「困っている選手と何とかしたいと思う研究者を、繋ぎたい。」
 第6回では、NPO(特定非営利活動)法人スポーツインキュベーションシステムを設立した河野理愛さん(総2)にお話を伺った。
 河野さんは小学校時代からスポーツ科学に興味を持ち、中学では独自のスポーツ科学に関する研究サイトを開設、高校では学会での発表やプロのサッカーチームにおける分析を行うなど、SFC入学以前から精力的活動を行ってきた。また入学後も高校時代から温めてきたSIS設立を達成するなど、そのパワーと勢いは留まるところを知らない。
 「寝るのは4日に1回」という生活をしてまで、日本のスポーツ環境を改善しようとする。その原動力はどこから生まれてくるのか。河野さんの素顔に迫る。
河野理愛河野理愛さん(総2)

元々、スポーツは興味なかったし苦手だった

最初に、スポーツに関する活動を始めたきっかけを教えていただけますか?

元々スポーツとかは別に全然興味はなかったんですよ。ただ、Jリーグが地元密着っていう理念で始まったから、ちょっと知っておこうかなってぐらいの感覚でした。今は少年サッカーとかのクラブチームも流行ってますけど、ちょうど私が小学校の時に発足1年目で、「みんなやりましょうよ」っていう感じで誘われたんで。

興味が無かったのに、スポーツをすること自体を始めたのは何故なんですか?

苦手だったからですね。苦手だったけど、何とか挑戦しなきゃと思って、その地元のサッカーチームに入ったんです。なんでサッカーにしたのかっていうと、バレーボールとかに比べて人口が少なかったから。人口が多すぎると、私は苦手だったから絶対無理だなって思ったんです。その時はJリーグだってまだ始まってなくて、サッカーって流行してませんでしたね。。
 それで、いざやってみようと入ってみたら、女性は一人。だから練習は参加できるけど、試合には出られないっていう状態でした。(苦笑)

その時は理不尽なトレーニングとかありました?

今思えばありましたよ、水飲んじゃいけないとかグラウンド30週とか。でもその頃はそんなこと考える余裕もなく、女の子一人ということもあったし、必死でしたね。でも中学が近づくと結構体力差が出てきて、一緒に30週とか走ったりするともう、5週遅れぐらいに離されたりしてました。
 ただ、スポーツ科学を勉強することによって改善された部分がかなりありましたよ。勉強する前は50メートル走とかもやる気がなくて、12秒ぐらいかけて走っていたものが、8.8秒とかまでタイムが縮まりました。みんなが努力してない時代だから、ちょっとコツをつかめばあがるんだっていうのを見つけて。

スポーツを「する」から「研究する」へ

今おっしゃったスポーツ科学の勉強を始めたきっかけは何だったんですか?

試合には出られないんで、与えられたポジションはスコアラーだったんですよ。そこでつけてみたんですが、サッカーのスコアって凄く単純なんです。これでは意味が無い、もっとうまくなれる方法は無いかと思って、サッカーを面白くするものとしての分析を、違う方向からやってみようと考えたのがきっかけですね。

それをきっかけに、スポーツをする側から分析する側に変わっていったんですね。

そうですね。分析をやっていくうちに、「ああ、スポーツって違う切り口から見ると面白いんだな」と気がついたんで、自分で色々と探るようにもなりました。そしたら中学校の時に部活で陸上の先生に「マネージャーとしてでもいいから、研究をしてみないか」と誘われたんです。それで、自分でやっていたサッカーの分析と平行して、陸上部でバイオメカニクスなどから研究を始めるようになりました。
 選手を見ていて「もっと違う方面からのアプローチをすれば、上手くなれるんじゃないかな」と考え出して、スポーツ科学にも色々な分野があるってことを知りましたね。

webを通じた「めぐりあわせ」

webサイトも当時から作っていらっしゃったんですよね?

