東京から大阪までJRで行くとする。普通は東海道線の切符を買う。しかし、中央線で山梨や長野を通って名古屋に出て、紀伊半島を一周してから大阪に着く切符だってつくることができる。青森まで北上して、日本海沿いに山口県まで進み、瀬戸内を通って大阪に戻る切符も可能だ。

このようにひたすら遠回りをして最長の切符をつくると、それは北海道稚内駅と佐賀県肥前山口駅を結ぶ切符になるという。その距離は11552.7km。特急券などを含まない乗車券部分だけでも大人90820円、学割72650円。
 この切符で、市場宗丈(環2)が旅に出た。今も日本のどこかの駅で、あるいはどこかの車内で、彼は最大の遠回りをしている。SFC CLIPではその旅の模様を抜粋して、数回に渡って紹介する。詳しくは本人のブログを参照されたい。


◆1月23日(日):切符の注文
 今日は、最長片道切符を注文しようと決めた日。東京駅八重洲中央口のみどりの窓口へ並ぶ。並んでいる人が少なく、窓口は閑散としていた。すぐに順番が回ってきた。
 窓口の女性に、例のルートを書いた紙を手渡した。
「あの…最長片道切符といいまして、稚内から肥前山口まで、この(ルートを記した用紙)ルートで切符を作って欲しいのですが」と切り出した。緊張で声が震えている。すると、窓口嬢は困惑した様子を見せ(当然のことだが)、「あ、はい…これは…お作りするのにお時間がかかってしまいますが、よろしいでしょうか?」と言って、奥の事務室へと下がってしまった。後ろをそっと振り返ると、急いでいるサラリーマンがこっちをにらんでいる。こちらとしては平謝りである。5分以上待たされ、今度は男性の職員が出てきた。慣れたような口調で、「完成までには、かなりのお時間をいただきますが、よろしいでしょうか?」と尋ねられた。こちらとしては、それは分かりきっているので「はい。よろしくお願いします」と言うしかない。
「わかりました、それでは、連絡先とお客様のお名前を教えてください」
「よろしくお願いします」
電話番号を記す手が震えていた。ついに最長片道切符の旅にでるのだと。そういう思いが、体を覆い尽くしていた。
◆2月1日(火):切符の受け取り
 突然の電話で目が覚める。
「ご注文いただきました切符、完成いたしました。大変お待たせいたしました。」
 さっそく東京駅八重洲中央口のみどりの窓口へと向かう。直ぐに順番がまわってきた。5分くらいたって、ようやくお目当ての切符が姿を現した。なんと、A4の紙にずらりと通る経路が書いてある。特大サイズだ。こんなに大きい切符は見たことがない。学割証明書を提出して、現金で支払う。7万円強。払う瞬間は、高いとも安いとも感じなかった。ただ、払っているのだ。これで、スタートラインにたったのだ、という気持ちが全身を凌駕していた。お釣をもらった後、「お手数をおかけしました。どうもすいませんでした」と頭を下げ、みどりの窓口を後にした。
 自宅で、もう一回切符を見てみる。この切符で12000キロも旅をするのだと。自分はスタートラインに立っているのだと。色々な思いが頭の中を巡っている。
◆2月14日(月):湘南台→稚内
 7時前に目が覚める。旅に出る日はどうしても気分が高揚して寝つけが悪く、目覚めが速い。カーテンを開けると朝日が差し込んできた。快晴。冬晴れは、空の青さが際立っていてとても気持ちが良い。旅立ちに相応しい。羽田まで先輩に送ってもらう。
 稚内は大雪らしい。天候次第では、千歳空港への振り替えもあるらしい。定刻に出発し、二度アプローチするものの天候は回復せず、結局は旭川空港へと振り替えが決まる。バスで6時間、稚内へと再び向かった。
 2度のトイレ休憩があって、ようやく稚内市内の灯りが見えてきた。すでに21時45分。さすがにお尻が痛い。稚内の気温は-9℃。最北端の駅は静かに佇んでいた。
◆2月15日(火):稚内→北見
 この最長片道切符の旅の記念すべき第一列車は、稚内発6時38分の名寄行きである。改札が始まった。結構人が流れる。カバンから最長片道切符を取り出し、駅員に見せる。反応を楽しみにしていたが、「どこら辺に判子押しましょうか?」と聞かれてしまった。さすがに、駅員もこういう客の対応に慣れてしまったようだ。とにかく、切符の下の方に、「稚内」という文字が入った検札印が押された。いよいよ、12000キロにも及ぶ長い旅が始まった。
