SFCにはGIGAプログラムという英語で全ての卒業単位が取得できるコースが存在する。しかし、そのプログラムは多くの問題を抱えており、主に日本語を母語としない学生によってGIGA生が権利を主張するための学生団体を設立しようとする動きが先学期あった。それほどまでに学生の不満が高まっているのだ。

しかし学内でもGIGAについて正確に認識している学生・教員は少ない。もともとSFCはその学際的で多様な学問分野を網羅する性質上、明文化されないものも含め非常に複雑であり、厳密にGIGAを定義づけるのは難しい。その上に成り立つGIGAがさらに複雑になるのは当然なのかもしれない。しかし、この複雑さが後述するようなGIGAに存在する多くの問題の解決を妨げているのではないか。その問題意識のもと、このレポートではGIGAやそれを取り巻く現状について整理した後、調査すべき問題についていくつか挙げようと思う。

なおこのレポートは2016年7月までの調査や文献をもとに記述されている。

GIGAをどう認識すべきか

GIGAは慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスに設置されている義塾でのはじめての英語プログラムだ。GIGAはGlobal Information and Governance Academicの略で、2011年9月に環境情報学部でスタートした後、2015年9月には総合政策学部でもプログラムがはじまった。

もうプログラムがはじまって5年がすぎようとしているのだが、入試方法や入学時期を一般的な春(4月)入学の学生と別にし別の基準で合格者を決めているのにも関わらず、あらゆる卒業要件を(言語科目や入試で問わないデータサイエンス科目までも含めて)全く等しくし、さらにそうでありながらもGIGAサティフィケートを設けているという矛盾が、多くの謎と誤解を生み出している。

その謎は「入試方法としてのGIGA」「授業としてのGIGA」「サティフィケートとしてのGIGA」に分けて考えると明らかになる。以下、それぞれの視点からのGIGAとそれらにまつわる誤解、さらにその原因を見ていこう。

入試方法としてのGIGA

入試方法としてのGIGAは、入学試験のフローが全て英語で実施される秋入学の制度だと考えて問題ない。しかし、複雑なことに秋入学とGIGAプログラム入試はイコールではなく、日本語を試験フローで用いてAO入試で秋から入学する方法、慶應ニューヨーク学院から内部進学する方法などが存在するので、「秋入学生=GIGA生」という認識は間違っている。

一般にその後どのような進路や授業、研究会を選択しようが、GIGA入試によって入学し、GIGAのクラスに割り当てられた学生がGIGA生と呼ばれる。(厳密に言えばGIGA入試以外の秋入学者もGIGAプログラムを選択できるため、入学方法は問わないのだが、GIGA入試以外の入学者がGIGAのクラスを選ぶ例は少ない。)
GIGA入試は外国籍どころか、海外在住経験の有無さえも問題していない。日本以外の教育制度の高校に2年以上在籍していたことのみが求められる。もちろん入学後英語で授業を受けることが前提におかれているので英語力は問われるが、海外在住経験がなく両親とも日本人で、インターナショナルスクール出身で、合格している学生も存在する。つまり、「留学生+帰国子女=GIGA生」という認識も誤っている。

GIGA生全員が帰国子女や留学生でないことと同様に、帰国子女が全員GIGA生でないことは特にSFCでは明らかであろう。しかし、留学生が全員GIGA生ではないという認識は意外なほど共有されていない。それはGIGA生がある種集団として目立ちすぎることが一つの原因だ。言語上や文化上の障壁が大きく、GIGA生はGIGA生が集まった自らのクラス以外のコミュニュティになじむことができず、特に日本語を母語としないGIGA生は固まって集まりやすい。彼らは基本的に英語で行われる授業を受講するので、同じような授業を受講するので出会う機会も多い。一方で春入学や秋入学で、GIGA入試以外で入学を希望する留学生には日本語能力(EJU<文部科学省が実施する日本留学試験>などで示す)が求められ、たいてい大学で勉強する程度の日本語力は持っている。彼らはそもそも一般の学生と全く同じ方法でクラスに割り当てられ、留学生同士で固まる機会が存在せず、日本語能力もキャンパスに従来からあったコミュニュティに馴染むのに問題ない程度はあるので、GIGA生のように留学生同士で群れることがない。そのためGIGA生よりも存在に気づきにくいのではないかと思われる。

