「わかき日には恋のほかにも眠れぬ夜がある」


人生ひらめきである。とつくづく思う。少なくとも自身の体験に照らして。国 立大を目指していた高校3年生の夏にSFCの説明会を見に行った。加藤寛先生の 総合政策の基本コンセプトのレクチャーが何故か頭から離れない。その夜は興 奮して寝付けず、そして一瞬かみなりに打たれたように思った。「自分はSFC に行くしかない。」大学よりも先に自分自身へ入学許可を下ろした。それから SFCで学ぶこと2年。それまで国連職員に漠然と憧れて、肌に合わないと感じる ような授業も辛抱して勉強していた。当時は研究会に入るのは3年生から。研 究会を決めるに当たってふと自分に問いかけた。どうせだったら心から打ち込 める勉強をしたらどうか。そこへ彼女が研究会シラバスを持ってひょこっとやっ てくる。いわく、これが合ってるんじゃないの。千代倉弘明先生の3次元CADと 医学への応用だった。再び興奮の夜。元来好きなコンピュータを医学へ応用、 社会にも役立てる。またピカッとかみなり。「これぞ私のための研究会。いく しかない。」私の人生の分岐点はいつも限りなく一瞬で、大袈裟だが閃光のよ うなものだった。
「如何にひらめくか、どうひらめくかという問題」
トーマス=エジソン先生は語りかける。天才とは1パーセントの霊感と99パー セントの発汗である、と。一瞬のひらめきと弛まぬ努力。一日に20時間近くも 働いた努力の天才発明王ならではの箴言。ひらめきを具現化するのは努力。努力というエンジンに点火をするのは一瞬のひらめき。どちらが欠けても大きな 仕事はできない。一方、アルバート=アインシュタイ博士はナチスドイツの撲滅を願ってアメリカに原爆開発で協力。ところが原爆は博士の愛する日本に落 とされ大惨事となる。博士が非常に後悔していたことは最晩年のラッセル=ア インシュタイン声明からも窺える。いかにひらめくかと同時にどうひらめくか。 つまりひらめきの内容も問題である。
「学者も意外と泥臭い」
若輩者の私の体験記に偉大な先哲の言葉を引用するのは少々生意気かも知れな い。しかし、偉大な師匠の生きざまを自身に照らして燃焼するのは青年の特権 である。研究者を目指す私は発明界、科学界の英雄をとても尊敬している。と ころでここで自己紹介。私は現在、アメリカ・ジョージタウン大学、ならびに ナショナルキャピタルエリアメディカルシミュレーションセンター(以下シミュ レーションセンター)にて、Visiting Research Scholarをさせて頂いている、 慶応大学大学院医学研究科博士課程の学生である。学部、修士のSFC在学時の 千代倉研究会での鍛錬を次のようなプロジェクトに生かしている。ジョージタ ウンでは放射線科に属し、針による生体組織検査をロボットで行なう研究プロ ジェクトに、シミュレーションセンターでは医学生が外科手術の基本技術をコ ンピュータが作り出したバーチャルリアリティ空間内で演習するためのシステ ムの研究、開発に取り組んでいる。研究は大変だけれど、アメリカの首都、ワ シントンDCにてドライブ中にリスや鹿に遭遇しながら通勤する生活はとても楽 しい。
研究者にとって「発汗」とは先行研究に学び、試行錯誤を繰り返すこと。換言 すれば論理の積み重ねと言えるかも知れない。それに対して「霊感」は精神的 な跳躍。思いついたときにはそれが良いのか悪いのか確かめるすべもなく、そ れでいて「これだ。」という確信を持ってこの上なく痺れていることだけははっ きりとしている。そのひらめきの良否を確認するのが実験。大抵はもう一苦労 も二苦労もしなければいけないのだが、努力の末にうまくいけば論文にまとめ て学会誌に掲載される。出来上がった論文は整然と体系的に書いてある。読ん だほうは「ああこの人は頭がいい。とても論理的、体系的に答を導いたんだな。」 と感嘆してしまう。しかし現実は逆である。ひらめきや試行錯誤が先である。 理論、理屈はあとから付いてくる、或いは意図的に付けている場合が殆ど。こ のことは千代倉先生に教えていただいた。研究能力と同時に発表能力を重視す る先生らしいお話だった。
「ひらめきの方法論? ナンセンス!」
