8月もそろそろ終わりです。大学生はあと夏休みが1ヶ月ほどあります。この割合に疑問を感じているところです。僕はお盆休みに地元の福島県南相馬市に帰省しました。そこで少し考えたことをまとめてみました。地元のことを伝えられたらいいな、と考え筆を取った次第です。この文章から、震災から1年と5ヶ月が経った今の被災地・南相馬を知ってもらい、これを契機にし再び何か各自が悩んだり、現地に行ってみたり、原発について考えてみたりと、何かアクションを起こしてくれたら嬉しいと思います。

日常生活について

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 僕の実家は原発から約25キロ圏内にあります。空間線量は約0.2〜0.3μSv/hです。比較的線量は低めのところです。1年間生活していても年間被曝量の20mSvを大きく下回ります(およそ2.6mSv/yです、1mSvは超えてしまいますが)。
 みなさんはどういった生活を想像しているでしょうか。窓はあけない、マスクは毎日かかさずしている、水は飲まない、地元のものは食べない、と様々な憶測があるかもしれません。半分あたって、半分はずれです。みなさんの想像とどれくらいずれているのか楽しみです。しかし、ここで注意してもらいたいのは、今から述べることはあくまで僕の実家の話であり、南相馬に住んでいる全ての人が同じように生活をしているわけではないということです。各価値観に従って、放射能に関する考えをもって生活をしています。「放射線があるのに、なんて生活しているんだ納得できない」と思うのではなく「へー、そんな生活をしている人もいるんだ」と理解していただく程度で読んでくださると助かります。
 いま僕はこの文章を、窓が全開に開けられた部屋で書いています。夜にはクーラーもつけます。震災当時は窓を絶対にあけないでください、と言われていましたが、今はそんなことしていません。だって、天気予報を見ていればわかると思いますが、猛暑日が続いています。ここも東京ほどではありませんが、30℃前後が続く日もあります。そんな中、窓もあけずクーラーもかけずにいたらどうなるでしょうか。放射線の影響で後で死ぬか、熱中症で今死ぬか、そんな選択肢を与えられているのかもしれません。
 マスクの着用ですが、これも少し違います。僕は家にいるときも、外出するときもマスクは着用していません。暑いからです。しかし、町でたまにマスクをしている人を見かけます。マスクで防げるのかと疑問は感じます。それと同時に、マスクをしないといけないかもしれない、と考えなくてはならない状況になってしまったんだと悲しくなります。
 上記の2つは異なりますが、これから話すことは実際にあります。まず1つは水(水道水)は飲まないということです。水道水に関しては、検出限界値は1bq/kgを検出限界値として設定し、不検出ということですから、含まれている可能性は少ないです。しかし、弟(影響を受けやすい子供)がいるものですから、体内に入るものには気をつけなければならない、という考えがあるのかもしれません。
 また、地元の食材は極力食べるのを控えています。これも、水道水と同様の体制できちんと測定をしていますが、上記と同じ理由でとっていません。
 しかし、ここで述べたことは都内に生活している人も同じかもしれません。都内の水は苦くて飲めないから買うとか、都内で地産地消なんてないし、わざわざ危ない東北のものを買わない。そんな生活をしている人もいるかもしれません。わざわざ南相馬に限ったことではないと、考える人がいると思います。ですから、次からは南相馬特有だと思われる話をしていきたいと思います。

三人よれば放射線の話

南相馬の家電量販店やスーパーなどでは、放射線測定器がまるでセール品のように販売されています。また、南相馬市から各家庭に線量計が配られています。そのため、僕の実家には放射線の簡易測定器が2台あります。市役所や市内各所にモニタリングポストが設置され、小学校・中学校・高校でも線量を測定する機器が設置され、そして家庭内においても線量が測定できる環境です。ちなみに、僕の部屋の線量は0.3μSv/h。比較的低い値です。放射線について日常的に接する当たり前になっています。しかし、線量計を当たり前のように扱っている生活は、日常というのでしょうか。

