今年の夏、佐藤彰恵さん(看1)と李紀慧さん(看1)は地域医療の現状を知るために岩手県陸前高田市や青森県佐井村でフィールドワークをおこなった。1年生でありながら、なぜ地域医療の現場を見ようとしたのか。今回の看護医療学部特集では、そんな2人へのインタビューをお送りする。

医師不足、医療過疎、無医村… 地方医療が抱える問題を見つめなおす

—— そもそもなぜ地域医療についてのフィールドワークをしようと思ったのですか?

佐藤

看護医療学部では、慶應義塾大学病院があるおかげか、超急性期医療、先進医療も含めて幅広い知識を吸収することができます。私は、こうした恵まれた環境の反動があってか、その一方にある、地域のネットワークを活かし、住民の健康を支える地域医療も忘れてはならないと考え、そういう地域医療の先進事例や実態も学びたいと思いました。そこで東北にフィールドワークに行くことにしました。

—— なるほど。地域医療の現場としてなぜ被災地を含む東北を選んだのですか?

佐藤

私がフィールドワークをおこなった岩手県では震災以前から慢性的な医師不足問題を抱えていました。そのなかでも医師不足が深刻だった沿岸部の自治体は、津波で壊滅的な被害を受けました。津波は、医療のハード面(施設)、ソフト面(人材、ネットワーク)ともに甚大な被害をもたらし、問題をさらに深刻化させています。

そんななか陸前高田市の基幹病院である県立高田病院は、訪問診療に力を入れることで震災前から注目されています。医科・歯科・看護・OT(作業療法士)・PT(理学療法士)・管理栄養士などの専門職が連携・情報共有し、生活に潜む病気を探る「患者をまるごと診る医療」の提供が特徴的です。こうした医療が震災前後でどのように変化したのか、震災当時の状況とあわせて取材したいと考えました。

同時に、医療・介護・福祉をイチから再建する被災地の医療再生は、全国の医療過疎地のモデルになりうるのではないか、とも考えました。高齢化が進行するなかで、貴重な医療資源を効率的・有効的に活用し、かつ患者・住民にとって「地域に安心して住み続ける」ことができる地域と医療のあり方について、フィールドワークを通して勉強したいと思ったのです。

—— 陸前高田市へは地域医療の先進事例の今を知りたくて行ったのですね。では、青森県佐井村の方はなぜ訪問したのですか?

佐藤

都市部にいると、交通の便がよく医療機関へのアクセスが容易です。しかし、医療過疎地域では最寄りの医療機関に行くには時間がかかり、バス、タクシーなどを利用すると交通費が医療費を上回ることもあります。とりわけ、高齢者が多い地域では、移動自体が困難なことです。青森県下北半島の西岸に位置する佐井村は、長らく「無医村」(無医地区)となっています。同じ医療制度のもとで医療格差が生じている状況において、地元住民、自治体担当者は村の現状をどう捉えているのか。こうした医師不足、医療過疎、無医村問題を掘り下げて考えてみたいと思い、陸前高田市と合わせて佐井村を今回の研究のフィールドとしました。

—— 陸前高田市や佐井村での訪問先はどのように決めたのですか?

佐藤

震災直後に岩手県沿岸部で医療支援、被災者支援をはじめ、現地と関わり続けている、青森県内の開業医で組織する団体に依頼しました。

医療に関わる全員に感じたプロフェッショナル意識

石木幹人前院長にインタビューする2人 石木幹人前院長にインタビューする2人

—— 陸前高田ではどのようなインタビューをしましたか?

今回、陸前高田と佐井村にインタビューさせていただくにあたって、私たちは「学生だからこそできること」に焦点を当てました。私たち学生は現地の医療を変えることはできませんし、現地の人が動かしていくしかありません。けれども、学生である私たちが、同じ学生への発信の担い手になることはできます。そのため、インタビューさせていただいた方全員に「学生に伝えたいこと」を伺いました。また事前にFacebookなどで、学生や地域医療に興味のある方から募集した質問をさせていただきました。

—— 現地では誰にどのようなお話を聞くことができましたか?

