最後に元の位置に戻ってきた。プラスマイナスゼロになった。

第7回のSFC RINGでは、本郷毅史さん(環3)にお話を伺った。本郷さんは1997年SFCに入学。2年後、アフリカの喜望峰から日本に向かって自転車での旅をはじめた。3年半の旅を終え、昨夏日本に帰ってきた。今回は、旅に出た当時のことから、3年半を通じて、体全体で感じ取った旅についてインタビューした。

旅は本郷さんにどのようなエッセンスを与えてくれましたか?

本質的には、今ももしかしたら変わってないのかもしれないです。めぐりめぐってゼロに戻った気がしてしまう。「あれだけこいでゼロか…」と思うと徒労感に襲われる。僕の中では、まだ旅が終わってないのかもしれないんですよね。「早く旅を終らせないと」という思いから、今旅を文章にしている。得たもの、失ったもの、変わったものを、改めて書く。
 世界中、どこでも人は生きているという事を知る事はとても大切だと思います。当たり前の事だけど、その事を知っている人は少ない。どこでも普通に、僕たちと同じように生きていました。その事実を知るだけで、爆弾を落としてもいいなどとは考えないようになると思います。

本郷毅史

旅は思いついたら、それを実行するしか選択肢が残されてなかった

AERAの方に旅に出たきっかけは、衝動的だったと書かれていましたが、その背景にはどのようなものが存在していたんですか?

「大学に入ったら、何かでっかいことをやろう」と思っていました。一人で何かがやりたかったんです。高校時代山岳部だったんですが、大学に入ってからより山にのめり込んでいきました。単独で山に行くのが好きだった。SFCに入って、居心地の悪さ、疎外感を感じてしまっていたのかな。だからかもしれないんですが、どんどん学校から遠ざかり、自然がある方にのめりこんでいきました。人の住んでいる社会から圧倒的に離れたところに急速にのめり込んでいくような心情です。
 正直、旅を思いついたのは、女性に一目ぼれする感覚のようで突然のことだった。世界地図をみていた時、衝動に駆られたんです。

どのようにして、アフリカから日本を目指すことになったのですか?

「自転車でどこへ行こうか」と最初に考えました。旅のコンセプトとして、「一番遠いところから日本を目指そうと思った。南米とアフリカの最南端・喜望峰という2箇所の地点があって。どっちから出発したらおもしろいかを考え、3大陸渡れるアフリカをスタートにしました。いきなりアフリカ!!かなり魅力的でしたね。日本はアジアの一部だから、アジアから日本に帰ることはつながりがあると思ったんです。

盲目になっていないと出発はできなかった

出発時いろいろな心配があって、立ち止まったことはありませんでしたか?

出発までの2年間は、盲目になりました。ビザが取れるのか、病気にかかったら、強盗にあったらどうしよう…などの不安に対して盲目になっていないと出発はできませんでした。起こるかもしれないトラブルの可能性は考えないようにしました。出発前は、仕送りを削り、アルバイトをしてお金をためましたね。2万 5000円の安アパートに引っ越して、飲み会にも極力出なくて。180万円を手に、旅に出ました。

日常起こることにどのように対処していったのですか?

地図で測ったら、4,5万キロだったから、1日100キロで、約2年間で走れると思って出発したんです。でも、1ヶ月くらいから(その計画は)瞬く間にずれていきました。大体、行く方向は決めていたんですが、どこを通るかは決めていなかった。現地についてから詳細な地図を買い、具体的なルートを決めていきました。
 荷物は、テント・寝袋、バーナー・鍋、衣類、雨具、地図、小さい辞書、自転車の工具、空気入れなどを常に持って、水や食料は現地で調達しました。タイヤは行く先々で擦り切れて、そのたびに買う。安いのは、2000キロくらいで擦り切れてしまうんですが、質のよいタイヤは1万キロくらいもちました。自転車そのものにはあまり詳しくなかったんですが、パンク修理や、壊れたところをゆっくり分解して直すことはできた。出会った人に教えてもらい対応していくこともしばしばありましたね。
 言葉は基本的には英語をどうにかこうにか使いました。西アフリカはフランス語。一年の秋学期から3学期間インテンシィブをとって、ごくごくベーシックのところを身に付けていたので、それが役に立ったと思います。

こんにも完璧なものがあるのかと思うほど興奮した 本郷毅史
印象的な場所はどこでしたか?
 アフリカのサハラ砂漠を見たとき、地球上にこんな完璧なものがあるのかと思いました。砂丘が波打ち、奇跡のようにオアシスがあるんです。興奮しっぱなしでした。  40ヶ国の中で好きだった所は、チベットとインド。そこが一番心ひらいて、全力で旅しているように感じました。こっちが心を開いたら、向こうもどんどん開いてくる。エネルギーのやりとりがすごくうまくいっていた。アジアは心理的に自分にあっていたんだと思います。チベットの空もよかった。毎日感動していました。 本郷毅史
また行きたいですか?
 また行きたいとすればそこ(「印象的な場所」で話した場所)かな。でも自転車で行きたいかどうかはわかりません。自転車は正直シンドイ。でも自転車はいい旅の方法だと思っています。旅行中に長期の自転車の旅をしている人に、日本人だけで10数名に会いました。メディアに出てこないけれど、自転車で旅をしている人は実は大勢いると思いました。  自転車をこぐことは、手や足を使います。あまり考えず、時に地面だけ見てこぐことに没入できる。そのおかげで心がどこかにいってしまわず、バランスがとれました。旅を終えた今は、もう死にそうなことはやりたくない、命は大切にしないとね。それなりの集中力を持続していなければ、すぐ交通事故にあったりする。死なないようにしようと、常に思っていました。自分の命は自分の自由にはできない。誰でも、誰かがどこかで悲しむと思うから。

