SFCの学生、卒業生が12名参加しているNPO Earth Literacy Program(以降ELP、編注:http://www.elp.or.jp)が企画・制作した「どこでも博物館」が「国際連合情報社会世界サミット大賞」の日本大会WSA-JAPAN2005のSpecial Category :e-Inclusion部門で最優秀賞を受賞した。作品コンセプトは"まち全体を生きた博物館に変えてしまおう"。一体どんな作品なのだろうか? 「どこでも博物館」以外にも「100万人のキャンドルナイト」などの企画を成功させているELP代表の竹村真一京都造形芸術大学教授(写真左)と池本修悟さん(01年総卒)(写真右)に詳しい話を聞くため、SFC CLIP編集部は丸の内に向かった。

まず目についたのが丸の内仲通りの街路樹に貼り付けられたQRコード。ケータイで読み込むと、「東京丸の内ユビキタスミュージアム」というタイトルが表示され、自分の立っている場所から見える建物の歴史、名前の由来、そしてその建物の100年前の写真がケータイのディスプレイに表示された。さらに、「置き手紙」というリンクをクリックすると、私と同じ場所で、同じQRコードを読み込んだらしい誰かのコメントを読むことができた。QRコードはビルの入り口、街の案内版など丸の内のあちこちで見かけた。似たような作品を広島県尾道市にも設置しているらしい。これが「生きた博物館」なのだろうか? 竹村教授と池本さんに聞いた。
–「どこでも博物館」はケータイを使った地域情報案内以上の試みであると伺いました。
竹村:これは地球そのものを博物館にするような試みです。この動きが日本中、世界中に飛び火すれば、地球上のどこヘ行っても、そこが生きたミュージアムのようになります。まったく新しい情報環境をつくる最初の小さな試みが「どこでも博物館」であった、というふうに後代の歴史家は書くかもしれません。
従来のメディアには、シアター型メディア(図書館、博物館など建物を必要とする情報メディア)、パッケージ型メディア(書物やビデオ)があります。たとえば映画は当初、「映画館」という場所に行かなければ楽しめませんでしたが、「ビデオ」というパッケージが登場し、そのうちビデオオンデマンドやケータイでもダウンロードできるようなものになりました。これは、古代に誕生したアレキサンドリア図書館に代表される図書館などのシアター型メディアから、500年前に生まれた「書物」というパッケージ型メディアが世界を支配するようになった流れに似ていますね。
そしてユビキタスネットワークが実現できるこれからは、図書館や博物館に行かず、本やガイドブックを持たずとも、街そのものが生きた書物であり、博物館であるという世界が生まれてもおかしくないのではないでしょうか。そのように考えると、人類情報史の3回目のジャンプをユビキタスは実現しようとしているんですね。その最初の実験である「どこでも博物館」を尾道や丸の内で始めているのです。 ……などというふうに大風呂敷を広げた方が、SFCの学生は興味を持ってくれるでしょうね(笑)。
–「どこでも博物館」の発想の原点は?
竹村:ケータイを虫メガネのようにして街のあちこちを覗く、という発想は20年くらい前からありました。自分が無知だと街はぼーっと見えます。しかし、街のことをよく知っている人と歩くだけで、急に街の解像度が高くなり、何でもない場所が生き生きと見えてくるはずです。ところが、いつでも、どこでも、その街の「名ガイド」が隣にいるわけではない。そこで、ケータイというツールを使って、誰もが、いつでも、どこでも、そんな「名ガイド」と街を歩くことができれば、世界はもっと面白くなるんじゃないかと考えたのです。
そうして、アイデアを実現するために動き出したものの、一人ではできないし、第一、現場がないとできない。そこで、まず日本各地で僕のアイデアを話しました。けれども、「面白いね」と言ってくれる人はたくさんいるんだけど、本気でやろうと思ってくれる人はなかなかいない。そんななかで、たまたま最初に本気でやろうと言ってくれたのが尾道の人たちです。そして、実際に本気で動いてくれると言ってくれたのが池本君でした。

池本:2001年の11月頃に竹村先生の著作を読んで興味を持ち、僕の主催していた「メディア寺子屋」に講師として来ていただいたのがそもそもの出会いです。その後、2002年の1月に竹村先生の「触れる地球」(編注:http://www.elp.or.jp/project/tangible.html)という作品の発表会に行き、「やはりすごい人だ」と感動しました。
僕は、人に会って話を聞くようなことはあっても、自分自身が実際に現場でプロジェクトに参加するということをやったことがあまりなかったので(大学内でイベントをやったり、映像をつくるなどのことはしていましたが)、街に根ざしたメディアづくりに関わっていけたらと思い、竹村先生のプロジェクトに参加しようと思いました。また、僕一人だけなく、僕の仲間もいろいろなことに関わって行ける環境があればと思っていました。というのも、僕が立ち上げたNPO(編注:NPO法人創造支援工房FACE http://www.iface.ne.jp/)に参加していてメディアに興味のある学生たちが、新しいメディアづくりに参加できる場を探していたんです。そういった「学び合う」フィールドとして、竹村先生のEarth Literacy Programは最適だと思いました。
–実際に街全体をプロジェクトに巻き込むのは苦労が多かったと思います。