そうですね。勉強の一貫として「何か参考になることってないのかな」ってwebを見てたんですけど、6、7年前ってまだそんなにたくさんwebページがなくて、特にスポーツ系なんてほとんど無いから、勉強しようにも載ってない状態だったんです。
 ただ、全然無いとは言っても体育系の大学の授業のページとかはあって、そこを見ると必ず使ってる教科書とかが書いてあるんですね。でもそういう本を探しても、田舎に住んでいたんで本屋には無い。だから出版社に電話して取り寄せたもので勉強してました。その後、今度は自分で作ってみようと思って。

高校1年の時には学会での発表をされたと聞きましたが、それもwebを通じた繋がりがきっかけだったんですか?

そうですね。中学の時に私のページを見てくれたことがきっかけで、東工大の教授とインターネット上で知り合ったんですね。その方に「インターネットでの選手のサポートの可能性」というタイトルのレセプションを学会で開くから、そこで話をして欲しいという依頼を頂いて、行かせて頂くことになりました。
 当時のスポーツ界では、コンピュータを計測以外に使うことはあまり考えられてはいませんでした。そういう部分の認識は全然遅れていたし、柔軟性に欠けている部分があったんです。

具体的にはそこではどんな話をされたんですか?

私がその場で言って欲しいと言われたことは、「彼らはあまり現場を知らない。自分で経験したことなのに、その痛みを全部忘れてるし、自分がまたそこに出て行くことで、痛みを伴ってしまうのを恐れている。それを勇気付けて欲しい」というのと、「一方だけのアプローチじゃだめなんだ」ということだったんですね。その部分をお話させて貰いました。

他にwebを通じての繋がりっていうのはありますか?

たくさんありますね。それこそ大学教授だったら、筑波、早稲田、徳島大学と全国にいますが、他にも某元陸上トップアスリートのIさんとか(笑)

Iさんとは?(笑)

日本記録を持っている方で…

なんだかすごく高い経験値を持っていらっしゃいますよね。

そうですか?でもそれは、めぐり合わせですよね。周りの人が凄く支えてくれたし、チャンスを与えてくれたおかげもあるでしょう。

中学や高校の活動の中で、楽しかったりやって良かったなと思った経験は何かありますか?

高校1年の時に、JFLチームのヴォルティス徳島でプロ選手のサポートをしたことですね。他では感じられない感動がありました。一緒に一丸となってチームを作り上げていくっていうのがこんなに楽しいことなのかって。皆とても苦労しているし、泣きたいような現実の中でがんばっているけど、それでも勝利を目指して皆で高めあっていく。それがこんなに楽しいものかと思いました。

使命感は最近すごくある

「変わってる」と言われたことはありますか?

そりゃもう小学校の頃から言われてましたよ。(笑)でも、すごく深く付き合った友達には「意外と普通だね」なんて言われたりしますけどね。

スポーツに入れ込んだ理由って何なんでしょうか?

現実を見てしまったからですね。今、スポーツ界って表面上に現れているだけでも、物凄く苦労して困っている人たちがたくさんいるんですよ。私はその時中学・高校生だった訳ですが、「そんな子にプロの選手が相談しなくてはダメな状態って、どんなにひどい状態だろう?」て思いました。
 自分のなかでそのことをすごく考えていた時に、ちょうど学会での発表があったんですね。そこで色々な研究者の方に、「こういう状況をご存知ですか?」って聞いたら、実は皆知っているんですよ。中には「でも、どうにもできないね」っていう方、「どうにか改善したいけどやり方がわからない」っていう方もいました。
 選手は困っているし、研究者はそれをなんとかしたいと思っている。そういう風に悔しい思いをしている人達を見ていたら「ここをどうしても繋ぎたい」って思ったんです。

そんなに今、大変な状態なんですか?

ソルトレイクオリンピックのスタッフ集団なんて、どんな人がやってたのか知ってましたか?JOCに関わっている役員と選手の間に入って心理サポートをする人たちがいて、その人たちのミーティングに私は出てたんですけど、もう話にならないと思いましたね。皆さん学術系から降りてきた人だから、現場の付き合い方が全然わからないんですよ。
 心理サポートというからには、心理テストをするのは良いけど、その後の改善方法を教えて欲しいじゃないですか。それが心理テストで何をやるかっていうミーティングで1時間半。その後のことは何も考えずっていう感じでしたね。
 そもそも社会の中でスポーツの位置付けって言うのが凄く低いんですよ。文科省の中での位置付けも低い。でもそれをすべて直そうとするためには、100年かかりますよ。それでスポーツの地位を上げようと思ったら、上に頼ることは無理だと思ったんで、パフリックなりソースではなくプライベートな組織で出来ないかと私は思いました。

使命感みたいなものってありますか?

