春学期の授業もほぼ終わり、そろそろ3年生が就職活動を考え始める頃。卒業後の自らの姿を思い描く人も多いのではないだろうか。今回の「CLIP Agora」では、社会人としての視点から卒業後のSFCらしさを語ってもらった。


「SFCは動物園!?」 松尾由美子さん (02年総卒、テレビ朝日アナウンサー)

松尾由美子

私がいま所属しているテレビ朝日アナウンス部には、SFC出身者がなんと3人もいます。たしかに、三田出身者がその4倍いることを考えれば、たいしたことではないのかもしれません。しかし卒業生の数や歴史を考えれば、これは貴重な存在なのであって、「残留」や「かも池」、「あの香り」といったキーワードだけでイメージを共有し、距離を縮めることができるというのは、他にはない、特別な存在のように思えます。
 でも…この3人に共通する「SFCらしさ」って、なんでしょう。バラエティー、報道…いま向いている方向は、てんでバラバラ。大学時代は1人はラクロス、1人は演劇、そして私は語学や学外の学生団体。学生の頃に打ち込んでいたことも違います。性格も、考え方も、3者3様です。
 じゃあ「SFCらしさ」って、そもそも、何?
 SFCとは「動物園」のようなものだと言う友人がいます。彼女の言葉を借りれば、仕事で行った他の大学は、「植物園」のようだったそうです。私は彼女の言わんとすることが分かる気がします。風が吹けばそよそよと揺れ、静かにそこに佇み、誰かが水をやらなければ枯れてしまう…SFC生をそんな繊細な草花に例えることは…残念ながらどう美しく見積もってもできません。みんな何かに向かってウロウロ動いていますし、むしろ、目を光らせ耳や鼻やひげをアンテナにして敏感に情報をキャッチし、これだ! という獲物を見つけたらそれに向かって突進する、こちらの表現の方が、しっくりくる気がするのです。それぞれが何か夢中になることを持っていて、しかもその集中力たるや、まさに「突進」。そういう意味で、たしかに動物的だと…思いませんか?
 私も大学時代、ちょっとだけ突進していました。グループワークや研究会のプレゼンのために何日も大学に泊り込む様子は、他の大学の学生には、異様に映ったようでした。でも、そう映っていたとしても、不思議と気になりませんでした。私なんてまだまだで、友人はもっとやっているという意識があったからでしょうか。ある友人(今は教育関係の仕事でバリバリ働いています。)は、座学よりも企画して運営したいと言ってそれを実行し、秋祭実行委員になって昼も夜も泊り込みで大学に残留していました。がんばりすぎて血尿になり、皆で心配したこともありましたっけ。別の友人(今は、自分でNPOを立ち上げ代表になっています。)も、あまりに興味の範囲が広すぎて10個ほどサークルを掛け持ちしていた時期があったり、研究会も掛け持ちしたりして、フラフラになって車に轢かれそうになったことがありました。大事な友人が2人とも無事で本当によかったと心から思いますが、もちろん、体調管理、事故には充分気をつけるとして、興味のあるものに向かって突っ走っていける、それって、素晴らしい「SFCらしさ」だと思います。実践の場がある、その環境も、実践する意思とパワーを持つ学生がいるということも素晴らしいことですよね。
 これほど異なる興味を持つ、好奇心旺盛な学生たちが集まっているということ自体、とても珍しく、他の大学にはないことだと思います。そういった突進型のエネルギッシュな学生たちが同じテーブルにつき、昼夜議論し、向上していける場所、それがSFCであり、SFCらしさだと思います。SFCは、意志を持って臨む人にはとても大きな意味を持ち、漠然と臨む人には響かないところ。SFCにいるからには、何かやってやろうとがむしゃらに突き進んだ者勝ちなのかもしれません。
 …と、ここまでが、私が考えるSFCらしさのお話。
 結局「らしさ」は、今の学生さんやこれから入学してくる学生さんが形成していくものだと思います。もしかすると、「SFCらしさ」は変わっていくのかもしれません。ただ、鴨池とかθ館とか、そういったモノとしてだけではないSFCの精神としての「らしさ」が、この先10年、また20年後も変わらずエネルギッシュなものであり続けていてくれればいいなぁと思います。そうすればきっと、何年離れた卒業生とでも、SFC卒、というだけで、意気投合して、話が尽きなくなってしまう気がするのです。