■どんなに苦しくても、小説を書くことは私のベターワーク
 第2回は、2002年度春にAO入試で入学した、小説家の佐藤智加さんにお話を伺った。佐藤さんは、処女作「肉触」で2000年に第37回文藝賞の優秀賞を受賞、当時17歳という若さだったことから大変な話題を呼んだ。その後「肉触」は河出書房新社から出版され、現在は来年夏頃発売予定である次回作の編集中だ。今回のSFC RINGでは、そんな彼女の小説を書く姿勢に迫ってみた。

佐藤智加

▼「いかに体を大事にするか」っていうテーマは、なかなか無いから
――まずはじめに、文藝賞(優秀賞)を受賞された「肉触」について、簡単な内容などを教えて頂けますか?
 「肉触」は話自体が抽象的で、どちらかというと精神論的なので、内容を話すことがものすごく難しいんです。ストーリー展開があって、その流れを説明していけばいいというのとはちょっと違うので。
 ただ、小説を書いていく上でいつも目標としていることがあって、「無時代・無国籍・無生物」というのがあるんですね。私は、よく自分達が生きて普通に生活している世界を普通の「第三次元」といっていて、自分が本の中で書こうとしているのは、「幻想第四次元の世界」という言い方をよくするんです。その幻想第四次元というのは、精神的なものとか、時代や生物などに全然とらわれないで、人間のもっと本質的なものを語り合える場所と定義しているんですが、それをいかに描くかということを常に考えているので、まず、固有名詞をださないことに一番気をつけているんです。
 固有名詞を出すと、三次元の世界の日常がばっと流れこんできてしまうと思って。例えばコカコーラと書けば、みんなが自分の飲んでいるコカコーラの味だとわかってしまうじゃないですか。そうじゃなくて、もっと精神的な、人間の本質的なことを追うために、現実の世界が見えるものを出さないということをずっと目標にしています。まだまだなんですけど。
――そういえば今回の「肉触」では、作品中に人物名も出ていませんでしたね。
 そうですね。まぁ今回はたまたま必要が無いと思って名前はつけなかったんですが、違う作品には名前がついています。でも、固有名詞を出さないという姿勢は、自分の作品全てに一貫しています。
 あまりにも一般化されているもの…その固有名詞を出しても、自分の思い出や生きていたことに直接的につながらないものなら出してもいいのですが。
――精神論的な作風に加え、「心身二元論」について書かれている部分が印象に残ったのですが。
 特に心身二元論に固執するつもりは全くなかったです。ただ、何というか…「体は売っても心は売らない」とか「いかに精神を大事にするか」という話は結構あるなと思ったんですが、「いかに体を大事にするか」っていう話はなかなか無いんですよね。そこに着目して、「肉触」の中では「精神か肉体かいずれかを捨てるなら、私は迷うことなく精神を捨てる」という話を書いてテーマが心身二元論になってしまったところがあります。肉体と精神で精神を捨ててしまう人だったら、どういう過去があったんだろうか…とか。そういうことを今回は書いてみたということであって、、別に一貫して精神と肉体が分離していると考えているわけでは無いんです。
▼「彼らのリアル」を大事にしている
――「肉触」の主人公は会社員の男性ですが、そういったキャラクターを描く際に、どういうものを参考にされましたか?
 それは想像ですね。小説自体には私の主観は入っていないんです。「私のリアル」ではなく、「彼らのリアル」っていうことをいつもすごい目標にして、大事にしているので。
――そんなふうに、想像によって「リアル」を生み出す作業をしていたら、現実…つまりご自身の生活との間で混乱が起きそうだと思うんですが。
 いいえ。いつも小説家の自分と、普段生活している自分をきっぱり分けていたので、その辺りは大丈夫でした。私が小説を書いていることを知っている人も、親しい人だけでしたし。でも、SFCではAOを「小説書いています」というので通ったということが周りの人にも知られるんですよね。今まではすごくはっきりと分けていたのに、周りの人が、私が小説家だということも学生だということも両方知っているんだと思うと、とまどいがあります。最近は特にそのことで困っていたりするんですが、前は本当にきっぱり分けていたので、そういう問題はありませんでしたね。
――小説家の自分と普段の自分が分けられないと不都合があるんですか?
