サークルではなく、「劇団」というかたちを選びました。
「ぺピン結構設計」という劇団名の由来は?
里見:高校3年生のとき、まだ具体的にどこでどんな演劇をするかもわからないときに、とりあえず名前をつけようと集まって決めたものです。
石神:5人でファミリーレストランに集まり、A4一枚がびっしり埋まるくらいの名前を考えたけれど、なかなか決まりませんでした。最後まで残っていたのが「マウンテンファイブ」だったので、危うくそれに決まるところでした(笑)。
里見:そんなときに、石神が『包装結構設計』という洋書を「こんなイメージなんだけど・・・」と持って来た。洋題は『Structual Package Designs』でオランダのぺピンプレスという出版社から出ているものです。石神はその「ぺピン」という響きや、本の洋題にひっかかっていたらしいんです。
石神:思い返せば、パッケージの展開図が載っているだけの本が、私の考える「演劇」と結びつくものを持っている気がしていたんです。というのも、小学生の頃から演劇に関わり、高校時代にも劇団の活動に少し携わっていた私ですが、実は、演劇が「感性」でできあがっていると言う人の考え方を疑問に感じていたんですね。私は作品をつくるということに対して、「感性」ではなく「構造」や「方法」という観点から考えたかったんですよ。自分の感情をうわーっと出すための手段、自己表現の手段としての演劇を考えるのではなく、どうすれば伝えることができるか、どのようにして伝えることができるか、を考えて演劇をつくりたかったんです。プレゼントにたとえるならば、いつどこで、どのようして渡せば喜んでもらえるか、を考えるのが好き、という感じです。だから、いろいろな「箱」が載っているだけの本が私のなかにひっかかり、それを仲間に伝えました。そうして「ぺピン結構設計」という名前をつくりました。
演劇を学問的に考えていたんですね。
石神:そうとも言えます。そもそも、なぜ大学に入って演劇をやるのかを私は考えていました。大学に行かなくても演劇はできるし、本格的に演劇をやろうと思えば大学を辞めることも考えられますよね。でも、私たち5人は大学に行っていろいろなことを学びたいし、そこで出会える人たちとできるだけ多く交わりたい。だから、生活を100%演劇に捧げているような人たちに負けないくらいの演劇をつくるには、大学に行きながら演劇をやることの意味を考えなければ、と思ったのです。大学に守られているという意識からではなく、学生だからこそできることを考え、学生であることを活かした活動をめざすということです。
 よく「頭でっかちだ」と言われるんですよ。私が大学院に進むことを決めたときにも、周りの演劇関係者に「演劇がおもしろくなくなるから辞めたほうが良い」と言われました。これは、演劇を「感性」や「心」でやるものと考える人たちの意見です。でも、私にはそうは思えなかった。だから「そんなに言うんだったら、やってやろうじゃないか」くらいの気持ちで大学院に進学しました。なぜこの社会で演劇をやるのか、どのようにして一般のお客さんと向き合うかを考えたくて私は演劇をやっているんですから。そういう気持ちも「結構設計」という言葉にはこめられています。「ぺピン」という単語はかわいいから付けていますが(笑)。
SFCで非公認団体として活動していて、サークル活動と違うと感じることを教えてください。
石神:もし大学の公認団体として立ち上げ、ある程度の資金があり、メンバーも自然と集まるような環境にいたとしたら、先ほど言ったようなことまでは考えなかったと思います。劇団として独立し、一般の社会に向けて作品を発表しているから、「どうして私たちは演劇をするのか」を考えなければならなくなった、とも言えます。
実際に大学生が大学の外で活動することの苦労はありましたか?
石神:最初は右も左もわかりましせんでしたよ!だから、結成してからしばらくは学内での活動を通して、私たちなりの演劇づくりの方法をかためました。学外の劇場との交渉を始めたのはその後のことです。そしてその劇場で出会った劇場関係者の人と、すぐにではありませんが、つながりができました。それから劇場ではない場所、たとえば喫茶店など、での公演を観にきてくださった演劇関係者が「あの子たち、おもしろいね」と言ってくださった。そうして何度かそういう人たちが公演に足を運んでくださったおかげで、ある人が「うちの演劇フェスティバルに若手として出演してみないか」と誘ってくださいました。それから一気にわーっと広がった感覚です。
 だから、大事なのは、演劇関係者に「おもしろい」と言ってもらってからの関係をつくりあげていく過程です。その結果、「来年もぜひ」と言われたり、「今度は長い作品を単独で公演しては?」と言われたり、コンクール、コンテスト、応募形式のフェスティバルで評価していただいたり、という経験がいくつか重なりました。そのようにして、大きなフェスティバルに出演することが決まったのです。
 活動をしていれば、学生であり、若いということが不利になることもあります。だけど、がんばっている若い人を応援する土壌が、演劇の世界にはある。力やお金がなくても、がんばっていて何かきらめきがある若い人。そこに可能性を見いだし、赤字覚悟でサポートしてくれる人々がいます。そういう人たちに見守られながら、ぺピンは成長してきました。
【おしゃべりから生まれる、おしゃべりのための作品】
ぺピンは公演場所が決まってから、作品のテーマを考えることもあると聞きましたが、それはどうしてですか?