竹村:江戸時代の侍に「電話って便利だよ」と説得することを想像してみてください。「離れてても声が聞こえるなんてすごいなぁ」と彼は言うでしょう。けれども、あまりにも現実感がないから、「これに投資をしてみんなができるようにしたいね」なんてことを彼に言わせるのは難しい。そんなときに、「ばか者」がいると物事は思わぬ方向に進んでいく。
アイデアを聞いた瞬間は面白いと思っていても、「そんなことをして、どうなるの?」「お金をドブに捨てるようなことなんじゃないの?」「ケータイでチャラチャラ遊ぶだけなんじゃないの?」などとついつい大人びた考えでいると何も起こらないんです。
尾道には、そういう意味で、「踊る阿呆」が何人もいた(笑)。僕たちもSFCなどで「踊る阿呆」を集めて、尾道に総勢10名くらいで行ったこともあった。中核メンバーは尾道に20回くらい足を運んで、街の人々に話をしました。先ほどの喩えに戻れば、僕たちは江戸時代の侍に向かって、あたかも、こちらが電話を使ったことがあるかのようにリアルに話しました。しかし実は使ったことがない(笑)。実現できたらこんな風にできるはずだ、というありありとしたイメージはありました。
「どこでも博物館」は2002年の春に少しずつつくり始め、2002年の暮れにようやくベースのシステムができました。もちろん、自分が考えているレベルから考えれば、まだ1、2割しか実現していませんよ。技術的にもそうだし、何よりもコンテンツの質が不十分です。
–SFCの学生への期待を教えてください。
竹村:SFC CLIPの取材を機に、「こんなに面白いことがあるなら、俺にもやらせろ!」と言って参加してくれる人がSFCから出てくるといいですね。我々にとっての本番はこれからですから。もっとも、尾道でいちばん初めにプロジェクトを始動するには大変な苦労があった。その苦労を経ずに、一番おいしいところを体験できるのはこれから参加する人たちなのかもしれない。
–種まきが終わり、今は水を与えて育てている段階なのですね。
竹村:そうです。尾道に続いて丸の内、青山、京都などがすでに決定していますから、本気で参加してくれる人が増えないと、我々のチームだけでは十分に動けない心配はあります。
–現在、ELPのメンバーは何人いらっしゃるんですか?
池本:およそ2、30人でしょうか。学生も、学生でない人も、それぞれが独立したクリエーターとしての自覚を持って、自由に参加しています。竹村先生の周りを支えるコアなメンバーは7、8人ですね。
–活動基盤が安定し、これからはどのような活動を行なう予定なのですか?
池本:「どこでも博物館」のコンテンツを充実させることです。「○○カフェは何時から何時まで開いています」というような簡単な情報だけでなく、そこにいる人々の息づかいが感じられるようなコンテンツについて真剣に考えていきたいです。「どこでも博物館」を、いろいろな人が自由に意見できる仕組みにしていきたいのです。
理想的には、「どこでも博物館」を通して、地域コミュニティの中につながりが生まれるといいと思います。これが尾道では実現しました。プロジェクトが始まる前まではバラバラだった市役所、寺、商店街、大学の人々が「どこでも博物館」の企画会議を通じて出会い、ついには彼らだけで「どこでも博物館」を運営するためのNPOを立ち上げたのです。いずれ、丸の内や青山でも、コンテンツや便利なシステムとして広く利用されることはもちろん、「どこでも博物館」がみんなの「公共財」としての役割を果たせるようになるといいなと思いますね。
また現在、尾道や丸の内に全国各地の方が視察に訪れています。そういう方々が、自分の町や村でも「どこでも博物館」をやりたい、と言ってくれたときに、ELPがそれに応えられるようなプラットフォームでありたいと思います。
竹村:池本君の言ったことが実現するためには、地元の人たちによろこばれないといけないと思います。「よろこぶ」とは、「自分達の地域にはこんな価値があったのか」「こんな面白いものがあったのか」と再発見するということです。
これまでの尾道観光といえば、ラーメンを食べて、ロープウェイに乗っておしまい、ということが多かった。それが、ケータイという虫メガネを持って歩くことで、「志賀直哉はこんな一節を、こんな場所で書いたのか」というふうに、たとえば文学者の旅を追体験するように歩くことができるようになります。観光客にとっては面白いことだし、町にとっても、今まで価値ある場所だと認識もしていなかった場所を再発見したことになります。町の名所をライトアップすることがありますが、僕らはライトではなく、ケータイという誰もが持っているツールで「知」のライトアップをして、町の中の見えない「知」を見えるようにしたいのです。「どこでも博物館」とは、そういうプロジェクトでもあると思うんですよ。
この間、青山に住む84歳のおばあちゃんのお話を聞きました。今、きらびやかなブランドショップが立ち並ぶ青山が、一つの建物も残らないくらいに真っ黒焦げになることを想像できますか? しかしおばあちゃんによれば、昭和20年の大空襲で、青山一帯は丸焼けになり、渋谷川も熱湯のように沸騰していて、表参道から国会議事堂まで何も建物がないという光景だったそうです。こういう話を聞くと、表参道の歩き方が変わりますね。また、表参道という町の価値の見え方、あるいは町づくりそのものが変わってしまうかもしれない。
建築のトレンドや商業ブランドの誘致だけを価値として町をつくる以外に、町の価値そのもののつくり方から考え直すことが可能です。「どこでも博物館」はそのきっかけになれると思いますね。だからこそ、建築、地域研究、歴史、文学などいろいろな分野の人々がこのプロジェクトに参加してくれるといいと思います。これは決してITプロジェクトじゃないんですよ。ITはあくまで手段です。
–ありがとうございました。