 私の場合、仕事をしている時は苦しいばかりで、楽しいことはひとつも無くて。小説書いていても嬉しいとか楽しいとか思ったこと一回もないんですよね。
 小説を書いている時は、とにかく苦しいばかりでいかに自分を傷つけられるかの世界だと思っているんです。そういう精神的にすごく追い詰められる時と、友達との間で普通に会話をしている時は、やはり分けていかないと…周りとものの考え方はきっと一緒だと思うんですが、テンションが違うというか…そうですね、高校生らしくない感じになるんですね。
▼血をはくような、肉を削るような、そんな苦しさ
――「苦しいことばかり」とおっしゃいましたが、書き終わった後はやっぱり喜びがあるのでは?
 無いですね、本が出ても嬉しいと思ったことはないです。本屋さんで自分の本が置いてあるのを見て、貧血で倒れそうになったことあるんですよ。手元に本が送られてきて、それを読んで校正するときがあるんですが、読んでいても卒倒しそうになりますね。自分の書いたものに動揺してしまうんです。
 動揺しているようでは本当にだめだとは思います。ちゃんと仕事として完成させられたときには読んでも動揺しないはずだと思うのですが…出してすぐの時はまだ良かったけれど、今読むともうかなり動揺してしまったり、主観が入ってしまったりします。
――そんな苦しいのに、小説を書く理由っていうのは?
 何ででしょうね。でも、どんなに苦しくても小説を書くことは私のベターワークだと思っているので、他のことはありえないんです。なぜベターワークなのか、というと自分でもわからないですが。
 「やりたいこと」といえば、他にも一杯あります。SFCにも映像を触りたいと思って来ていますし。でも、そういったことをやりつつも、必ず自分のベターワークっていうものは、小説家だと思っていて。「やりたいこと」も、結局はどのように小説を書くことに生かしていくか…と考えています。
――苦しいとは、自分の内面を引き出すことが苦しいんですか?
 何というか、肉をえぐるようなというか、そんな感じですね。それでも「肉触」はまだ、校正作業以外はかなり楽でした。その次の作品なんかは、もう本当に血をはくような、肉を削るような、そういう感覚で。
 「肉触」がWEBサイトで紹介される時に、一言どんな小説か書くようにお願いされ、「これは私の肉片です」と言いました。削って出した肉をいかに私の肉だとを分からないように調理して、いかにきれいにお皿に盛って、そしてどんなお店に出すかというのはすごく大事なことなんですよね。それが私の肉だって分かったら、みんな食べたくないじゃないですか。でも、それがどこかの羊や馬の肉だと思っていたら、誰でも食べられる。あるいは、仮にグロテスクなままでも美術として考えれば受け入れられることもありますよね。自分の肉片である作品を、綺麗に料理してレストランに出すのか、美術としてエグイままで出すのかという「自分の演出」…それをトータルに行う仕事が、小説家だと思っています。
――では、肉触はどういう料理になったんですか?
 「肉触」は、料理方法は分からないんですけど、あれはかなり肉を肉のまま出したような気もします。
――そのうち、レストランにだすようなコーティングされた小説を書いたりするんですか?雰囲気が変わりそうですが。
 常にぱっと見では、必ず汚くないようにしているんです。グロテスクなまま美術で出してと言っても、美術だって一応「美」の術なので。「肉触」は、肉を肉のまま美術にして出したということなので、レストランに出すものを今後書いてもジャンル的にはそれ程変わらないのではないかと思っています。
――初の作品が17歳という若い時期のものだっただけに、今後年齢を重ねていく上で、作風にもかなりの変化があるかなと思うんですが…
 基本的なスタイルは常に変わらないと思います。これまでだって、いかに若さを売りにしてくださいと言われても、私はしてこなかったつもりですから。これから私がもっと成長して、今では足りない技術・知識を、30歳、40歳になった時にもっと磨いて良いものが出せるということはもちろんあってしかるべきだと思います。でも、基本的な考え方や、基本的な仕事に対する取り組み方は、肉触の時にだいぶ勉強させて頂いたんで、それを生かしていくつもりです。
――それは、「肉触」を自分で書いていく内に学んだということですか?
