今、私は、テレビの番組をつくっている。毎日が、試行錯誤の連続だ。番組づくりについて勉強したわけでもなく、大学でもマスコミの勉強をしたわけでもないのに、見て元気になれたり、感動できたり、そんな番組をつくりたいと思って、テレビ局のディレクターになって4年。長崎で、生中継、ニュースの中のリポート、スタジオをつかった番組などいろんな番組をつくっている。


 自分で、番組をつくりはじめて、自分が見ていた時のような、何か伝わってくる番組がなかなかつくれない。と納得できない思いが残ることが多い。もちろん、伝えるということについて技術的にまだまだ未熟なこともあるけれど。それは、自分の感動したことや、自分の大切にしたいことをうまく伝えきれてないから、そして自分が何に感動しているのか、何を大切にしたいのかわかっていないからだと最近、思う。
 今年の3月、「アジア人間街道」という番組で、始めて海外に取材にいった。
 中国の最西端、新疆ウイグル自治区に、馬に乗って、辺境地の患者さんたちを診て回るお医者さんがいるときいたからだ。なんと、このお医者さんは、自ら希望して辺境地へいって、36年間もその地で治療やお医者さんの育成につとめ、大火傷した患者に自分の皮膚をあげたり、自分の血を献血してあげたりする人だということだ。
 初めての海外取材、それも辺境地。でも、スケールの大きなお医者さんに会えることに、期待いっぱいで中国へいった。日本をたって4日目、やっと先生に会うことができた。はじめて、先生に会って、実際に話をきくと、砂漠地帯のその場所で、先生は毎週土曜日に病院の職員をかりだして、ポプラの木を植えている。ということがわかった。緑は人間にとってはなくてはならないもの。緑の多い沿岸地帯からきた先生は、故郷のような緑をみんなにも。と思っておられるらしい。
 それがもう翌日だということで、早速翌日に撮影をはじめた。
 
 先生は、ポプラ植えに一生懸命。午前中で、ポプラ植えは終わって、撮影も終わった。
 初めての夜、政府の人たちが始めての日本からの撮影だということで、大歓迎 の宴会をひらいてくれた。私は、その人たちの気持ちはうれしかったし、宴会の意味も理解してるつもりだったけど、先生や土地の人たちのことを早く理解したいと思っていたので、明日からは、政府の用意してくれたホテルじゃなくて、できれば、先生の家に1日でもいいから泊まらせてもらって、どんな食事をしてどんな生活をしているのか早く理解したいと思っていた。
 しかし、その夜、先生は心筋梗塞で倒れた。
 心臓の調子があまりよくないのに、ポプラの木をずっと夜まで植え続けていたのが原因だというのだ。自分たちが宴会でおいしい食事をしているときに、先生がポプラを植えていたことに、私は、とっても罪悪感を覚えた。(それを知らずに撮影していなかったことにもだけど)私もポプラ植えを一緒に手伝うべきだったのに。そして、先生ともっと話しをして、いろんなことを聞きたかったのに。この時、夜、病院に先生をお見舞いに行って、ないてしまった。
 私は、お客さんとして歓迎されるためにきたのじゃなくて、先生をもっと理解  したいと思っているということをわかってほしいと思った。
 先生はその後、驚異的に回復して、やはり強靭な精神と肉体を持っている人だということがわかった。撮影はいいから自分の体のことを考えてくださいといっても、頑張ってしまう人だった。病院で、突然、自分でもわからないまま泣いてしまって以来、中国のコーディネータの人も、気持ちが通じたみたいで、とても協力的になってくれて、その人のおかげで取材はとても順調にすすんだ。いい番組をつくってね。といわれて、中国から帰ってきた。
 日本に帰ってきて、ポプラの木をうえるというのはサブ情報だといわれて、ポプラの話は番組の中にはいらなかった。病院の激務により倒れたことになった。番組の見やすさからいえばそうかもしれない。でも、ポプラの木をうえる行為は、先生がこの地で、1本1本木をうえるように、医療をねづかせ、人を育てたということにつながるようだと思ったのに。
 ところで、この番組の通訳をつとめてくれたのは、ウイグル人の通訳。ウイグル民族と文化に大変、誇りを持っていて、いろんなウイグルの文化を紹介してくれた。民族の誇りと愛。自らの民族を守るためにどれだけ過酷な状況におかれてきたかということ、民族という意識について、国境地帯でひしひしと感じた。今度は「民族」について、番組もしたい。
 いつも自分より年上の人たちの話を聞くことが多い。人生の経験をたくさんつんできた人たち。その人たちの話してくれていることの意味を本当に理解しているのか、それをうけとめきれているのか。なんとかそれを理解できるようになれば。でも、なかなかムヅかしい。
 テレビの番組を作る時に大切にしなくてはいけないもの。それは「愛」。といわれてはっとした。
 人にたいする愛。そして、自分にたいする愛。
 みなさんも、人のことも、自分のことも大切に。