2011年から発生している東日本大震災。被災地では着々と復旧活動が進み、地震や津波で被災したなどとは思えないくらいに復興している地域もある。津波被害の大きかった岩手県釜石市ではスタジアムが整備され、今年のラグビーワールドカップの会場として使用される予定だ。福島県福島市は来年の東京オリンピックの会場となっている。震災の年に生まれた子どもたちの多くは、この春で小学2年生になる。8年とはこんなにも長い時間なのだ。

しかし、どれだけの時間が経とうとも、私たちはあの日からの出来事を忘れてはならない。記憶・記録を守り語り継ぐことで、今後起きるであろう災害をできうる限り防ぎ抗うことは、その記憶を持ち今を生きる世代の責務ではないだろうか。その責務を果たすべく、自らも被災している中、学校新聞を発行し読者に勇気を与えた高校新聞部がある。今回は筆者の古巣でもあり、地震から38日で「相馬高新聞 第139号」を発行した福島県立相馬高校出版局を紹介する。

被災した学校 学校新聞も休刊

福島県立相馬高校は、東京電力福島第一原子力発電所から北に43kmほどに位置する海沿いの街、福島県相馬市にある。幸いにも学校は津波被害には遭わず、原発事故による避難区域にも指定されていないが、親族が津波に流されたり市外にある自宅が避難区域に指定されたりした生徒もいた。

地震が起きた2011年3月11日14時46分は6校時目の授業中。揺れが収まり全員で校庭へ避難した後、近くの避難所へ2次避難を行った。余震の危険や学校施設の地震被害により休校が決定し、ほとんどの生徒にとってはこれが学年最後の下校となった。出版局は週に1、2回程度B4版両面刷り1枚の速報紙「相高わかこま」を発行していたが、休校を機に一時休刊となる。

「あの日から38日 みんな笑顔で乗り越えて行こう」

そんな中、出版局員の生徒たちが自発的に動き始めた。大人たちが車で入っていくことのできない、瓦礫の散乱する津波被災地域には通学用の自転車で出向き、被害の様子を写真に収めた。休校中の校内での動きも写真や文章でまとめ、通常とは異なる状態で学校が再開してもそれが伝えられるように準備された。そして完成したのが「相馬高新聞 第139号」だ。
相馬高新聞 第139号 1面(写真は2017年に印刷された復刻版 以下同じ) 相馬高新聞 第139号 1面(写真は2017年に印刷された復刻版 以下同じ)

大見出しには「きょうから学校再開」、カット見出しには「あの日から38日 みんな笑顔で乗り越えて行こう」とあり、リード文では次のように読者を励ましている。

やっとみんなと会える—東日本大震災から一ヵ月。地震・津波そして原発事故による放射能汚染の危険という誰もが経験のない出来事は、私たちに悲しみ、恐怖、絶望、孤独、不信という感情をもたらした。さらに多くの人が生活の不便も味わった。三月十一日の六校時以来今日まで、学校からは相高生の声が消えた。例年なら春休みの部活ではつらつとした声があふれるグラウンド、体育館も静まったままだった。ようやく今日から仲間と同じ場所で過ごすことができる。誰もが悲しみと苦しみを抱えている。互いに声を出そう。励まし合おう。そしてもう一度相馬高校での生活を作り直そう。

新聞関係者であれば常識だが、通常、新聞の紙面で気持ちや意見をベースとして書くことが許されるのは社説やコラムのみだ。本来であれば1面の、それも見出しとリード文にそれをもって来ることは高校新聞とはいえあり得ないことである。そのような「定石」を無視して発行されたこの新聞では、他の点からも当時の「異常さ」をうかがい知ることができる。

2面をめくってみると「最大の課題は通学手段」などこれからの学校生活についての記事やはやくも風評被害やデマに関する論説が並ぶが、隣の3面に目を移すと右上に「相高わかこま」と速報紙の題字が書いてある。本来は本紙「相馬高新聞」とは別に発行しているはずの速報紙「相高わかこま」を本紙の3・4面に組み込んでいるのだ。通常の「相高わかこま」より面積の大きい「相馬高新聞」に組み込むことで、「相高わかこま」に載せる災害そのものの情報をできるだけ多く読者に伝え記録する工夫だったのだろう。

「相高わかこま」の2面にあたる4面を開くと、「ふるさとが壊されていく」という見出しとともに瓦礫まみれの市内の写真や、車の通る道路のすぐ脇にまで流されてきた漁船の写真が目に飛び込んでくる。これが先述の自転車で被災地域を駆け回った成果だ。あまりにも衝撃的なその光景は、一度見たら記憶に焼き付いて離れない。
4面。 このインパクトも影響し、相馬高新聞はコンクールで文部科学大臣賞を受賞した 4面。 このインパクトも影響し、相馬高新聞はコンクールで文部科学大臣賞を受賞した

5面には県外の高校からのメッセージが何件も載せられており、最終面である6面には大きく寄せ書きが印刷されている。これらは出版局をはじめとする部活動のつながりを通じて送られてきたものだ。出版局では、逆にこのネットワークを活用しこの「相馬高新聞 第139号」を関わりのあった全国の高校新聞部へ送付した。大人たちの興味が明日の生活や責任の所在に向いており、メディアも被災地の子どもたちに目を向ける余裕がなかった当時、受け取った全国の高校生記者らはこの紙面を見て初めて被災地の高校生の現状を知ることとなった。

メディアとしての相馬高出版局とSFC CLIP

これが8年前のリアルな福島、リアルな高校生だ。高校生でありながらコミュニティメディアとしての自覚を持ち、「今」を伝え残すために自分ができることを尽くした結果がこの「相馬高新聞 第139号」だ。社会・コミュニティから課された自分の使命を果たす姿への筆者の評価は決して身内びいきではないと、ここまで読んでくれた読者であれば理解してくれるだろう。彼らは実際にやってのけたのだ。

ここで私たちSFC CLIPを振り返ってみよう。扱う情報の種類に若干差はあるだろうが、CLIPも相馬高出版局と同じコミュニティメディア・学内メディアだ。「SFC CLIPの目的」のうちの一つである「キャンパスの生の姿を伝え、記憶する」ことは、相馬高出版局にも通ずるだろう。だが、私が8年前に彼らと同じ立場にいて同じ行動ができただろうかと考えると、絶対の自信はなくなってしまう。

ボタン一つで記事を全世界に公開し、多くの継続的な読者を持つSFC CLIPだが、私たち編集部は単にネタを探し文字に起こして公開するだけの「キャリア」であることに甘えてはいけない。自分たちに課せられた使命を忘れることなく、多様な読者に寄与し、今の情報を発信・記録し続ける「メディア」であり続けなければならない。

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