まず、陸前高田市にある高田病院の前院長であり、名誉院長の石木幹人先生にインタビューさせていただきました。石木先生は実際に東日本大震災での被災を経験されていることもあり、震災当時のお話に加え、陸前高田の現状、そして石木先生がどのような考えの上で医療をおこなっているかを聞かせていただきました。

お話を聞かせていただくなかで、石木先生は医師とほかの医療者(医療従事者)を同じ専門職として考えておられることを多々感じました。都心の病院では、医師の指示のもと患者の治療方針を決めるのですが、石木先生は高齢化が進んでいくことを見越して、医療者全員に同等の知識をつけることにまず尽力されていました。具体的には、職員全員を、嚥下障害・褥瘡(床ずれ)・リハビリ・栄養・排泄の5つのグループに振り分け、それぞれに勉強会を開くことで知識レベルをあげていったそうです。

一人の患者さんを多方面から診る、そのために医療者の医学的知識レベルをあげ、全員が同じ言語で高度に会話できるようにしたというお話に、高田病院の方々がそれぞれプロフェッショナル意識を持っているのはこういった背景があったんだなと思いました。

それと、生きがいをつくるというお話も印象に残っています。震災を経て、多くの方が生きる気力をなくされて、そのとき「それでも生きる」という思いになれたのは、「生きがい」があったからだと思います。その対象は人かもしれませんし、物かもしれませんし、趣味かもしれません。非常事態に直面したとき、生きる原動力になる「生きがい」をつくるという働きを石木先生は重視されていて、とても勉強になりました。

—— 石木先生を中心に病院全体で総力を挙げて取り組んでいる様子が伝わってきますね。ほかには誰にインタビューしましたか?


高田病院の現院長である田畑潔先生にもお話を伺いました。被災当時のお話に加え、現在院長として働かれているなかで感じる訪問診療の問題点などもお聞きしました。高田病院の総看護師長・看護師さんには、被災を通して「看護とはどういうものと感じたか」ということを聞かせていただきました。

田畑先生のお話では「学生に、原点にかえってほしい」という声をいただきました。医療系学部に入学するにあたり、多くの人が志を持って入学したと思うのですが、時間の経過とともに当初の志が消えかかってしまうものです。けれど、「本当は自分はなにをやりたくてその職種を目指したのか思い出してほしい」ということを強調されていました。私自身も、慶應を出た先のゴールを常に見据えながら、学生としてできることをしていきたいと改めて思いました。

高田病院は、津波で最上階の4階まで完全に浸水しました。そのため、病院にある医療物資がすべて流されてしまい、屋上に避難した際、手元にはほとんどなにもなかったそうです。そのなかで看護師さんたちは、経験とあらゆる感覚を駆使しながら患者の血圧や熱をはかり、救助を待ちました。そのとき、「病院がなくとも、何もなくとも、看護ができる」ということに喜びを感じ、「同時に自分自身も救われた」とおっしゃっていました。医療的処置を行えない環境でも、「ただそばにいること」が患者さんのケアにつながるというお話も印象的でした。

高田病院の看護師へのインタビューの様子 高田病院の看護師へのインタビューの様子

無医地区の佐井村と向き合う

—— 佐井村ではどのようなインタビューをしましたか?


佐井村に関しては、私たちはとにかく多くの人に「佐井村を知ってもらう」ということを最重要視していました。なぜなら、佐井村は無医地区であるという大きな問題を抱えているのにも関わらず、その問題を取り上げる記事は2008年以来見受けられません。そこで、私たち自身で、佐井村が今どういう現状なのか、何を求めているのかを把握し、多くの人に知ってもらおうと考えました。

医師のいない佐井村では、病院に行こうとすると、一番近くても車で40分かかる大間病院(下北半島北端)に行くことになります。もしそこで十分な治療を受けられなければ、船とバスを乗り継ぎ3時間ほどかけて函館に行くか、車で2時間半のむつ市にある病院に行くか、という選択しかないのが現状です。村はもちろん医師を求めているのですが、公的な病院は建てられていない状況です。

そもそも東北の僻地には、僻地医療の向上のために設立された自治医科大学(栃木県下野市)から卒業生の医師が派遣され、これが現在東北の医師不足を解消する大きな働きとなっています。しかし、医療統合が行われたことにより、佐井村から大間病院に医師がひきあげられ、自治医大から佐井村への医師派遣が行われなくなってしまいました。では、大きな病院からの派遣ではなく個人で来てくれる医師を探すのはどうなのかといえば、医師を探す方法がなく、医師募集に踏み出せていないのが現状のようです。

佐井村役場の課長にインタビューする2人 佐井村役場の課長にインタビューする2人

看護を学ぶ者として現場に関わる意味とは

—— この夏、実際に東北に足を運び、どのようなことを感じましたか?

