就職活動中は他大学の学生と交流する機会も増える。「陸の孤島」で生活してきたSFC生にとっては、今まで普通だと思っていたことが実は違ったと気付く場面も少なくないだろう。そこで今回は、いつもと違う視点からSFCらしさを語ってもらった。



明治学院大学 国際学部教授
(前 慶應義塾大学 総合政策学部教授)
岡部光明

 SFCを去って半年が経過しました。いま私は明治学院大学の国際学部に所属し、フレッシュな気分で大学教員として再出発しているところです。
国際学部のキャンパス
 この学部はSFCから1時間程の場所(横浜市戸塚区)の高台にあり、富士山の眺めが見事です。また男女半々の学生を擁していたSFCとはやや異なり、ここでは女子学生が全体の約三分の二を占めるのでキャンパスに華やいだ雰囲気があります。
また国際学部の名称にふさわしく海外からの留学生(ことに米カリフォルニア大学からの交換留学生)も学部レベルで相当数在籍しているので、SFCとは異なったコミュニティの色合いが感じられます。私も英語による講義を一つ担当しており(科目名Contemporary Japanese Economy)、15年前に海外の大学で担っていた任務を思いもよらずここで再び果たしているわけです。
 また、昼食休憩時間を設けずに授業科目が設定されているSFCでは、かつて「授業中の飲食は認めるべきかどうか」をめぐってかなり議論がなされましたが、ここではそれとは縁遠く、昼食休み時間がきちんと1時間設けられています。そしてこの時間帯には、学期中毎日チャペルで礼拝が行われています。昼休みになると礼拝参加を呼びかけるアナウンスがキャンパス内に流れます。時間を超えたもの、そしてより普遍的なものを大切にするという思想であり、大学自体が「Do for Others(他人のためにしなさい)」をモットーに掲げています。
 こうした環境は、明治学院あるいはその国際学部に特有のことも少なくありませんが、ここでは日本の大学で普通に見られることがらももちろん多々あります。
SFCのユニークさ
 この学部での生活にどっぷりとつかるにつれ、ひるがえってSFCをみると、それは大学としてかなり異質な面があることを次第に感じるようになりました。
第一に、SFCでは教員と学生の間の心理的かつ物理的な距離が非常に近いことです。国際学部では、おそらく日本の普通の大学がそうであるように「教員は教える人、学生は教わる人」という発想が強く、教員であれ、学生であれ、事務スタッフであれ無意識のうちにそれが身に染みついているように私にはみえます。いわば古典的な大学像です。こうした状況に比べるとSFCにおける平等さあるいは水平的な関係は、SFCに在籍しているうちは余り感じませんでしたが実にユニークだと思います。
 また国際学部では、一般の大学(慶應三田キャンパスを含む)がそうであるように、教員の個人研究室は教室群から隔離されて配置されています。教員の個人研究室、共同研究室、教室などが余り区別されることなく配置されているSFCは、この点、教員と学生の一体感を高めるうえで大きな意味をもっており、現にそれは両者のインターアクションを促進するうえで重要な環境を提供していると思います。
 第二に感じることは、SFCでは履修カリキュラムが非常に柔軟なことです。国際学部では、他の多くの大学もそうであるように、学生の年次に応じて履修可能な科目が規定されています。またゼミも同一年次の学生が一つのゼミクラスを構成するような制度になっています。さらに、他学部科目の聴講や自由科目(進級卒業単位としては計算されない科目)としての聴講はここでは認められていません。SFCのように、ほとんどの科目が学年に関係なくいつでも履修可能であり、他学部(慶應三田キャンパス)科目も比較的自由に履修でき、さらに同一のゼミクラスに2年生と4年生が同時に座っている、などということはここではちょっと想像できないことです。なお、私のSFCでの経験によれば、とくにゼミでは学生が先輩年次から学ぶことが非常に多い(半学半教の精神が大きな意味を持つ)ので、ゼミの学年規制を廃止する提案を国際学部のカリキュラム担当委員に先般申し入れ、検討してもらっているところです。
 第三に、SFCでは、たいへんありがたいことに学部学生も自由に勉強や議論ができる共同研究室が提供されていることです。国際学部では、学生がキャンパスで勉強できる場所は、たいていの大学がそうであるように図書館のほか、学生ラウンジ、学生食堂ないし喫茶スペースといったところです。学部学生が共同研究室を自由に使えるというSFCは、ほんとうに贅沢だと思います。
 私がSFCに在籍していたとき、私のゼミ生がK先生のゼミ生と共同で使えるように設置してあった共同研究室は、毎日夜9時ないし10時まで学生がフルに活用していました。私のゼミ生が書く卒論の謝辞の部分をみると、在学中この部屋がいかに重要な位置を占めたかが必ず記述されており、ゼミ生にとってこの空間が在学中に大きな意味をもったかがわかります。
学生と教員の共同成長
 以上述べた3つの点、すなわち教員と学生の距離の近さ、カリキュラムの柔軟性、そして共同研究室の存在は、他大学に類例のないSFCらしさではないでしょうか。そしてそれは二つの意味でとても重要な意味を持っているというのが私の見方です。一つは、多くの学生がこれら3つの環境を活かして現に伸び伸びと勉強できていることです。そしてもう一つは、教員が(少なくとも私の場合についていえば)自分自身の研究を進めるうえで、そうしたバイタリティあふれる学生から常々大きな刺激を受けていることです(とくに統計データを使った社会現象の解析など)。
 教員であるにもかかわらず学生から発想力やエネルギーをもらっているというのは、見方によってはやや情けないことかもしれません。しかしそのことを白状せざるを得ません。でもそれで良いのではないか、あるいは学部教育のあり方としてむしろその方が望ましいのではないか、というふうに私は開き直っています。
 現に、ゼミ学生が書いたタームペーパー(学期論文)を私が手直しし、共著論文として日本金融学会で発表する機会がこれまでに二度ありました。同学会は格式の高い学会なので、発表できる論文は原則として大学院博士課程学生以上の研究者に限られていますが、学部学生を著者として含む論文を発表するというかたちでSFCの学生が新しい前例を作ることができたわけです。また、私の近刊書籍『日本企業とM&A』(2007年、東洋経済新報社)の核心部分は私のゼミ生が行った3編の実証分析論文であり、3名の学生はこの書物の事実上の共著者です(そのことを序文で明記)。
 「教員こそ最良の学生でなくてはならない。教員が学んでいないような大学では学生は何も学ぶことができない」。これは私がかつて教壇に立った米プリンストン大学のある教員が、同大学の優れた性格として表現した文言です。私も同感です。SFCに14年間在籍したおかげで私は、当初予想しなかったほど成長できたのではないか、そして人はいつになっても成長できる、という実感を持つことができました。SFCは学生と教員が共同成長できる場所だ、と思います。
 ただし、一つだけ留保条件を付けておきたいと思います。それは学生であれ教員であれ、漫然と在籍していたのではSFCが何かを与えてくれることは期待できないことです。その意味では、SFCというコミュニティに加わるのはリスクの大きい選択かもしれません。しかし、自分のやりたいことがある、あるいは入学後にそれを見つける努力をする決心がある場合にはSFCはそれに応えてくれます。求めよ、そうすれば必ず与えられる。逆に、自ら求めなければ何も与えられない。それがSFCに在籍する場合の条件になるのではないでしょうか。