【「反日」の国からの留学生達】 第2回 日本の中国に対する固定観念
『「反日」の国からの留学生達』の第2回は、日本人のメディアに通した中国に対するイメージ、中国での共産党という存在、また急速な勢いで発展する中国を背景に、取り残されているのではないかという不安を語ってくれた。
日本人の中国に対するイメージ
華:メディアで映される中国ですが、私は2000年から日本に来ていてその時から、中国といったら解放軍が並んでいる姿や、北京で自転車が走っているシーンしかありませんでした。私が日本人に質問されたのは、「中国人って自転車が好きなんですよね?お家に何台もっているんですか?」と聞かれたこともありました。また「自動車の方が楽なのを知らないんですか?」とまで言われたこともありました。
CLIP:中国感=メディアになってしまいますね。
大坪:みなさんが一番イメージを持ちやすいものは、テレビの映像画面だと思います。メディアには無責任な部分もあると思います。先ほどの質問でも、「中国の人は日本に対するイメージは悪いんですか?」と、良いか悪いかという概念で決め付けようとしていました。それはやはりおかしな話であって、中国人は13億、日本人は1億もいるので、それぞれ意見が違うと思います。
13億人全員に、「日本に対するイメージは悪いですか?」と聞いて、6割がはいと答えれば正しいかもしれませんが、北京のアジアカップの時やデモの映像で、わずか何千人しか映っていない画面で、これはイコール13億もそう考えていると、仮定を出して結論付けるのはおかしな話です。何度も言いますが、立場や背景が違えば、それぞれの見方があるので、必ずしも一つの概念「良いか悪いか」「好きか嫌いか」に決め付けるのはよくありません。
本質的に大事なのは、日本と中国が地理的に近いわけで、これからどう連携して、アジアを発展させていくかということだと思います。「好きか嫌いか」という細かいところをメディアが取り上げて騒ぐのはおかしな話ではないでしょうか。
韓:平和はニュースになりません。戦争がマスコミにとってはうれしいんですよね。
王:戦争というより、画面として「絵的にどうか」というのがありますよね。全てのマスコミはそうではありませんが、インパクトのある絵の方が頭に残るのは仕方がないことです。
そういう面では、私は中国のマスコミのほうが日本より良いと思います。歴史・政治の部分になると厳しい部分もありますが、日本の文化や日本の社会の状況をいろいろ紹介しています。私は記者として中国の新聞社で今でも働いていますが、社会面などで日本の文化や日本の社会を紹介するとなると、ほめまくりの状態です。食がおいしく健康的であるとか、どこの建築が素晴らしいとか、老人の生活の良さや、ファッションなど、多岐に渡ります。逆に言うと、そういう面での日本のメディアが中国を取り上げるのは、本当に少ないと思います。中国料理や「車窓から見る中国」くらいですよね(笑)。普通の情報としての中国は、あまり取り上げられていません。
大坪:よく日本に来て、「家では毎日中華料理食べているの?」とよく聞かれるわけです(笑)。ところが日本人が思っている中華料理というのは、僕らが食べている中華料理と全く異なるわけです。それを誰も知らないんですね(笑)。
CLIP:それは皆さん賛成ですか?
全員:そうです(笑)。
大坪:中国は広いわけですから、東西南北全部違うわけで、広東料理、香港、上海のおいしそうな料理を見て、中国人が皆それを食べていると思っているわけです。餃子とか、肉まんに関しては確かにそうなのですが(笑)。
五十嵐:結局のところ、どこの国でもそうですよね。日本人が寿司ばかり食べているのだと誤解されるのと同じで。
大坪:その通りです。寿司など、日本人もそうなのに、自覚しないで安易に聞いてしまいますよね。
CLIP:日本に居て、中国に関する見方は変わりましたか?