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また、市内の道路を歩いていると、絶対に警察車両と出会います。パトカーといった当たり前のものではなく、デモや国会議事堂周辺に鎮座している護送車両のような車です。乗っている方々はでまじめな顔をして、どこかへ向かっていきます。見るたびに何かあったのではないかとそわそわします。なぜこんなに警察関係者の車両が多いのかと考えました。理由の1つに、人がいなくなってしまったから、があると思います。町を歩いているとどうしてもカーテンで閉め切ったままの家が目立ちます。人が住んでいない気配というのに、そこらかしこで遭遇します。元々駅前はシャッターが多いところでしたが、震災を契機にさらにそれが加速したように思います。市の人口は震災以前とあまり変わりませんが、戸籍データのものです。人が戻ってきたといいますが、僕の母校のクラスの数は半分になったままですし、寂しさはつのるばかりです。とても人が戻ってきたとは思いません。
 寂しい南相馬ですが、お盆には親戚がみんな集まりました。去年はいくことができなかったお墓参りにもいけることができました。親戚が一同集まった席で話すのは、放射線に関する話が多いです。もちろん震災以前にもした、たわいもない話もあります。しかし、東電の賠償金の話や、4号機が爆発した時の避難先、311当時の状況、福島市と比較した空間放射線量の話など放射線と結びついた話がとても多いです。もちろん、これは南相馬市だけではなく、福島県内で当たり前の光景になっています。
 このような震災以前は考えることのなかった非日常的なものが、時間が経つにつれて日常と化していっていきます。放射能と生きるという非日常が日常になってしまっています。そのたびに、原発の是非を考えたり、もう二度と戻らない故郷について悲観的な考え方になります。しかし、現状を憂うだけの考えでは何も変わりません。何かしていかなくては、と考えている人がたくさんあります。ですが、全ての人がそうではありません。

色々な背景の人々

僕もそうですが、地元のために何かしたいと思っている人がたくさんいます。実際に、地元のために既に活動をしている人もいます。南相馬でも放射線測定、治療技術や自然エネルギーやフューチャーセンターなどこれからの福島をつくるような取り組みが続々となされています。専門家や大学の先生などが現地に入り、地元に住んでいる人と協力をしながら、日々活動しています。このように、何かの活動を通して前に向かおうとしている人がいます。

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南相馬では津波により農地が使えなくなったという所もありますが、放射能汚染によって農地が使用できなくなってしまったところもあります。今まで農業を生計にしていた人は、たちまち仕事が奪われてしまいました。そのため、東電の補償金がでます。農業をせずともお金をもらえる人がいます。お金がもらえるからいいや、とやめてしまった人もいます。しかし、自分たちの生業だった農業を簡単に捨てることのできない人もいます。
 また、南相馬にはたくさんの仮設住宅があります。ここでは、避難区域から避難してきた人が生活しています。彼らは自分の住んでいた地域を奪われたわけですから、当然東電からの補償金が支払われます。その金額は、仕事をせずとも暮らせるような額、仕事をしていたとき以上のような額です。働かなくてもお金をもらえる人がいます。そんな人たちの中には、朝からパチンコに通っている人もいます。もちろん、震災以前と同様に仕事をこなしている人、違う場所で違う仕事をしている人もいます。
 行政や議員の方にも、日々放射性物質の危険性を訴え避難を要求している人もいます。一方で、放射性物質による農地の汚染をふまえつつ異なる方法で農業を営もうと考えている人もいます。
 今回の事故に関して、たくさんの考えをもった人が生活しています。放射能に対する認識の対立が各方面で起こっているようなことがたくさん起こっています。それによる分裂というのが南相馬で起こっていることではないかと考えます。例えば、農地を使える人と使えない人の対立、仕事をしながらお金をもらっている人と仕事をせずにお金をもらっている人の対立。避難していない人と避難した人の対立。対立する人の背後には、震災を通した様々な背景が存在しています。ですから、どちらが悪くてどちらが良いのかと決めつけることはできません。とても複雑な問題になっています。
 福島県は復興が遅れているという理由の1つに、こういった複雑な問題があげられるのではないでしょうか。 自分たちの明日が見えない状況が、中でのまとまりをなくし、外からの人が活動しにくい空間を形づくっているのかもしれません。もちろん、明日に向かって頑張っている人もいます。しかし、そのような明日を見て頑張ろうという人だけではないということも知っておいて欲しいです。

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ここまでつらつらと僕が帰省した時に感じたことを、震災当時からの考えと練り合わせて述べてきました。福島県南相馬市ってこういうところなんだと思っていただけたら嬉しいです。しかし、その先に行ってくれたら喜びます。南相馬ってそういうところなんだもっと知りたい、調べてみようとか、行ってみようとか思ったり、放射線についてもう少し知りたいな、事故の経過についてもう一度調べてみようとか思ったり、何かこの記事をきっかけにしてアクションを起こしていただいたら、前文に述べた通り書いてよかったなと思います。ぜひ、1度南相馬市へ。