 いいえ、出した後の校正が一番大きかったですね。その作業は編集者の方との兼ね合いで、相手のおっしゃる要求にいかに自分らしく答えるかっていうことなので、そこで随分勉強させて頂きました。また、新聞社の方とお会いするたび大人の方と接するにはどうするかということから、もう全て、仕事はどうするか、何を書くのか、どう相手の期待に応えるのか…と。
――10年後や20年後、目指すものはありますか?
 うーん、目標は、書き続けることですね。小説家として、本を出して。
▼文章においては、まだまだです
――では、その夢である小説家になりたいと思われたのは、いつ頃ですか?
 6歳の時ですね。幼稚園の頃は皆「パンが作りたいからパン屋さん」とか言っていたのが、そういう視点からじゃなく職業を考えた時に小説家という職業の存在を知って。でも、小学校の時とか特に文章が上手かったわけではなく、作文なんかも普通に書いていただけなんですけどですね。
――それなら、文藝賞で優秀賞を取られた時なんかは、周りに驚かれたのでは?
 親しい友達には自分は将来小説家になりたいということを決めていたことを言ってあったから、特に驚かれることはなかったんですけど…それ以外の人はやっぱり、ちょっとびっくりしたみたいですね。
――以前詩のコンクールにも入賞されたことがあるそうですが、詩の方も良く書かれていたんですか?
 はい。6歳の時からずっと小説家になろうとは決めていたんですが、やっぱり小学校・中学校の間って、文章をまとめて書くっていうことがものすごく大変なんですよね。「これはまだまだだ」と読んでいて気づいて。でも、その中でも時々「これは使っていきたい!」と思う言葉や文章の節が出てくるので、そういうのを詩の形にしてよく保存していたんですね。その中から詩としてまとめたものを試しにちょっと送ってみたんですけど。
――今は、本も出されてまとまった文章が書けるようになってますよね。詩はもう書かれないんですか?
 文章においては、まだまだなんですけどね。だから今でも言葉で残すっていうのはよくするんですけど…やっぱり今は小説を書いていかなきゃという意識があるので。
 詩は、また私が50歳くらいになったらやってみたいとは思うんですが、本当に難しい世界だから今の私が無用心に触ると、もったいないというか…そんなところまで私はまだいけていないと思うんで。
▼10のことを書くのに、10の知識では足りないのが小説
――作品を一つ書くのは時間がかかると思うんですが、SFCに入ることにいたったのは?
 勉強がしたかったので、どうしても大学に行きたかったんです。それでどこの大学にいこうかと思ったときに、SFCは本当に色々なことに触れられるじゃないですか。それぞれの道ですごい人が一杯いて、刺激をより他部門から受けられる。そういうことがすごく大事だと思っていたので、自分も授業も色々な方面をとってみたりして、知識を吸収したりしたほうが将来的に絶対いいだろうと思いました。
 大学に求めるものとして、文章の書き方を習いたいとかスキルを得たいとか、そういうことよりも、他部門に触れていたいというのがあるんです。例えば、小説というのは主人公が何をやっているかによって、すごい幅の知識が必要になるじゃないですか。10のことを書くのに10の知識では絶対に足りないんですよね。100の知識をもっていて、それを小出しに10にして書いて初めて成立する。大学に行って、自分で本を読んでとかいうのではなく、大学に行って実際その分野の専門家に意見を聞いて、そこから吸収して初めて実になるというか…初めて10の力が出せるという部分があると思ったので。
 大学では常に小さなノートを持ち歩いて、感じたものをメモしたりしていますね。
――小説以外にも、大学でやりたいことはありますか?
 映像や舞台に興味があって…脚本を書いたり、その(作品の)映像を自分で作れたりしたらベストかなと思っています。
――大学での勉強や色々な活動と並行して、執筆活動もやっていかれるんですよね?
 はい、今は浪人時代に仕上げた次回作の原稿の編集に入っていてます。私はかなり筆が遅い方なので、一年に一本仕上げるのがぎりぎりだったりします。それさえも、勉強が忙しくなれば書けなくなるかもしれないので、その辺はゆっくり。ペースを保つ為に、浪人の間に一本書いておいたので。
▼「小説家・佐藤智加」として
――今後の執筆活動で、「これをやりたい!」とかいうものはありますか?