大坪:僕は変わりました。というより、初めて中国を知ったという部分がありました。僕は田舎から来たので、中国を知る機会というのは特に数少なかったのです。実際日本に来て、図書館で天安門事件などを始めて知りました。そういう情報は知りませんでした。知ることができる情報が多くなりました。
王:自分の国のことを外国に行って始めて知るというのは、どこの国も同じだと思っています。私の例ですと、中国で日本文学を専攻し、交換留学で日本に来ました。一年間勉強した後に、中国研究したいと思ったのはまさにその理由で、日本に来てからいろいろ質問されたり、本当の中国を見たりして、「本当の中国を自分は知らないのだ」ということを始めて気づきました。そのように中国について勉強しようという風になるという人は、結構多いと思います。ただそれは中国人が日本に来たらというわけではなく、日本人がアメリカに行っても同じことが起きるかもしれません。それは中国語で言うと「人が山の中にいれば、山のことは見えない」ということは同じだと思いました。
中国共産党と日々の生活
五十嵐:生活というのは変わりましたでしょうか。生粋に日本人の視点から見ると、中国共産党というのは脅威に見えるわけです。例えば僕の友達の例だと、国内で共産党の悪口を言ったら何されるか分からないから言えない、という話を聞きました。
韓:共産党は、そこまで高いところにある組織ではありません。周りに党員が沢山います。親戚にもいます。
大坪:田舎とかにいる基礎レベルの共産党員は、皆が共産党の悪口を言っています。お酒を飲みながら「共産党はだめじゃ」と毎日言っています(笑)。
朱:そう毎日。
大坪:だけどお上にはあまり言いません。
五十嵐:一党独裁というのは、実際生活にはどのような影響があるのでしょうか。
大坪:実際あまり変わらないですよ。
王:日本だって自民党政権が50年間続いていますよね。
五十嵐:政治制度が違うというのが、すごい不思議なんです。
大坪:政治制度に関して言えば、民主主義の定義が必要になりますが。中国には一般的に言われているように、三権分立という仕組みはありますが、法律に従った仕組みかどうかははなはだ疑問ということはあります。中国は法律より人脈が大事な国です。人脈があれば強いです。
朱:彼が政治的な違いによって国民の生活が、どのくらい違うのかということに興味を持つのも、中国にいる中国人がどのような生活をしているのか、ということが日本人にいかに伝わっていないかが、分かると思います。人間ですから、あまり変わりません。
王:政治は普通の人たちの生活に影響はありません。その感覚は多分、北朝鮮と同じような感覚かもしれません。確かに文革のときはそのような感じだったとは思うのですが、今はいくら何を言っても良いのです。ただ皆があつまる集会の場で、反政府発言をしてはならない、というルールがあります。大坪さんが言ったように、みんな共産党の悪口を言っているんですよ。
全員:そうそう(笑)
王:江沢民の悪口をガンガン言いますが、誰も捕まりはしません。私は日本よりも中国の方が資本主義だと思います。競争関係や、会社の中の制度など、日本のほうがかなり社会主義だと思うのですが(笑)。
中国の発展についていけない
大坪:また定義があいまいですが、日本は世界一成功した社会主義とよく言われていますよね。例えば日本全国、道などを見ても全く同じ風景です。ところが中国は地方が異なれば、全然街の景観が違い、別の国のような感覚です。
朱:格差という意味では、資本主義化もしれませんね。
王:会社で働いていて「あなた明日から来なくて良い」と言える会社は中国にはたくさんあります。日本でもアメリカでもそのようなことがいえるか、というと疑問です。終身雇用などの制度は全部なくなっています。
華:あと、友達の留学生が日本に戻るとほっとするというのです(笑)。私も日本人の先生を連れて、中国の南の方に行った事がありますが、すごい不安で食べ物も全然違うんですよ。言葉も通じなくて、戻ってきたら病気になってしまって(笑)。日本だったら、大抵どこまで助けてくれるんだろう、ここまでだったら大体大丈夫だろう、ということが留学生を含めて大体分かるようになったのですが。
中国に戻ったら、いろいろなチャンスが転がっていて、皆が宙に浮いているんです。いろいろなところに可能性があり、チャンスがある、それだけにリスクがあっていつクビになるかわからない。会社を変えるだけで、月給が3倍・4倍になるのだって、ありえない話ではありません。
日本にいると、いつ中国においてかれるのだろうという、個人レベルでの不安がすごくあります。
CLIP:私の知り合いでも上海出身の人がいて、小学校6年生のころに日本に来て、大人になって上海に行ったら「全く違う国になっていた、僕は中国に置いていかれているのではないだろうか」と言っていました。
王:確かに、日本にいると日本ボケというか、中国の研究をしていないと厳しいです。私は仕事もあって年に4・5回帰っているのですが、やはり帰るといろいろなところが違うし。中国も変化が非常に激しいので、自分が中国人だけれども、中国の変化には追いつけません。日本に慣れたということもあるのですか。
朱:中国の変化というと、人間の中身という意味ですか?概観という意味ですか?人間という意味ではどのように変化していますか?
大坪:とにかく金儲けという感じでしょうね。
朱、王:いや、それは90年代後半からでしょう(笑)。
華:極端な話ですと、例えば反日デモにせよ、出かける暇がある人がいるのか、という感じです。
王:暇な学生くらいですよ(笑)。変わったといえば、前の国営企業では皆仕事をせずに、新聞だけ読んで仕事から帰るという人は沢山いたのですが、今は日本にいる人たちより忙しいくらい働いています。夜遅くまで残業というのは、昔の中国では考えられなかったことなのです。今はお金さえもらえれば、何でもやるという感じです。