旅はまだ終わっていないのかもしれない

本郷毅史
3年半も旅に出ていると帰ってきた喜びとともに、なじめない点もあるかも知れませんがそれはどのような点でしたか?
 日本に戻ってきて、みなが当たり前にこなしていること・受け入れていることをなかなか受け入れられないんです。例えば携帯電話。いまだに持てません。一度試しに持ってみたけれど、落ち着きませんでした。いろんなところを見ればみるほど、口を閉ざしたくなってしまう。無知だったほうが現実に対していろいろ発言できるのかもしれないと思います。インドなどでは、人々が幸せそうでした。でも、技術の発達に伴い、僕たちの生活は変わっていかざるを得ません。どういう風に変わっていくんでしょうね。どこにでも人がいて、基本的にはみな同じ。悲しんだり、喜んだり。  そういう人たちを巻き込んで先進国がひっぱっていっている行き先はどうなるのだろうと考えるんです。僕たちがどこへ向かっているのか、不安感もある。だからブレーキをかけるべき所はかけたい気がしてくる。でも変わることは不可逆的で、だから方向を修正しつつ、変わっていけたらいいと思います。圧倒的な自然の中にいるときにはそんなストレスはありませんでした。チベットの青空の下にいた時はとても安心感があったんです。今日本にいて、無理やり人の欲望を掻き立てていくような社会にいると、引き裂かれるようで実は非常に生きづらい。以前の友達に会うことや、旅で出会った友達との再会を日本で喜んでいる。日本はそんなに変わっていません。7年旅して日本に帰ってきた友達もいいます。「表面的なことは変わっているけど、あんまり変わってない」と。  去年の夏日本に戻ってきました。もうだいぶ経ったように思いますが、まだ旅は終わっていないのかもしれない。ある程度日常性を失ったのかもしれない。短期の旅行だと、その日々が特別に浮き上がったものに感じるからかもしれないけれど、半年くらいたつと旅と日常の境がぼやけてきます。今は「早くこの旅を終わらせないと」と僕の中では思っている。旅を文章にして表現していくことで、ある程度くぎりがつくのではないかと思うんです。
今後どのようなことをしていきたいですか?
 今後やっていきたいことは、ものを書くことですね。表現することが今一番ウエイトが重い。その中でも文章を書くことにこだわるのは、一番得意なことだと思い込んでいるからかもしれません。自分の等身大で表現していこうと思います。

恒例の質問

SFC生に伝えたいこと
 自転車をこいでいる時、時にはばからしく感じたんですが、今考えれば膨大な浪費の時間が貴重だったと思えます。無駄を越え合理的という事を越えたところに本当に大切な事があるのかもしれません。  手足を使うことが頭を使う上でも重要なんでしょう。知識と経験は、サンドイッチにしていった方がより飛躍があります。頭だけだったらいつか壁にぶちあたってしまうんですね。  あとは、遊びが大切だとも思います。僕らはアナログ的な存在。遊びがあってアナログな存在だから生きていられる。必ずいつかは遊びが埋められるけど。  日本に戻ってきて、夜広島の平和公園に泊まることにしました。広島ドームの原爆時計の場所にある芸術作品に出会いました。それは歯車で15個噛みあっていたんですが、一番上はずっと動いている。一方一番下はコンクリートに埋まって、止まっている。なぜなんだろうと思い、一瞬頭がショートしました。遊びがあるから、アナログだから動いてられるんだろうと思いましたね。だから生きていられる。必ずいつかはその遊びがうめられて、一番下の歯車ががたんと動く。それが人間の有限性かと思いました。その作品はとても暗示的で、非常に感動しました。  雨が降ってきたから公園にいる人々が柱の下に人が集まってきました。将来の俺の姿か、まずいなあと思いながらも共感してしまった自分がいましたね。笑。

編集部から

 取材中、時間が自然に流れ、時々こちらが遮ってしまっているようにも感じた。それでも、インタビュー中、何ども笑いがありとても楽しい時間を過ごした。本郷さんはとても深い考えを持っている人だと思った。そして、太陽の光をそのまま受け取る力があるような、そんな素直さを持っていると思った。インタビュー内容を読んで読者の方にも読み取っていただけたら幸いである。  私たちがこの社会で生活していると忘れてしまっている何かを、本郷さんは3年半の旅で感じ取ってきた気が少しする。旅を文章につづることで、私たちにもその何かを分けてくれることを楽しみにしている。 【本郷毅史】(ほんごう・つよし)プロフィール 1977年生まれ。13歳で富士山自転車旅行を経験し、その後中学時代に伊豆半島や北海道自転車旅行を決行する。16歳のときにはカナダで述べ45日、4 千キロの道のりを自転車で走破した。1997年、慶應義塾大学環境情報学部に入学、冬山登山も経験。2年半経過した1999年の2月に、 当企画でも話題になっている喜望峰から日本の自転車旅行(3年5ヶ月、40カ国、4万5千キロ)を開始した。現在は復学、SFCに通学中。 ・興味のあるクラスター:言語コミュニケーション、グローバルガバナンス。 ・好きな先生、気になる先生:国枝先生、小熊先生、山本先生 ・楽しいこと:大学の授業が以前より面白くきけるようになった。 言語と認知、言語とヒューマニティ、比較文化C(山本先生)、近代史など