最近すごく感じますね。中学や高1の時にああいった現場を見せてもらって、おまけに学術界まで見せてもらったんで。しかもこの業界は年齢を追えば追うほど、しがらみにとらわれて動きづらくなるんですよ。スポーツ界は古い縦割りの体質でできていて、学閥なんかがすごいですからね。そんな中で、私は既存の体育学部での先輩後輩の関係にも属してないし、いい意味でアウトサイダーなんです。だから関係者すべてに同じ距離で接することができるから、私の方も接触がしやすいし、相談する人も相談しやすい。
だからこれは、私が限られた期間の内にやらなくちゃならないことなんだなって最近は感じてます。

「繋げたい」を目標に。 -スポーツインキュベーションシステム(SIS)について

SISではスポーツに関する悩みや質問を受けていらっしゃるそうですが、どういう方を対象とされているんですか??

サポートする範囲は、中学校の部活からオリンピック選手まで、幅は広いですよ。どんな方でも、相談に来る方から答えていく。それが応急措置として、現時点では必要なことだと思っているので。
 相談に来られる時は、皆さん上から下まで同じように、スポーツに関する悩みを持ってるんです。それが高度な悩みなのかちょっとした悩みなのか、助言だけで終わるのか運動プログラムまで組まなきゃいけないのかっていう違いなだけで、悩みは一緒。
 そういった相談が、多すぎて一人できなくなってきたから、組織にして人を集めてやってるんですけどね。スタッフは今、私を含めて常勤ではないですが25人~30人ぐらいいますよ。

SISでは、そういった悩みに応じた相談の窓口になるのが活動のメインなんですか?

実はこういった悩みに応じて相談っていうのが第一というわけではなくて、「繋げたい」という気持ち、「情報のマッチング」を目指すことが核にありました。そういう点で、繋げる相手がウチの組織の中の人間や、もっと高度な問題なら専門家に繋いであげられますよ、と。
 更に、スポーツに関する悩みで皆がどこに頼ったらいいのかわかるようになったり、スポーツに関する充分な情報を持った人間の養成をすることで、意識の改革をしたいという気持ちもあるんですね。だから相談に乗ったり問題の振り分けができる人間が少なすぎるから、サポートできる人間の養成をしようと、勉強会もやる。企業や高齢者を対象した健康のためのスポーツのヘルスプログラミングを開発して、それを導入して下さる所を見つけるということも企画する。
 様々な形で、同じ目的へに向かってやっていくっていうことなんですよ。

AO入試では、先生と喧嘩しました。(笑) -SFCでの勉強について

SFCを選んだ理由を聞かせていただけますか?

高校時代どこに入学しようかは、本当にすごく悩んでいたんですね。体育系は結局受けなかったんですが、最初の第一志望は早稲田の人間科学部で、第二志望は筑波でした。でも合格の為に高2の時に必死に勉強したら成績が上がって、じゃあ勉強で入れるところってみんな努力して入っている人たちばっかりなんだなと思ったんですよ。それなら勉強で入るんじゃない所の方が、面白い人たちと出会えるし色んなこと学べるかなって思うようになったんです。
 その後高3になる時、さっき話に出てきた東工大の先生に改めて相談したんですね、そしたら「どうせ大学院にスポーツで来るんなら、学部の時にはスポーツじゃないことを学んできてくれ」と言われて、それに後押しされる形で「やっぱり違う所にしよう」と。
 SFCでもスポーツ系の先生に連絡しようと思って体育の福本先生にメールをしたら、「一度ゼミに来なさい」っていう返事で呼ばれました。見に行って回りの先輩にも話を聞いたりしましたよ。

よっぽど熱いメールだったんですね

なんか私って普段メールを書いても「熱いメールだね」っていわれるんですよ(笑)
 最初環境情報学部に入ろうと思っていたんですが、福本先生の影響もあって総合政策学部に入ることにしました。でもそれが逆にいいチャンスになったかもしれない。総合政策の方がやっぱり社会科学系の視点が持てるじゃないですか。

AO入試の面接はどうでした?