石神:たとえば次回の『伝説』という作品について言えば、以前に公演をしたSTスポットでお世話になった方がBankARTの館長さんで、その方に誘われて公演をしたのがそもそものきっかけです。そのときBankARTの職員の方たちが公演を観て、別の倉庫にアーティスト滞在型の作品づくりの場ができることと、そこを私たちに貸してくれることを提案してくれた。作品を観た相手がそれを気に入ってくれたから、次の公演が生まれる、というつながりの典型だと思います。
 同じ時間と空間を共有することが演劇の醍醐味です。贅沢なものですよね。いっしょに楽しんだり、感動したりしていることを感じてもらいたい、と私は思っています。だから、場所から作品を考えるのです。
作品のテーマはどのようにして決めるのですか?
石神:まず、メンバーでミーティングをします。とはいえ、他愛のない「最近どう?」「何に興味を持ってる?」という話からはじまって、だらだらと何時間もおしゃべりをするだけです。次に、私がみんなとのおしゃべりのなかで共通して登場していた話題をピックアップし、それを含むいくつかのテーマをメーリングリストに流します。そして、それらのテーマに関する作文をメンバーに書いてもらう。なぜ作文をするかというと、「おしゃべり」というやり取りのなかから生まれてくるものを一度個人で持ち帰り、個人的なエピソードや個人的に感じることを思い返して、書きながら考えるという作業が重要だと思うからです。そうして集まった作文を読んで、私がいくつかのタイトルやキャッチコピーを提案します。そのなかからメンバーに選んでもらいます。この過程をくり返します。
 脚本を書くことは個人的な作業です。その個人的な作業をどのようにしてメンバーとの共同作業と関わらせていくかを考えたときに、今はこれが一番良い方法だと思っています。
脚本を書きながらメンバーの意見を聞くことはありますか?
石神:脚本を書きはじめたら、メンバーの意見を聞くことはないですね。
里見:脚本ができれば、今度は作業を分担しながら進めますが、脚本はその基点となるもの。だから、なるべく集中した状態で、石神に書いてもらうという形をとったほうが、その後のスタッフワークにもかえって広がりが出るんです。だからこそ、ある程度でみんなに開きながらも、一人が集中して書く、という方法をとっています。
石神:そのため、個人作業に入る前に、みんなとのやり取りをできるだけ多くします。私はみんなの意見をなるべく多く理解しようと努力するし、みんなも思ったことは私に言うようにしています。でも、執筆に関しては、私にまかせてもらう。それは互いに信頼し合っていなければできないことです。メンバーが待っていて、いつでも話を聞かせてくれる状態にいることが私にとっては大きな支えですし、それに応えたいと思いながら脚本を書いています。お客さんが喜ぶものをつくるのはもちろんですが、その手前にいる劇団のメンバーが「おもしろい」と思ってくれるものをめざしています。
作品をつくる作業に最初から関わっているからこそ、役者が愛着をもって演技をしているように見えるんですね。
石神:その延長線上に、お客さんとの関係もあると思っています。メンバー同士でああでもないこうでもないと言って考えた演劇は答えを提示するためにあるのではなくて、お客さんといっしょに、さらにおしゃべりするための「きっかけ」です。お客さんもぺピンのメンバーだ、というくらいに私は考えていますよ(笑)。
 作品を観たお客さんが何を考えているのかをすごく知りたいので、終演後にカフェを開いて、お客さんとおしゃべりすることもありました。でも、実は私たちに感想を言ってくれなくても良いんです。作品を観た人たち同士が帰り道に思ったことをおしゃべりするだけでも良い。みんなのなかにあるスイッチを押せれば良いんです。
稽古場を公開する「オープンぺピン」はめずらしい試みなのですか?
石神:これまで、ぺピンに参加したいと思った人が実際にぺピンに参加まで、長くて半年間もかかっていました。演劇的な技術ではなく、いっしょに物事を考え、共同作業をすすめられるかどうかで人を見極めるには時間がかかったんです。でも、もっと自然な形でスタッフになりたい人と出会うきっかけがほしくなり、稽古場を公開するようになりました。
 最近は、制作プロセスの公開はめずらしくなくなってきていますが、すべての稽古を、特別な用意もせずに公開しているのは、ぺピンだけだと思います。私たちはいろいろな人に「出会うこと」が目的なので、このようにしています。
 というのも、演劇というものが、いろいろな人がいっしょにがんばらなきゃいけない(できない)ものだと思うからです。しかも、全員で同時に、せーの!でやらなきゃいけない。最終的に本番では分担作業ができないから、共同作業なんです。そのときの「ぶつかり合い」がいちばんおもしろい。演劇をやる人にとっては、演劇をつくるプロセスが、おもしろさの半分くらいを占めているのではないでしょうか。この楽しさをもっといろいろな人と共有したいし、共有したほうが多くの人に喜んでもらえると思っているんです。

おもしろい反面、演劇をつくる過程で苦労することはありますか?