このように入試方法だけ見たとしても、よく関連付けられやすい「秋入学」と「GIGA」、「留学生入試」は全く異なる概念であり、誤解されやすいシステムだと言える。
  

授業としてのGIGA

次に授業としてのGIGAを見ていこう。「入試方法としてのGIGA」と「授業としてのGIGA」は異なる。
英語で実施されるとされた授業は、基本的にはGIGAの授業として指定される。GIGAは言うまでもなく英語「で」学ぶ授業であって、言語として英語「を」学ぶコースではないが、言語科目として一般生には受け取られる「言語コミュニュケーション科目」(14学則)の「プロジェクト英語C」(英語上級者向けの授業)もGIGAの授業と指定されている。これはこのプロジェクト英語Cの授業内容が単なる語学力取得だけではなく、他の授業と同様語学以外の知識習得を目指しているためだと思われる。(しかし「プロジェクト英語A」と「プロジェクト英語B」も同じ目的のはずだがGIGAの授業としては指定されていない)

指定されると言っても、それはその授業が(少なくともシラバス上は)英語で実施されることを指していて、卒業要件をはじめ学則には何ら影響を及ぼさない。GIGAに指定されたとしても、科目としての分類は他の授業と同じようにされ、卒業に必要な単位もGIGAとGIGAではないコースで区別されることは全く無い。両者には単に授業が英語で行われるぐらいしか違いがないのだ。したがって、GIGA生が受けようが、非GIGA生が受けようが、得られる単位とその単位を認定して卒業を認定する枠組みは全く同じである。ここまで英語コースと非英語コースの卒業に関わる学則・制度が同じであることは日本の大学としては非常に特徴的であると言える。(慶應義塾大学経済学部に新設される秋入学の英語コースPEARLの学生には履修不可とされている。)

制度上はGIGAの授業だからといってGIGA生が優先的に履修できるというシステムはない。そのため抽選やレポートによって履修選抜を行い、履修者数を制限している総合政策学部・環境情報学部においては、もともと少ない英語で開講されるGIGAの授業の選抜に落ち続け、卒業に必要な単位を充足するだけ授業数を取れなかったり、自分が専門としたい分野とは関係なく興味のない授業を取らざるを得なかったりしたという声もよく聞く。

このような事象は、SFCに対する非日本語話者のGIGA生と日本語話者のGIGA生の満足度を大きく分けている。日本語がある一定以上分かればSFCで様々な分野の授業をGIGAにこだわることなく自由に取ることができるが、日本語が分からなければ取れる授業に非常に大きな制約が加わることになる。特にSFCに入学を希望した留学生はプログラミングや情報に関する特定の分野への関心が強いため、好きな授業が取れないことへの不満は非常に大きい。

また、英語で行われる授業だからGIGAの授業だというのも実は必要条件でも十分条件でもない。先述の「プロジェクト英語A」、「プロジェクト英語B」の例もあるが、研究会の中では活動のすべてを英語で行うものがあるが、GIGA指定されていない。あくまで「非日本語話者もこの研究会に参加可能」とシラバスに書いてあるだけである。

サティフィケートとしてのGIGA


ではGIGAという授業に付されたラベリングにはさほど意味が無いということだろうか。これまで見てきたように大概意味は無いのだが、唯一意味がある点としてGIGAの授業を一定基準以上履修し続ければもらえるGIGAサティフィケートというのが存在する。サティフィケートの付与条件は以下のとおり。