喧嘩しました。(笑)
 試験官だった女性の先生に、「あなたスポーツスポーツって言ってるばっかりで、それって視野が狭いんじゃない?体育大に行けば?」とか言われて「視野が狭かったらここに来てません!」なんて答えて(笑)
 他の2人の男の先生が「まぁまぁもう時間ですから」とか言って仲裁に入るくらいでした。30分ぐらいでそういう風に切られて、面接が終わりましたね。
 私はAO入試に関しては、自分なりにホント頑張って、志望理由などの書類も学校の先生に「これじゃ受からないぞ」って脅されながら書きました。いろいろ調査もして、他のAOを受ける子達とかも知り合ってるうちに、「こういう人を求めているんだな」っていうのを、だんだんつかんでいきましたね。

今はSFCではどんなテーマの研究をなさっているんですか?

印南研では「健康と福祉」をやっている方に所属して、今は医療費と運動の参加率の関係について研究しています。

色々と外での活動をされていますが、SFCでの勉強が実際にその活動に生かされているってことってありますか?

SFCで学べることの中に、スポーツ関連のことはあまり無いじゃないですか。だから逆に全然興味なかったことや、知らなかったことを強制的に勉強できましたね。それを目的として、AO入試で入ってきたんですけど。

出身地の徳島にいらっしゃった間、この活動に共鳴する人はいましたか?

私、一度新聞に載ったのがきっかけで地元の院生とか徳島大学の教授からメールを頂いたんです。だからインターネットがなかったら今の自分はなかったと思います。ってなんかSFC生っぽいこと言っちゃいましたけど。(笑)
 徳島から活動を始めていくには、インターネットってすごく大事でしたね。だんだん続けていくうちにアナログの人脈の方が大切になってはくるんですが。

ご自身の勉強のほかに、先日SFCで体育の授業をされたと伺ったんですが、きっかけは何だったんですか?

体育ⅠのSAをやってるんですよ。その担当の福本先生が「一度、君のやっていることを授業で喋ってみなさい。時間あげるから」って仰ったんで、私自身も、大学の先生になりたいから良い機会だなと活用させて頂きました。教室には他の人も来て良いことにして、公開で授業をしました。

反応はどうでしたか?

自分では失敗したかなって思ってたんですが、たくさんメール頂けました。

素顔の河野さん -私自身は健康じゃないんです。(苦笑)

ちなみにお酒は飲まれるんですか?

お酒はー・・・20になったから飲めるんですけど、でもあんまり飲まないようにしてますね。健康のこととかもあるけど、でもスポーツに関わっているから、あんまり選手の手前飲みたくないなって思って。

スポーツ選手ってやっぱりお酒とかタバコとか良くないんですか?

良くないですね。スポーツをやっている人の激しい飲み会っていうのも、絶対良くないんですよ。男らしいとか、腕っぷしが強いからとか…その延長戦でお酒が出てきますが、やっぱりスポーツ科学教育をきちんとしてきた選手は絶対無理に飲まないですね。
一流の選手ほどやっぱり食事とかも色々と気をつかっているんですよね。
 一番困るのが、若い選手はそんな配慮を全然しなくても、無理が効くっていうことですね。怪我しても治るし、無理することがダメなんだと実感しない。自分がスポーツ科学にも興味を持つことはあんまりないしっていう状態ですよね。

でもそういう選手も年を取ってからは影響がでてきますよね?

出てきますね。若い時は、捻挫をしても筋肉とかの力で痛みを感じない場合があるんですよ。で、そのまま年をとって50代・60代に「何か足が痛いな」と思ったり。
 本当に困るのが、昔選手で頑張ってて何でも出来てた人たちが、社会人になって一旦やめたスポーツをもう一度始めたときですね。そのとき若い時の感覚でやって、アキレス腱切ったりする、そういう人が多いんです。本当なら、大人になって再開したいときはまずこういうトレーニングからとか、きちんと教えてもらっておくべきなんですよね。

お忙しいようですが、ちゃんと睡眠取られてますか?