偉大なひらめきがほしい。研究にも。人生にも。そうすれば私はいくらでも努 力する。しかしいつになったらひらめくのか。何をすればひらめくのか。この 痒いところを教えてくれる人は中々いない。そのうちひらめくような気もする し、いつまでたってもだめのような気もする。もともと「理論」、「理屈」と は対極をなす「ひらめき」なのだから、ひらめきの方法論を云々することがナ ンセンスかもしれない。しかし実体験を語ることはできる。SFCを志望した時 から数えて、通算4度目の眠れぬ夜の話である。それは今のポストを獲得した 時の話。2000年3月にSFCで政策メディア修士課程を修了。当時医学部形成外科 学教室専任講師で、現在看護医療学部助教授となられた小林正弘先生に助けて いただき、医学研究科博士課程に進学した。ちなみに医師でない私が医学研究 科博士課程に進学しようと決心したのが3度目の眠れぬ夜だった。医学部とい う全く文化の異なる環境で研究をすることは新しい発見の日々であり、また苦 しい時もあった。
当時、研究とは全く異なるもう一つの事で私は体力の限界まで頑張っていた。 私は自分が知る限り、日本最大規模を誇る学生組織の一員である。当時、横浜 に位置するエリアの学生部長をしていた。このエリアのメンバーは500人余。 一部大学生、二部大学生(夜間)、専門学校生、通信教育生で構成され、年齢 も18歳から20代後半までと、キャンパス内だけでは出会えない個性色々の面々 である。私の使命と責任はこの地域の宝とも言うべき学生たち、SFC流に言え ば未来からの留学生、の一人ひとりの生命を守り、優秀に育てていくことだっ た。現在の姿がどうであれ、皆、無限の可能性を秘めた未来の大人材である、 これが大前提。個性豊かな可能性をいかに発掘するか。余談になるが最近、大 学院政策メディア研究科の紹介のウェブページに「ナンバーワンではなく オ ンリーワンを目指して、新たな道を切り開け。 」とスローガンが掲げられた が、私の役割はこの精神を運動化して地域的に推進する責任者と理解して頂い て差し支えないと思う。毎日、研究を終えると、車に乗り込みメンバーの指導、 激励に出かけた。活動から帰るのは夜も白んでから、というのもしばしばだっ た。人格的に、学力的にどこまで成長してもらうか。それ以前の問題もある。 彼らとどう人間関係を構築し、仲良くなっていくか。深刻な病気や家庭の不和、 経済的問題を背負って苦労しているメンバーをどう激励するか。両親の奮闘に 守られて、恵まれた環境で成長した私にはとても軽々しく「頑張ってね。」と 言えないような場面を何度も経験した。彼らに「頑張ってね。」と言う資格を 得るために私のできる唯一の苦労、それは研究。研究に益々真剣であり続け、 誰もが納得する結果を出すことだった。あの子を激励するために研究で成果を あげる。研究で苦しんだだけ人の苦労にも敏感になり、人の心を打つことがで きる。その意味で研究と組織活動は私にとって表裏一体の相補的なものだった。
「ひらめきの前夜は常に暗黒」
とは言うものの体は一つ。両立するためには時間を効率的に使わなくてはなら ない。机に座って研究の事をゆっくり考えることは滅多になくなった。電車の 中では読書や論文のアウトラインの作成。座ってしかできないことは座れると きに片付ける。立っているときでも研究はできる。このような努力をしてでも、 まだ時間が足りず睡眠を削らなければならなかった。辛かった。ただただ辛かっ た。ただ、激励すべき後輩の前で辛い顔を見せなかったことだけを誇りとして いる。今から思えば体力的にも、精神的にも鍛えられた時代と感謝しているが、 当時の私は肉体的な疲労を感じていて、特に胃が痛かった。それ以上に精神的 に困憊しきっていた。ある夜、一日の研究と組織活動から帰宅。皆、寝静まる 午前2時。今日も良くやったと誉めてくれるのは自分しかいない。その自分も、 誉める気力がでないほど孤独感に苛まれて、やはり胃が痛かった。電子メール をチェック。寝る前の習慣。小林正弘先生からのメールが一通。 CARS(Computer Aided Radiology and Surgery)という学会のメーリングリス トからのメールの転送であり、英文だった。それが現在させて頂いている Visiting Research Scholarの募集だったというわけである。求められている 技術といい、プロジェクトの内容といい、自分のバックグラウンドとぴったり 合致する不思議な内容だった。御察しの通り通算4度目のピカッの瞬間である。 「絶対いける。」実際うまくいったから言えることだと怒られるかもしれない が、その時はもう研究者になったような心持ちになって舞い上がっていた。胃 の痛みもすっかり消えていた。どう見ても関係ないはずなのに、組織活動の方 も絶対うまくいくと自然に楽観的になっていた。普段、後輩の前で偉そうに理 想を語って励ましてした私も、現金なものだと自分に呆れて一瞬ニヤッっとし た。その夜一つだけあった問題と言えば。そう。またも興奮して寝付けなかっ たことだけであった。その後の後輩への激励行には益々熱がこもり、ありがた くもメンバーそれぞれ苦悩を乗り越えて、立派に成長しつづけてくれているこ とを付言しておく。