科目 要件
共通科目 基盤科目に属する「サティフィケート要件科目」から30単位以上
専攻科目 ・Information:「サティフィケート要件科目」のうち先端科目(環境情報系)から10単位以上
・Governance:「サティフィケート要件科目」のうち先端科目(総合政策系)から10単位以上
外国語科目 ・「AO入試(グローバル)」で入学した学生:日本語能力試験N2の合格※1
・上記以外の入試制度で入学した学生:TOEFL iBT 80点(PBT換算で550点)以上の取得

※1不合格の場合でも、以下のいずれかを満たした場合、外国語要件を満たした認められる場合がある。
・日本語能力試験N2レベル相当の日本語科目の単位取得 (14学則のカリキュラムでは「日本語インテンシブ4」「日本語スキル」「日本語コンテンツ」)
・SFC日本語担当教員(専任)により日本語能力試験N2相当の日本語能力を有していると認められた場合

サティフィケートをとることで、企業の採用や大学院入試でどう評価されるのか全く不明なのだが、GIGA生は一応の目標設定としてこのサティフィケート取得を目指している人が少なからずいる。慶應義塾大学では学部の段階から様々なサティフィケートを設けているが、そのサティフィケート取得についてメリットは「そのサティフィケート取得者が社会で活躍することで生まれる」(EBA担当者)と言われるようにサティフィケートを発行する側もよくわかっていない。

このサティフィケート、なぜか外国語要件が求められている。GIGA入試にあたるAO入試(グローバル)で入学した学生であれば、日本語能力試験2級以上の取得を求めている。英語で全て卒業単位が取得でき、日本語の履修も(強く推奨しているとはいえ)学則上義務付けていないことを考えると非常におかしな話である。

このサティフィケートはそもそも非GIGA生にはそもそも知られていないし、実質的意味もないのでこの仕組みが何か問題を引き起こすことは特に無い。しかし、「GIGAプログラム」を定義づけるときにサティフィケートを基準にするのも一つの方法になり得るので知っておく必要はあるだろう。「GIGA生がGIGAサーティフィケートを取得せずに卒業した」ということも普通にありえるのだ。

GIGAの複雑さが遅らせる問題の解決

これまで記してきたように、定義が一様に定まらないGIGAを理解するのは困難をきわめる。このことは一体何を意味するのか。

これはGIGAを一般のコースと分離せず、既存のシステムと混ぜあわせてしまったことで起きている現象なのではないか。良くも悪くもSFCというのはあらゆる境界を気にしない。学部の境目も学問の境目も修士と学士の境目さえも気にしてこなかった。GIGAに関してもGIGAとそれ以外を区別することを意図的と言っていいほど避けたため、その結果一般のコースとの整合性が取れておらず、無理につなぎあわせたようなシステム設計になっている。その結果GIGAは複雑さを極め、GIGA生と非GIGA生やGIGAに直接関係ない分野の融合が進んでいないのではないか。GIGAだけで教える教員を設けたり、全員ではなく英語の上手い教員にGIGAのみで授業を持たせたりしないのも、従来のシステムとの融合にこだわるがためにできていないというのが実態だろう。

そしてこのようなつなぎ合わせのシステムは、システム全体の把握を困難にしている。それにも関わらず、GIGAプログラム全体を統括し、キャンパス内で言語的・文化的弱者とも言える彼らの声をワンストップで拾い上げる場所は制度的に存在しない。(そういう役割をした人が7月に学事の国際担当を退職してしまったのを非常に残念に思う。)何かを聞きたいと思っても、そのためにどんな情報が必要で、誰に聞けば良いのか分からず、縦割りの大学事務の中ではその答えを探すのは困難なのだ。

学事やGIGA生当事者自身も含めて誰1人制度の全容とその実態をきちんと理解できてはいない。ルールを決めた教授たちもその実態に対してはきちんと向き合っているように思えないし、主にグローバルな学生のリクルートをする教員が学生の卒業後までを見つめられているとは到底思えない。GIGA生の不満は多岐にわたるが、それが現行の枠組みできちんと解決できるのか、教員もGIGA生当事者も制度と現状をどちらも知って解決に向かって歩まなければ、現状が変わることは決してないだろう。