 旭川に到着し、改札を出る。先ほどは晴れていたが、再び吹雪いてきた。駅前散策をするつもりでいたが、辞めて、みどりの窓口で明日乗る予定でいた列車の指定席券を購入。乗車券を提示しろとのことなので、見せると「おぉ!例の切符ですか。本当に全部まわるのですか?気をつけてくださいね」と応援の言葉をいただいた。
 特別快速きたみに乗り、18時25分北見着。長い1日目が終る。明日は釧路へと向かう。移動距離は短いが、流氷に釧路湿原という車窓が色々楽しめそうだ。
◆北見→釧路→小樽
◆2月18日(金):小樽→八戸
 昨日の吹雪が嘘のような晴天だ。今日は、いよいよ青函トンネルを抜け、本州へ上陸する。もう北海道を渡ってしまうのかと思うと少し寂しい気もする。
 五稜郭駅で、駅員に切符を見せると「お!これは、最長片道切符ですか!あなたもやられているんですね。いやぁすごい!この切符作るのにどれくらいかかりました?」
「1週間かかりましたよ。」
「私だったら断りますね(笑)」
「いやぁ、迷惑な客だったと思います」
と会話を交わす。すると駅員さんはなんと駅長を紹介してくれた。駅長さんはNHKの番組でも出演してらっしゃったので、とても歓迎してくれた。色々キオスクのおばちゃんも会話に参加し、しばし雑談。すると駅長さんは「ここで会ったのも、何かの縁だから」と言って、名刺とボールペンを渡してくれた。するとキオスクのおばちゃんは「風邪をひかないように」とのど飴をくれた。とても暖かい対応にこちらは感謝の辞を述べるばかりだ。
 19:23頃、青函トンネルに入った。北海道に別れを告げる。寒かったけれど、人の温もりを感じる事が出来た4日間だった。ありがとう、北海道!
 青森駅で、ほとんどの乗客は降り、八戸に向かう人はまばらだ。21時51分、八戸着。さすがに、疲れた。今日はゆっくり寝よう。明日からは、いよいよ本州の旅が始まる。
◆八戸→北上→米沢→一ノ関→会津若松
◆2月23日(水):会津若松→柏崎
 磐越西線で新津に向かう。昨日は雪でダイヤがかなり乱れたらしい。山都から徐行運転となり、新津へは30分遅れるとアナウンス。しかし行き違いをする予定の会津若松行きが遅れていて、すでに40分遅れ。その先の野沢でも足止めをくらい、結局90分遅れで新津到着となった。新潟まで進んだが、越後線でも徐行区間があり、なかなか前に進まない。
 なんとか、無事に柏崎到着。今日は、雪に、風に、雨にと、天気が目まぐるしく変わった。でも、遅れたから嫌な気分にはならなかった。むしろ、得した気分になった。一日に、これだけの天気を味わえるなんてこと、滅多にない。
◆2月24日(木):柏崎→糸魚川
 信越本線で、上越線と接続する宮内駅を目指す。車内は高校生で混んでいる。彼らは安田でほとんどが下車。テストが近いのか、勉強している人が多い。宮内駅で、上越線に乗り換え。まだ地震の影響で、ダイヤは通常には戻っていない。
 越後川口に到着。飯山線へ乗り換え。しかし次の列車まで2時間待ちとなった。豊野から直江津に出て、糸魚川泊。
◆糸魚川→高崎→水戸
◆2月27日(日):水戸→秋葉原
 ちょうどバスが来たので、偕楽園に行ってみた。まだ梅は三分咲きだが、綺麗。寒いので雪だるまも、まだ残っていた。水戸駅に戻り、水戸黄門様と別れ、常磐線を南下。
 我孫子で降りて、げんこつから揚げそばを食べる。食べ応えありました。いやぁ、満腹。常磐線各駅停車に乗り換えて、新松戸を目指す。ここからは首都圏の複雑な路線をいったりきたりする。新松戸から武蔵野線で南浦和、京浜東北線で赤羽。埼京線で池袋に出て、山手線外回りで秋葉原。
 遂に、秋葉原まで来てしまった。複雑な心境。とりあえず、一旦、自宅に帰還。
◆2月28日(月):秋葉原→新宿
 いったん自宅に戻って、洗濯やら部屋の掃除やらに勤しんだ。これから、3日間は関東地方を周る旅が続く。今日は、房総半島を巡る。秋葉原-東京間を8時間かけて進む。
 朝のラッシュの中、ようやく秋葉原に到着。今日はここから始まり。総武線で錦糸町に向かい、快速エアポートに成田までお世話になる。ここで銚子行きに乗り換え。松岸から成田線と分かれて総武線へ、成東から東金線で大網に出て、房総半島を蘇我まで一周した。京葉線と中央線で新宿へ。
 直線距離だとたった数分の所を、10時間かけて、銚子、房総半島を一周して行ったわけだ。こんな貴重な経験はもう二度とないと思う。楽しかったなぁ。明日は旅をお休み。ゆっくりと体力を回復して、また明後日から旅を続けていきますので、応援よろしくお願いします。
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