「ひらめく生き方を – 私の場合 -」
ここで語らせていただいた私のひらめきの瞬間は、いわゆる「アイディアを出 す」というものとは厳密には異なるかも知れない。しかし、研究、人生に決定 的な影響を与えた瞬間。かみなりに打たれたような瞬間。それに出会うまでに どのような精神的プロセスを辿ったかは分かって頂けただろうか。体験を徒然 と書きなぐってしまったので、私なりに4つのキーワードを提示させて頂いて 締めくくりたい。
第1のキーワードは「大理想」。「世界平和に向かって私は努力」などと言葉 を発すれば、その青年を冷ややかに見る人間が多い。なんと腐りきった日本の 大人社会だが、実現不可能と思われるくらいの理想を掲げなくては一喜一憂の 波にすくわれ、すぐに沈没してしまう。人類という大きな社会の利益、つまり 普遍的な善の価値を念頭に置かなくては、独り善がりになり使命をまっとうす る力が湧きあがらない。ひらめかない。
第2は「友情」である。例えが古くて恐縮だが、旧制高校寮歌の「君が愁いに 我は泣き 我が喜びに君は舞う」という一節を叔母から教えてもらったことが ある。紹介させて頂いた組織活動は良き友を作ることにはじまり、良き友を作 ることに終わる。地獄のような苦悩の渦中にいる友と一緒に愕然となるのは損 か。否、同じく苦しんで一緒に解決すれば喜びは何倍にもなる。あの友の希望 となるために自分が研究で結果を出そうという気持ちになる。これが研究を続 けるモティベーションとなっている。研究の成果が時に原爆のような極悪につ ながるかも知れない自然科学の研究者は、常に積極的に友情を育み、人間の痛 みに敏感な心のアンテナを磨かなくてはと感じている。つまるところ、それが 社会に潜む問題を発見する力となる。
第3のキーワードは「前三後一」。どんな小さな目標にも全力で取り組むとい う意味だそうである。毎日の仕事は単調な小さい目標の連続である。情報化社 会はめまぐるしい一日を突きつける。一日に小目標が何十も押し寄せる。だか らといって一つ一つ手抜きをしていたら自分に力がつかない。それどころか失 敗してしまう。内村鑑三は外国向けに執筆した著作「代表的日本人」のなかで 鎌倉時代の仏教指導者日蓮を挙げている。日蓮の言葉に「一念に億劫の辛労を 尽くせば本来無作の三身念念に起るなり」とあるのを心に刻んでいる。一瞬の 時間の中に永遠の苦労を凝縮するような努力が仏の生命、つまり人間の持つ最 大限の力、を瞬間瞬間に発揮させるという意味だそうである。信念のために2 度に渡る流罪を経験し、斬罪にまで処せられそうになった日蓮とは比べる余地 はないけれど、私も前述の苦闘の中でひらめきを得た。それ以前の3つのひら めきの前後にも私なりに自分と友人の事で悩みきっていたのである。自他にわ たる誠実な努力。それが発見した問題を解決する近道である。
最後に第1から第3のキーワードを現実化する第4のキーワードとして「師弟」 を挙げたい。人間は時に葦よりも弱い。朝起きるのもひと苦労である。まして や大理想に生きようと頭で決めこんでも、心が燃えなければ行動として顕れな い。しかし同じ人間は背中をじっと見つめてくれる人、厳しい眼光と温かなま なざしの両眼を備えた師匠に触発されると、驚くほど強い力を発揮する。自分 の決めた生き方にリアリティを与えつづけてくれる存在。私の場合、幸運にも そのような人に求めずして出会うことができた。その人の恩に報いるという感 覚が、研究の持続力となり、研究テーマの普遍性につながってくる。言葉では 言い尽くせない。しかし、その人のために今日も頑張れることだけは確かであ る。そう頑張っただけひらめく瞬間は近くなる。
さて、ある人に言わせれば馬の御小水のような長々とした文になってしまいま した。最後まで読んでくださった方々に心から感謝します。少しでもこの文章 が人生航路を決定するインスピレーションの帆を張らす追い風になってくれる ことを願いつつ、筆を拭う次第でございます。