19日(火)4限、「情報と倫理」(武田圭史環境情報学部教授担当)で、ブログ「ジャーナリストの視点」で知られるジャーナリストの佐々木俊尚氏が講演した。「ライフログ時代の報道と野次馬の境界」と題して、報道のこれまでとこれからについて語った。

佐々木俊尚氏、SFCで講演

履修者以外も参加し、教室は満員に。

「みなさんも現場にいたら撮影するでしょう。僕だってするかもしれない。」

佐々木俊尚氏、SFCで講演佐々木俊尚氏、SFCで講演
事件以来休止されている秋葉原の歩行者天国。「かなり楽しんでいたと思います」との記述で炎上したブログ
授業は昨年6月の秋葉原通り魔事件を巡る騒動を振り返るところからスタートした。痛ましい事件の直後、場所柄ITリテラシーの高い層が多かったこともあり、多く人の携帯電話やデジカメが現場を記録しはじめ、中にはMacBookとUstream(※1)を使って1000人以上に生中継した人もいた。これらの人々の行動は多くのマスコミに批判的に紹介される事となった。
しかし、そうした行動はマスコミとどう違うのだろうか。大きな問題提起を切り口に講義は進んだ。野次馬と批判するのは簡単だが、報道陣は取材と称して類似の行為を行ってきたではないか、と。
逆に一次情報を生中継する行為は、もはやそこにジャーナリズムが発生していると言える。実際、「ムンバイ同時多発テロ」(※2)や「ハドソン川の奇跡」(※3)では、TwitterやFlickrにリアルタイムで状況が投稿されていた。TwitPic(※4)などのサービスで、呟くように記録を共有できる環境では、簡単に報道が実現する。

記者を蝕む事件現場という麻薬

次に毎日新聞の事件記者時代の佐々木氏自身の経験から、マスコミ側の内幕が生々しく吐露された。八王子スーパー強盗殺人事件(※5)や東電OL殺人事件(※6)の報道を通して興奮と限界を感じたという。
特に、取材する側にとって事件現場には魔力があると強調した。ほとんどの事件記者・カメラマンにとって、事件の発生当初には、自分が非常に恐ろしい事件の舞台の真っ只中にいる意識、要するに野次馬根性しかない。そうした意識は、延々と取材を続けるうちに、取材する側が内側に潜り込んで行く感覚に変化する。
一方で、取材だけではどうしてもわからないという限界として、東電OL殺人事件の例を挙げた。いくら取材してもわからなかった被害者の心情を、桐野夏生氏が小説『グロテスク』で解き明かしてしまった。フィクションを書く小説家は、取材という行為を飛び越えて、当事者の心に迫った。こうした、当事者であるかどうか、事件の内側に入り込めるかどうか、というのが報道に必要になってくると示唆した。
同時に、当事者性を帯びた報道は、「新聞やテレビというのは、客観報道が原則。内側に入ってしまうような癒着は許されない」という批判をこれまで浴びてきた、報道のタブーでもあった。

空間共有性が欠けるマスコミ、当事者が発信するライフログ

佐々木俊尚氏、SFCで講演

武田教授曰く「ネットのことを書いているジャーナリストで一番良くわかっている」。
佐々木氏はこうした報道の限界に対して、誰が取材・撮影するのかではなく、する側とされる側の間の「空間共有性」が鍵となると指摘した。事件現場で作られる報道陣の「居場所」に各社が勢揃いするようでは、報道の視点は固定化されてしまい、当事者性は生まれようがない。
一方で、当事者性は痛みを伴う。新宿バス放火事件(※7)のように、目の前の人を助けるか、報道するかという究極の選択になる。佐々木氏は同僚の記者と「被害者の未亡人と再婚するくらいじゃないとまともな報道ができない」と冗談を交わしていたという。
確かに、報道は公共性という皮を被っているだけで、野次馬と大差はない。しかし、撮影することの正当性が、当事者性にしか依らないならば、誰も報道することができなくなってしまう。この報道が内在する問題に結論は出ていないと語った。
そして、新たな報道の可能性として、ライフログ時代の訪れを指摘した。今はSFの世界の話ではあるが、目の前で起きていることが録画されるようになれば、報道との差はそれを公衆送信するか否かでしかない。私的な空間のプライバシーが取り払われ、すべてが透明になれば、権力の権力化を防ぎ公平性が担保される社会になる可能性もある。
現在はマスメディアという共同幻想装置を通すことで、視聴者は生々しい映像に触れているが、ライフログが共有される時代では、撮影する行為そのものが公共的な行為になると述べ講義を締めくくった。