石神:コミュニケーションはむずかしい、と感じますね。使う言葉がちがうだけで、わかりあえなかったりしますよね。
里見:やはり、思いやりが大切だなぁと感じますね。
石神:もし、私が全ての決定権を持ち、「これでいいですか?」と聞かれたときに「だめ」とか「いい」とか言うようなことになれば、制作手順はシンプルで速く、簡単になりますよね。でも、そうはしないで、あえて難しい方法をぺピンは選んでいると思います。つまり、たくさんの人が関わるといろいろな価値観と考え方から意見が出される。そうしてゆらぎながら物事を決めていくことは時間もかかるし、複雑です。でも、その難しさが私はおもしろいと思うんですよね。どうしても行き詰まったら、「最近どう?」から仕切り直します(笑)。
 脚本を読んだ人が、私と全くちがう考えをもつことは当然ですよね。私は音や映像を担当している人たちが、それをどのように受け止めたかを愉しみにしています。同じように、脚本を渡された役者たちも「自分が書いた作文を石神はこうやって受け止めたんだ」と楽しんでいます。こういう気持ちから、さらに発展するものがあると思います。
 ただ、単純に「多様性が良い」と言いたいわけではありません。いろいろな受け止め方をしながらも、一つのものをみんなでつくるにはどうすればいいかを、いつも考えていますね。
【長く愛されるロングセラー「ぺピン結構設計」をめざして】
今回の作品『伝説』は公演会場に1カ月間滞在して稽古をされたそうですが、どういったメリットがあるのですか?
里見:最近では演劇の稽古場を一定期間確保することがむずかしくなっています。今回は1カ月間、同じ場所を借りることができ、その場でミーティングも稽古もできたので、それは非常に強みだと思います。
石神:最近では発表の場は多くあっても、ものづくりをする場は不足しているし、ものづくりをサポートする体制は弱いと思いませんか?ものづくりはインスタントではできませんから、ほんとうは、ものづくりのプロセスにこそサポートが必要です。作品をもっと良いものにするためには、プロセスを充実するためのコストに対してもっとサポートがあっても良いと思うのです。
里見:今後は、今回のように場所を長期間借りたうえで、公演以外のプログラムも準備したいですね。
受賞や国際芸術祭への参加を経て、6年目をむかえ、さらには中心的メンバーが社会人となる2005年度以降のぺピンはどうなるのでしょうか?
石神:私たちにもはっきり見えているわけではないのですが、つづけていける自信があります。ぺピンでは「つづけること」がコンセプトの一つなんです(笑)。みんなが40、50、60歳になったときに、まだぺピン結構設計をやっているということに、意義を感じています(笑)。ばからしいかもしれませんが、のんびりしているんです。今すぐに何かをドカンとしたいわけではありません。それぞれのメンバーの個人的な生活のなかで演劇をやることに意味があると思っているんです。演劇と心中してしまうのではなくて、自分の生活と社会のなかで演劇をつづけていきたい。演劇で食べなければいけないと考える必要のないところで生まれる作品は、本当にやりたいもの、やりたくてやっているものになるとも思います。成功のために劇団をやっているわけではそもそもありません。ゆっくり長くつづけられたら良いな、と思っています。
里見:BankARTのような滞在型の稽古場を借りて、社会人になってからも、休日には演劇ができたら良いですね。
石神:でも、けっきょくは良いものをつくらないと支えてくれる人もいませんから、勝手にいつまでもいい加減な趣味としてつづけようというつもりでは全くありません。長くみんなに愛されるぺピンになれば、それで良いんです。たとえれば、この夏のヒット商品をつくるよりは、長く愛されるロングセラー商品をめざすようなものです。
 お客さんに対しては、「作品を観に来てください」というよりは、「また会いたいな」という気持ちの方がぴったりかもしれません。「今度もすてきな場所で、すてきな時間をつくれるようにがんばるから、そこで会いませんか?」という気持ち。デートみたいなものです。どうしたら相手がよろこぶかな、というような気持ちで作品をつくり、お客さんたちと関わっていると私たちは思っています。そしてこれからも、そういう気持ちでいたいです。長い片想いです(笑)愛されるためには、自分から好きと言わないといけないから、一生懸命にラブレターを書いたり、プレゼントをあげたり、つづけていこうと思います。