私は今回初めて東北に行ったのですが、行ってみなければ何も感じられないなと思いました。東北の雰囲気も、地域医療ってどういうものなのか、ということも机上の勉強だけでは、おそらく実態から大きくそれていってしまう。今回東北に行ったことで、医療のことに限らず、自分が興味を持ったことは自分の足で確かめに行くという姿勢の大切さを強く感じました。

佐藤

震災が起きてから、東北に行くのはこれで2回目になります。震災直後を振り返れば、現在は確かに復興が進んでいます。しかし、住民の方々の需要には完全には応え切れていないのが状況のようでした。現地の方が「早く住む家がほしい。計画が遅くなる遅くなるって言うけど、俺たちはそれまで生きてられねぇ」とため息をつくのを耳にしました。着実に復興を遂げつつあるものの、スピードという面ではまだまだなのだと感じました。

さまざまな分野でそのようなことが起きていますが、医療に関しては「まだまだ時間がかかる」という甘いことは言っていられません。命がかかる現場において、処置を待っている患者に、すばやく的確な医療と看護を届けなければなりません。しかし、東北は医師不足という問題を抱えています。今回被災地を訪問し、そのことがよくわかりました。ただ、そんななかでも地域に根付いた医療・看護を懸命におこなっている東北の医療を目の当たりにし、とても感動しました。

そして、机上の空論では意味がないと感じました。やはり、行動に移し、足を運ぶことは何よりも大切なのです。医療だけではなく、東北の空気、景色、食、人々と出会うことで、東北の良いところも感じることができました。

—— 看護に関わる人として現場でフィールドワークをする意味とは何だと思いますか?

広い視野が持てることだと思います。看護師になったとき、多くの人の背景を考え、受け止め、寄り添うためには広い視野が必要だと私は考えているのですが、現場でフィールドワークをしてさまざまなことを肌で感じることが視野を広げる手助けになるのではないでしょうか。

佐藤

現地に行き、目、耳、肌で感じることは、何よりも大切なことです。そうでなければ学べないことがたくさんあるからです。私は、病に苦しむ患者やその家族を心身両面でサポートできる看護師を志しています。患者やその家族の不安解消のためには、専門分野はもちろん、広く知識や教養を身につける必要があります。多くの方とふれあう看護では、さまざまな経験をした方との出会いが待っているため、私たちは看護職者になるものとして、多くの経験をしなければなりません。そして、こうした積み重ねが知識と教養をより豊かなものにし、患者やその家族に対する安心と癒しに寄与するものと信じています。

6日(日)にフィールドワーク発表会 アイデアを佐井村へ

—— これからの活動予定を教えてください。

12月6日(日)に信濃町キャンパスで、今回お話した東北でのフィールドワークの発表会を行います。学生を対象にしていて、4年生の先輩方の離島医療・国際医療についてのフィールドワークの発表会と合同で行います。そのイベントでは参加者も交えて、佐井村に医師を呼ぶためにどうすればよいかというディスカッションも行います。そこで出たアイデアは、少しでも佐井村に医師を呼ぶ手助けになれればと思い、佐井村の役場にお送りする予定です。個人的には次の春か夏に東北をもう一度訪問しようと思っています。

また、地域医療のみならずさまざまな分野に関心を持っていこうと思っています。私は児童相談所での学習支援や子どもと遊ぶボランティアをしていますが、児童相談所にいる子どもたちは学校に行けないために勉強面で遅れがあります。さらに、せっかく子どもたちと仲良くなれても、児童相談所を出たあとには関われないことに不甲斐なさを感じています。そのため、今後は、児童相談所を出た子どもたちが勉強を無料で教えてもらえる場所をつくっていきたいです。

終末期医療にも関心を持っています。海外では終末期医療の捉え方が日本と大きく違います。そのため、海外の看護師免許を取得することを検討し、終末期医療についてより深く学ぶことを検討しています。ホスピスの認知度を日本で広げていくという目標もあるため、ホスピスでのボランティアも始めようと考えています。

佐藤

私も、これからも多くの場所に足を運び、経験を積んでいこうと考えています。例えば、6日の発表会で合同発表する離島医療を学んだ4年生の先輩方と話すうちに、自分も離島医療に興味を持つようになりました。そこで、来年は離島医療についてフィールドワークを通して学ぼうと考えています。

また、東北にも関わり続けようと思っています。まだ詳しくは決まっていませんが、東北で開かれる全国の高校生が集まるサミットのお手伝いなど、さまざまなイベントに関わるつもりです。幅広く活動していくと同時に、自分だけの学びで終わらせるのではなく、その学びを広く発信していこうとも思っています。

(写真はすべて佐藤さん、李さんより提供)

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