 雑誌の連載がやりたいんです。新聞紙上の連載の仕事をいくつか頂いているんですけど、新聞でのコラムだとすごく規制が多いので…例えば絵を入れてみたりだとか、写真を入れてみたりだとか、ちょっと変わったことを雑誌やれたらな、なんて思っているんですけど。
――新聞って自由に書けないものなんですか?
 私は文化面ではなく社会面でコラムを書かせて頂いているんですね。自由に書いていらっしゃる方もいると思うんですけど、私の場合は17歳で賞をとったということで、「若者らしく」ということをずっと言われて。もちろん不満があるわけでは全然無いですが、「社会に対して怒ってください」とか、「もっと若者らしい視点で切り込んで下さい」とかそういう話が非常に多くて…私もそんないつも怒っているわけではないので、ネタにはいつも困りますね。(苦笑)
 そういった仕事が来るきっかけは、一番最初に頂いた新聞のお仕事で、私がかなり怒った文章を載せた事が原因なんです。それがかなりうけてしまって、「その調子で」といつも言われていて。私は通っていた高校ともめごとがあったものですから、そのことを書いたらすごく反響が来て…お仕事を持ってきて下さる方は、「そのコラムを書いた佐藤智加」を期待していて、必ずしも「小説家・佐藤智加」である必要は無いと。私は「小説家・佐藤智加」としてお仕事をやらさせて頂きたいので、私の名前でこれは出していいのか、いけないのかをいつも悩みながらやっています。いかに自分の仕事として、自分のスタイルを守って出していけるかっていうことが、いつも大変ですね。
▼RING恒例の質問
――気になるSFCの学生はいますか?
 まだ入学したばかりなので全然わからないんですが、先輩に会って話をしたりすると、誰もかれもみんなすごいじゃないですか。皆さんそれぞれにやりたいことがあって、野望があって、しかもそれを実現するためのスキルも持っていて…そして実際に動き出している人達が一杯いる。そういう場所に今まで身をおいたことがなかったんですよね、だから会う人会う人みんな気になるという感じです。 
――では、気になる教員の方は?
 佐藤雅彦先生です。作るための方法論などをやっていらっしゃるじゃないですか。ルールとか、そういう考え方、すごく好きなんですよ。SFCに入る前から佐藤先生がSFCにいらっしゃることは知っていたんですが、知った時は「佐藤雅彦さんが、教授としてここにいる大学があるなんて!」と、すごく驚きました。それもSFCに入った大きな理由ですね。
【編集部から】
 第一印象、とてもチャーミングであった佐藤智加さん。インタビューでは、同世代とは思えないほどとても落ち着いた口調で、淡々と話してくださった。謙虚な姿勢の佐藤さんに、偉大さを感じてしまった私たち編集委員。小説家になろうと思ったきっかけや、彼女の小説のスタイルが出来あがる過程に関する質問に対する答えの中に、「自然に」という言葉が多々あった。その言葉から、「天性的な才能か」と感じた。
 彼女自身が残していたコメント、「まずは成長すること」。学生時代多くの人々と接し、様々な刺激を受けていきたいと話していた佐藤さん、今後さらに作品に磨きがかかり、素敵な作品を書いていくことだろう。今後の作品、そして、佐藤さんがSFCでどのように生活を送っていくか、注目していきたい。
【佐藤 智加】プロフィール

佐藤智加

1983年名古屋生まれ。1999年に「死というものの日常」で中野重治記念文学奨励賞第八回全国高校生詩のコンクール優秀作を受賞し、2000年には、第37回文藝賞優秀作を「肉蝕」で受賞した。2002年に慶應義塾大学環境情報学部に入学、現在パソコンに苦戦しつつも学生生活を満喫中。
趣味:お笑いが好き・楽器ではトランペット・趣味はたくさんある
好きな小説家:芥川龍之介、梶井基次郎
高校時代の部活:柔道
サークル:現在、模索中
履修している授業:画像情報論、音像環境論など
進行中の連載:東京新聞、中日スポーツ(コラム)
性格:人見知りは激しいが、人と接することが大好き