『SFC CLIP』が100号を迎えた、ということで感懐深いものがある。『CLIP』スタートの前を考えると、インターネットの時代に入って、その最先端であるSFCで、依然として事務室の掲示板や月刊の紙の大学新聞しか情報交換のメディアがない、という状況だった。それを慨嘆するのではなく、メールマガジンやこれと連動したWEBサイトで詳報を伝える新しいメディアの実験をだれかがやらないかと思っていたら、2000年秋学期当時の中島洋研究会のメンバーが、『CLIP』の企画を提案してきた。「我が意を得たり」というのはこのことだった。


 ただし、2001年3月中旬にもちこまれた企画は、「7月までに検討して月に一回の発行」という間延びしたものだったので、僕は、「4月1日スタート、日刊」という無理な注文をつけた。企画を出してきた初代編集長の千原啓君(2003年卒)を始めとする学生たちはたじろいだが、そこから作業を突貫工事で進めて、4月初めには形ができ、4月にスタート、何とか週刊で発行し始めた。重要なことは、メンバーの時間と知恵を消費する以外には、サーバーとなるパソコンが一台あればスタートできる、インターネットのメリットをフルに利用できたことである。長い歴史があるが情報が遅い紙のメディアが、印刷費、紙代、配布のスペースと高コストなのに比べて、発行のコストはただ同然だ。ここに新しい強力なメディアが誕生した。「情報メディア論」を講じていた僕の果実もあった。
 新しいものを作ることはどんなことでも刺激的だが、インターネットやケータイという新しいインフラの上に、コミュニティメディアを作るという経験は、メンバーにとってこの上ない刺激だったと思う。事務室や食堂の情報を効率的に集める仕組みづくり、学内のニュースを集める人的ネットワーク作り、と、慣れない作業も熱意によって乗り切り、当初僕が想定したものより、遥かに高い水準のものが次第に完成していった。メンバーの努力に敬服するほかない。
 『CLIP』の「C」はキャンパスのCでもあり、コミュニティのCでもある。生活空間を共有する人たちの間の情報の出入り口である。読者の生活の役に立つ「情報」を伝えるのがまず第一で、授業の情報、SFC生の活動報告、研究室の対外活動の記録、早慶戦の結果速報など、スタッフの目に留まり、関心を刺激した「情報」を伝える「便利」なメディアであることが一つの役割だが、それだけではここまで浸透しなかったと思う。通常は3号雑誌で終わってしまう多くのメディアと違い、『CLIP』が100号に達する発行を重ねて成功したのは、問題を発掘し、考える「ニュース」も積極的に載せたからだと思う。
 「ニュース」というのは、自分には利害関係がないが、「へえー」と思うような新しい出来事である。感情を刺激する出来事である。学部長選挙の結果の速報、SFCの教授や学生が関係した社会的事件やSFCに関係した制度上の矛盾、学内の事故などが記憶に残るニュースだが、9・11同時多発テロの時(*) には、多くのSFC関係者が米国に滞在しており、その安否や動静が号外として発行され、学内メディアとしての地位を確立したものとして記憶に鮮明に残っている。
少ない人員で毎週、発行して行くのはとてつもなく大変な作業だが、ぜひ、「メディア」の本質を経験する絶好の舞台として、SFCの多くの学生に参加してもらい、さらなる発展を期待している。
(筆者は、97年-02年までSFC教授として「情報メディア論」などの講義を受け持ち中島洋研究会でCLIPの発行を指導した。現在は日経BP社編集委員兼国際大学グローコム教授)