これからの時代に求められるポータルサイトとは

佐々木俊尚氏、SFCで講演

多岐にわたる質問に丁寧に答えていった。
多めにとられた質疑の時間では、学生から活発に質問が飛び出した。いくつかご紹介したい。
「当事者であっても、どこに発表するか、が重要なのではないか」
かつてはマスメディアと個人はまったく別のものであったが、現在はGizmodoやJ-CASTのようなミドルメディアもあるし、何百万の読者を持つブログもある。もはや、組織かどうか、法人か個人か、というのは判断の基準にならない。
「生まれながらにインターネットが当たり前の世代にとって、マスコミの必要性はなくなるのではないか」
マスコミの役目は、「一次情報の取材」「アジェンダ設定(社会への意味の論考・分析)」「権力監視」の3つ。1つ目は情報流通コストが下がったので小規模でも成り立つし、通信社だけでも事足りてしまう。2つ目はインターネットの得意分野。
問題は最後で、調査報道は儲からないためその他の収益に支えられており、アメリカではNPO化する試みも行われている。毎日新聞の1500人の記者のうち、調査報道をしていたのは30人程度。記者クラブにいる1470人をクビにして30人を社会は支えていくべきだろう。
「情報を受け取る読者側はどのように変化していくのか」
読者にもリテラシーが期待されるが、それは難しい。今、400-500のフィードを購読していて、毎日2000件の更新通知が来る。150件くらいを残して、数10件をブックマークしている。
専門性を求めている人や、緩やかな情報を求めている人など様々。Yahoo!やGoogleニュースとは違った、情報を仕分けるポータルが期待されている。
「ライフログは個人が発信する情報だが、社会の財産なのではないか」
一生分のライフログのデータベースは人類の集合的無意識に等しいのではないかという視点。確かに、例えばHR(※8)がもつデータは重要な個人情報ではあるが、人間社会全体が共有すべき貴重なデータであり、ライフログのそういう面を見ていく必要がある。

佐々木俊尚氏、SFCで講演

最後にSFCでの授業の感想を尋ねたところ、「質問が高度で的を射ている」。
【佐々木俊尚氏略歴】
佐々木俊尚氏は、早稲田大学政経学部政治学科を中退し、88年毎日新聞入社。99年にアスキーに移籍し、編集部デスクを経て03年に退職。その後はIT分野を得意とするフリージャーナリストとして活動する傍ら、早稲田大学政経大学院非常勤講師やヤフー株式会社ヤフーニュース・アドバイザリーボード等、幅広く役職も担っている。著作は『ヒルズな人たち-IT業界ビックリ紳士録』や『ライブドア資本論』等。現在は『諸君!』(文芸春秋社)にコラムを連載している。

※1「Ustream」:
Webカメラを使い、ライブ中継動画をネット上で配信出来るサービス。
※2「ムンバイ同時多発テロ」:
08年インドのムンバイで、ホテルや駅等がイスラム過激派とみられる勢力に銃撃・爆破され、多くの人質が殺害されたテロ事件。その規模と組織的な性質から、インド版911とも呼ばれる。邦人にも犠牲者が出た。
※3「ハドソン川の奇跡」:
09年USエアウェイズ機が米ニューヨーク市マンハッタンのハドソン川に墜落したが、乗員乗客は全員無事に救助された。機長の冷静な判断による奇跡だと言われている。
※4「TwitPic
Twitterアカウントを使い、PCや携帯電話から手軽に写真のアップロード・共有が出来るサービス。
※5「八王子スーパー強盗殺人事件」:
95年東京都八王子市のスーパーで、従業員だった女子高生2名とパートの女性1名が射殺された強盗殺人事件。犯人は未だ検挙されていない。公訴時効は2010年。
※6「東電OL殺人事件」:
97年東京都渋谷区のアパートで、東京電力の女性社員が殺害され、数日後に遺体が発見された事件。ネパール国籍の容疑者が逮捕・起訴され無期懲役が確定している。
※7「新宿バス放火事件」:
80年、新宿駅西口バスターミナルで停車中だった路線バスが放火され、6人が死亡、14人が重軽傷を負った。事件時、傍を通りがかったカメラマン石井義治氏は、スクープ写真として燃え上がるバスを撮影したが、偶然石井氏の妹が事件に巻き込まれ重症を負っていた。後に、石井氏は事件に居合わせたにも関わらず妹を助けることが出来なかったショックで報道カメラマンを引退。
※8「PHR(Personal Health Records)」:
患者のカルテなどの医療記録を統合してオンライン上で管理し、患者個人が医療記録にアクセスできるようにする仕組み。

メディアの非営利組織化は納得できる。もともとメディアは社会構成員が「情報を共有」するためのものであり、貨幣価値を生み出す装置という役割は副次的なもの。有機的なコミュニティとして考えた場合に、社会事象を貨幣価値に置き換えている現状に変わる、新しい社会的価値尺度が必要になるのではないか。 単純にパブリックであるか、プライベートであるかという行動原理の違いが、議論されないまま見過ごされ、形骸化してしまっているのではないか。

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