【セッション】未知の領域へとひろがるデザイン だれも知らないデザインの世界へようこそ
ORF2日目の23日(火)、立ち見が続出したセッションがあった。「未知の領域へのデザイン」である。ひとくちにデザインと言っても、パネリストの職業はさまざま。いわゆるデザイナーの枠を越えた人たちによって、熱いデザイン論が繰り広げられた。豪華パネリスト陣によって交わされたこれからの「デザインのかたち」とは。
■パネリスト
・土佐信道氏(アートユニット明和電機代表取締役)
・野田篤司氏(宇宙機エンジニア)
・平野啓一郎氏(小説家)
・中村勇吾氏(インターフェースデザイナー)
・山中俊治政策・メディア研究科教授
個性あふれるパネリスト
セッションは各パネリストの紹介と、それぞれのデザインに対する考え方のプレゼンテーションから始まった。SFCの教授でありプロダクトデザイナーである山中教授の進行に沿って、それぞれの領域から「デザインのかたち」が追求される。
土佐直道氏
土佐氏は明和電機という「中小企業」を模したアートユニットの「代表取締役」だ。アートとして「作品」を制作したのち、できたものをマスプロダクトに落とし込むという特異なスタイルをもってデザインを行っている。アートとデザインの間を行き来する土佐氏は「したいこと」をベースに、ある種の「あそびごころ」をもってデザインをすることが必要だと述べた。
野田敦司氏
野田氏は筑波宇宙センターで宇宙機のデザインをおこなうエンジニアだ。「現行の宇宙機はどうしてかっこわるいのか?」という疑問を持ち、宇宙機を「かっこいい」ものにするべく「デザインのかたち」を探っている。エンジニアリングを軸に宇宙機のありかたを追求してきた野田氏はデザインを「設計」ととらえ、使命と目的を持ったデザイン戦略の重要性について述べた。
平野啓一郎氏
平野氏は最年少で芥川賞を受賞した小説家。文学の領域にデザインの概念をもちこんで執筆をおこなっている。書き手と読み手がともに多様化する現代において文学を追求する平野氏は、デザインは「かたち」の問題に帰結するとし、関係性と共同性のなかに相対的に構築されると位置づけた。
中村優吾氏
中村氏は子供向けデザイン番組「デザインあ」の制作や、auのスマートフォンINFOBARの画面設計、Webサイトの構築など多様なデザインを手がけるインタフェースデザイナー。自らのデザインの軸を「アニメーション」であると捉え、グラフィカルに現象を見つめることで、激しく変化する情報社会のデータベースへのアクセスを設計している。中村氏は垣根をこえたデザインが重要になるとし、さまざまな観点からの意見が必要だと述べた。
デザインにおける「かたち」とは?
山中教授
土佐氏の「あそびごころ」、野田氏の「設計」、平野氏の「かたち」、中村氏の「アニメーション」、それぞれのパネリストの「デザインのかたち」の特徴が語られた後は、山中教授がその場でデザインについてのテーマを提示し、セッションの第二部が開かれた。
最初のテーマは「『かたち』とはなにか」であった。デザインの意義が広がっている現代において一定の「かたち」が求められているのではないか、という平野氏の提言に沿って定められた「かたち」に関する議論は、やがてさまざまな観点から述べられる「かっこよさ」についての話に昇華していった。
このように各パネリストは「かたち」に関する議論のなかで「デザイン」と「かっこよさ」の関連性について語った。デザインにおいて「かたち」はいつも社会によって相対的にとらえられるものであり、作品が共同体にエントリーするときの入口になるのではないか、という提言がなされた。
メディアとの関わり方はどうあるべきか
セッションが白熱していくなか、デザインにおける「かたち」や「かっこよさ」は社会によって相対的に定められるのではないか、というテーマがもちあがった。社会の中で相対的に定められるということは、人と人を介在する存在としての「メディア」について考慮しなくてはならない。
デザインをする人は「メディア」をどう捉え、どのように関わっていくべきなのだろうか。
「メディア」に関する議論は、自分が伝えたいことをいかに伝え、社会との関係を構築していくかという議論に繋がった。デザインがアートと決定的に違うのは、社会の要請に応じて表現をしていくという方向性だ。自分が存在する共同体としての社会にエントリーすると同時に表現を行うために、デザインは存在する。
これからのデザインとは…?
デザインの意味については、いまなお白熱した議論が続けられている。しかし自分の中に「伝えたいこと」「やりたいこと」という確固たる核をもち、それを伝えるということを真摯に考えれば、うっそうと茂るデザインの森のなかにも道すじが見える。そう思わされるセッションだった。