私は今、大学院の博士課程で計量経済学を専攻しています。


皆さんは、経済学者というとどういう人を思い浮かべるでしょうか?たとえば、昨年のノーベル経済学賞受賞者をあげなさい、と言われたら答えられますか?答えはマック・ファデンとヘックマンの2人です。マック・ファデンとヘックマンは、マイクロデータ(以下、Micro data)を用いた統計的分析手法について画期的な方法を提案してきました。実は、このMicro dataを用いた経済理論の実証分析こそ、今、最もポピュラーな政策分析ツールの一つであり、私が専攻している分野でもあります。
Micro dataによる政策分析は、欧米ではかなり一般的なものですが、日本ではデータの未整備という問題もあって、まだまだキャッチアップの段階にあるといえますので、現実を直視した政策分析を志向するSFCの現役学生の方々にも是非取り組んでもらいたい分野だと思います。
今回は、この新しい政策分析ツールについてご紹介します。
 皆さんの中には、経済理論というと、ちょっと身構えてしまうけれども政策分析というと興味を感じる方ならたくさんいるのではない
でしょうか?このMicro dataを用いた統計分析は、非常に鋭い政策分析ツールといえます。Micro dataとは、GDPや経常収支、平均株価といった一国全体のデータの合計値や平均値(これをマクロデータ(Macro data)といいます)ではなく、各世帯ごとの貯蓄額や、各個人の労働時間、賃金、学歴、または、各企業の固定資産額、従業者数、もしくは各工場の出荷額など、集計する前のより細かいデータを指します。
 細かいデータを用いることでどんなメリットがあるのでしょうか?
例えば、私が今、参加しているある国際機関による規制緩和と生産性に関するプロジェクトを例にご説明しましょう。
我々の研究では、小売業の規制緩和、とりわけ大店法改正による小売業の効率性改善効果の計測に取り組んでいます。
このような規制緩和の効果を数量的に計測するにはどうすればいいでしょうか?日本全体の小売業の動きを調べるには、産業別のGDP(生産額)を調べる方法があります。このGDPの動きと規制緩和の流れを歴史的に比較する方法が考えられるかもしれませんが、これでは不十分です。日本の小売業のGDPに影響を与えるのは、規制緩和以外にもさまざまな要因があるからです。しかも規制の影響と言うのは一様ではなく、店舗規模や地域によって大きく異なることが知られています。
そこで、我々の分析では、1991年、1994年、1999年の全国の大型小売店のうち数万店を選び、従業員数、売上、立地、営業時間等の変遷を追跡調査したデータを用意し、規制によって営業活動を制約されていた店舗、規制によって守られていた店舗を特定して、それぞれのパフォーマンスを比較する方法をとっています。このような異時点に渡り、多様な企業のデータを処理する場合、特殊な統計解析手法が必要となるのですが、この手法を総じてマイクロエコノメトリックスと呼びます。
我々の分析は、これまでの規制がいかに日本の小売業を非効率にしてきたか、そして、これまでの規制緩和でそれがどれだけ改善されたかを数量的に評価し、さらなる改善にはどのような政策が必要となるかを明らかにできると期待されています。
■ Microeconometricsとcomputer
この分野を専門とするにあたり、SFC時代に学んだことで最も役立ったのが、意外に思われるかもしれませんが、プログラミングの知識です。我々が扱うデータは、少なくとも500、多ければ10万を超えることもざらにあります。
したがって、ちょっと加工しようにもEXCELでは対応できずプログラムを自分で書く必要が出てきます。
私は、学部時代、1、2年生の頃にC言語を少しかじった程度ですが思わぬところで役に立ちました。一方、学部時代に勉強しておけばよかったと感じたのは、数学でした。私はもともと数学は嫌いではありませんでしたが、特に興味を感じなかったため数学の授業は履修しなかったのですが、その分、あとでかなり苦労する羽目に
なりました。
■ 最後に
SFCというところは、学生の自由度の高い学部だと思います。
他の大学、もしくは他の学部では、入学と同時にかなり限られた分野に押し込められてしまいますが、SFC学生はあちこちツマミ食いして選ぶ自由が与えられています。
こういう機会を生かして是非、視野を広げて行くように努めてください。(くれぐれも私のように「数学の授業も履修しておけば!」と嘆かずにすむように。)
● 読書案内
興味をもたれた方のために、関連図書を紹介しておきます。
残念ながら、ノーベル経済学賞受賞者であるマックファデン、ヘックマン等の研究業績は初心者にはとても難解ですので、彼らが開発した手法でどんなことが明らかになるのかといった、「外堀」から接近されるのが無難でしょう。そこで、まず、この分野の最新の研究成果をサーベイした以下の論文を参照されることをお勧めします。
通商産業研究所ディスカッションペーパー
 #99-DOJ-96「企業・事業所のミクロ実証分析:
   ロンジチュージナルデータを用いた諸研究の展望」
 (清田耕造、木村福成、1999年7月)
この論文は、以下のWEBページからダウンロードできます。
http://www.meti.go.jp/mitiri/m4000j.html
そして、就業行動や貯蓄、結婚といった社会学的なテーマに興味のある方なら、次の本をお勧めします。
「パネルデータからみた現代女性―結婚・出産・就業・消費・貯蓄」
樋口 美雄 (著), 岩田 正美 (著) 東洋経済新報社
最後にもう1冊。少し難しいですが、非常にオリジナリティの高い方法で、企業の生産性と政策のあり方についての実証分析をまとめた以下の本もお勧めです。
「日本経済の生産性分析」中島隆信著 日本経済新聞社
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まつうらとしゆき
1998年総合政策学部卒。現在、商学研究科博士課程(計量経済学専攻)
2年に在籍。政府系金融機関の附属研究所研究生、
霞ヶ関のシンクタンクのリサーチスタッフを務めるほか、
国際機関や民間シンクタンクのプロジェクトにも参加。
規制緩和や競争政策と効率性の観点から、
銀行行動や労働市場分析に取り組んでいる。
E-mail: <a href~"mailto:[email protected]">[email protected]