えーと、4日に一回寝ます。それ以外は一日1時間半とか。健康増進のこと皆に言っておきながら、私自身は全然健康じゃないんです。さっき、中高年になって体にガタが来るって話しましたが、自分の話かもしれない。(苦笑)よく歩いてはいるんですけどね。

栄養ドリンクとかも飲んでいたりして。

えーー?いや、体にはダメなんだろうなと思いながらも、多いときは一日2本とか3本とか飲みますね…徹夜のまま行く時にはやっぱり、目を覚ますために。

RING恒例の質問

趣味はなんですか?

趣味は、絵ですね。この間、展覧会に出して入賞もしたんですよ。
絵は昔から好きで、自分の中ではスポーツより才能があるかなと思ってやってるんですけどね。

スポーツ観戦じゃないんですね。

スポーツは純粋に趣味として楽しむというより、やっぱりサポートしている時が一番楽しいんです。特に観戦が趣味という訳ではなく、近くの文化体育館で応援しているその応援する人を見に行ったり。その応援している姿を見るのが大切なんですよ。プレー自体を見るのとは違う見方で、例えばJリーグなんかは地域振興に基づいて行われているのを見たいし。

何か面白いと思った授業はありますか?

今期は特にそうだったんですが、基本的に知らないことや好きじゃないという先入観のものを学ぶきっかけになるように、と授業時間を使っているので、「授業」が良い悪いは あんまり感じてないです。
 授業を聞いても楽しいと思わなかったのに、自分で改めてテスト前に読み返すと新たな発見があったりして、興味を持つこともありましたね。
 これまでで学んでよかったなと思うのは、資本設計論、憲法演習、リスクマネジメント、アラビヤ語、でも一番は研究会です。

SFC注目の人は誰ですか?

え?私全然SFC生を知らないんですよ。注目の人っていうか、頑張ってるんだけど、変にプライドとか持っていない人で、私が信頼を置いているのは戎屋紘子さんかな。

SFC生に一言

「人の弱さ、時分の弱さをも理解できる人になりたいし、そうなっていく人がたくさんいて欲しい」…そう言いたいですね。
 スポーツや、NPOに興味があったり組織作りを学びたかったり、どういう動機でもいいんですが、うちの組織(SIS)に入って何かを得たいと思っている人がいるなら、一緒にやりたいと思いますね。ただ手伝ってもらうだけっていうのではなく、お互いに何か得るものがあれば、一緒にやっていきたいです。
【編集部から】
 休日の午前中に行われたこの取材。取材場所に登場した河野さんは、紹介者から聞いていたイメージとは全く違う可愛らしいイメージで、編集員を驚かせた。しかし実際取材が始まると、その経験や知識の豊富さ、持っている問題意識にやはり話に聞いた通りであるとの印象を受けた。少年サッカーのチームから始まった彼女の活動は、その何気ないきっかけからは想像もつかない程の大きく意義のあるものへと今発展しつつある。今のスポーツ界を変えるには「100年」かかると言った河野さん。インタビューを受けながら「彼女によってその時間は短縮されるのではないか」、そう編集部に思わせる力を、彼女は持っていたように思う。
【河野 理愛】(かわの・りえ) プロフィール

河野理愛

1982 年大分県生れ、徳島県育ち。中学時代、スポーツ科学に関するサイト「あっと驚く研究のページ」を開設、その後高校時代では、JFLチームヴォルティス徳島での分析や、日本スポーツ心理学会での発表、数々の講習会を行う。2001年春、慶應義塾総合政策学部に入学。その後もスポーツ科学に関する活動を続け、2002年6月には1999年から構想のあったNPO法人スポーツインキュベーションシステム(SIS)を設立、代表を務める。
座右の銘:「人と共感すること 人を理解すること」
好きなもの:チョコレートが大好き
SFCでの出没場所:バスから降りて教室で授業を受けて帰るので…授業の教室?