1日目に行われたプレミアムセッション「政権交代-これからの日本」では、外務副大臣の福山哲郎氏と、上山信一総合政策学部教授、曽根泰教政策・メディア研究科教授の鼎談が行われ、現在の政権について幅広く語られた。


■パネリスト
・福山哲郎氏(外務副大臣)
・上山信一総合政策学部教授
・曽根泰教政策・メディア研究科教授
 曽根教授から今の心境を聞かれた福山氏は、まず「このイベントでお話しできること、すごく嬉しく思います。」と述べ、SFCができた2年目から 1年半、TAを務めており、1-3期生との交流もあったという意外な過去について触れた。その他、カルザイ大統領の就任式に出席するため訪れたアフガニスタンでの体験なども語った。

曽根泰教教授・福山哲郎氏・上山信一教授

次にマニフェストづくりのプロセスについて上山教授が問うと、その中心的な人物だった福山氏は、2003年のマニフェストが基本的には国政選挙で最初のマニフェストで、選挙における政治と国民とのコミュニケーションツールを変えた1つのきっかけと述べた。
 自民党型の公約集はウィッシュリストだが、民主党の場合には基本的に期限・到達目標・財源を明示をする形を提示し、マニフェストというツールをつくったことによって、次の政権交代という道筋をつけたという。
 しかし、2005年の郵政選挙で民主党は惨敗。提示したマニフェスト、作ったスキームをギリギリのところまで凝縮した形をつくられて負けた。当時のマニフェストには、今おこっている政治課題が全部含まれていたという。
 政権交代の際のマニフェストは、従来の流れを踏襲し、課題をそれなりに克服し、財源の問題については、より精密な情報入手をした中でブラッシュアップをしていった。去年の6月頃から準備をはじめ、10月の頭頃にはマニフェストのデザインぐらいまではできていた。これにより、1年間きっちり選挙活動ができ、国民の皆さんに浸透させていただく時間があって、最終局面につながったと福山氏は語った。
 また福山氏は、少なくとも4年間かけて「マニフェストをどう実現していくか」という工程表を作る、という考え方は、リアリティを持たせたいという思いの他に、いっぺんに財源が出ないため、時間をかけて財源を出す工夫をしたいという事情があることも認めざるを得ない、と述べた。
 
 財源の議論において、非常に大きな意味を持ったのは、参議院選挙における過半数確保。おかげで民主党は、「参議院では、多数をもって無理をすれば国政調査権の発動ができる」というカードを手にすることとなった。これにより、役所では国政調査権が発動される前に最低限の情報・資料は出しておかなければいけないという空気に変わってきているとも述べた。
 この他、役所の手口、子ども手当て、大臣・副大臣・政務官の仕組みが機能している理由、事業仕分けなどについての討論が行われ、鼎談後にはフロアから積極的に質疑が出た。