建築デザイナーの田中陽明さん、DJ/音楽家の瀬藤康嗣さん、映像/Webディレクターの山岸清之進さんがSFCで1997年に活動をスタートさせた「ソーシャルデザインするアートユニット」flow。キャンパス内で企画したイベントからはじまり、8年のうちにイギリス、フランス、韓国、中国など世界各地で作品を発表してきた彼らに、これまでの歩みと創作活動の裏側を聞いた。3人の肩書きから想像するクールな印象とはちがう、「無茶をしても、恥をかいても、アートをしたい」という熱い想いが伝わってきた。


1.きっかけは、遊び半分
–山岸さんは学部から、田中さんと瀬藤さんは大学院からSFCに在学されていましたが、それぞれの学生生活について教えてください。
山岸:学部で武藤佳恭研究会に入り、コンピュータミュージックに出会いました。僕が入学した当時は、日本にインターネットが普及しはじめたころで、その分野に興味を持ったんです。SFCでは学生にメールアドレスを配って、UNIXを使っていました。おもしろいなぁと思いはじめたのは、Mosaic(編注:米国イリノイ大学NCSAが開発したブラウザ)が登場してからですね。
–コンピュータミュージックに興味を持ったのは?
山岸:もともと音楽が好きで、自分で演奏することもありました。それが、大学に入ってからコンピュータで音楽ができることを知って、自分のなかの「音楽」がガラガラと崩れた。今までに聞いたことのない種類の音楽がおもしろいって気づいたんです。
実は1960年代からコンピュータミュージックの歴史は始まっていたけれど、当時はまだ一部のエリートにしか関われない分野でした。一台何千万円もする巨大なコンピュータで5秒の音をつくるのに一晩かかった時代ですから。それが、デスクトップコンピュータでできるようになってきたのが90年代前半。僕がコンピュータミュージックに出会ったときには、一台のデスクトップコンピュータで、周波数の一定の音からプログラムをどんどん書いていって、どんな音でも合成できちゃう環境があったんです。
–では、瀬藤さんがSFCの大学院を選ばれた経緯を教えてください。
瀬藤:僕は慶應の文学部から進学しました。学部時代は美術史や美学を専攻していて、キュレーターのような仕事にあこがれていたんです。でも、いろいろなアーティストと知り合うようになって、つくる側もおもしろいなぁと思うようになっていました。それで、大学卒業後も、音楽が好きでやっていた学外のDJ(編注:ディスク・ジョッキー)やバンド活動をもうちょっとやりたいなぁと考えるようになりました。
その当時、日本でコンピュータミュージックを勉強できたのはSFCといくつかの大学だけだったんですよ。同じ慶應ということもあって、惹かれて入ったのがSFCの大学院です。それから岩竹徹研究会に入って、清之進(山岸)に出会いました。
–田中さんのSFC入学までの経緯は?
田中:僕はもともと武蔵野美術大学造形学部建築学科で、アートやデザインのことを学んでいました。卒業後、ゼネコンの設計部に就職をして、都市計画などに携わっていました。2年間くらい働いて日本社会の構図が見えたら辞めようと思っていたので、タイミングが来たので辞めて、SFCの奥出直人研究室の訪問研究員になりました。そのころ、奥出研究室ではネットワーク上で建築物を設計するシステムを開発していて、僕はそこで初めてITの技術によって新しい建築の生産システムに大きく変化を与えられると実感しました。
それまではアナログのデザインの仕事ばかりだったので、思考の変換を現実的に起こすことができることをSFCで知ったんですね。それで、関わっていた研究が終了してからもSFCに残りたいと思って、受験しました。奥出研究室にいたときに、SFCでメディアアートを教えている藤幡正樹先生のことを知って、彼の研究室に入りたいと思いました。
藤幡研究室に入って間もなく、研究室が岩竹研究室の隣にあったこともあって、瀬藤と山岸に出会いました。たしか、flow結成のきっかけは、Ω館の吹き抜けがあって、瀬藤がそこで何かイベントをやりたいと言い出して・・・。
山岸:そのころ、ネットワークと音楽を使ったプロジェクトをやっていたんですよ。インターネットのウェブサイトにアクセスしたものが音楽のパターンに変換されて自動的に生成されていく・・・というようなコンセプトの作品を僕と瀬藤でつくっていたんです。1997年12月ごろでしょうか。
今ではストリーミング技術もめずらしくないけれども、当時としてはけっこう大変なことをしていたんです。
瀬藤:それで、せっかくストリーミングサーバーを使うんだったら、ただ音楽を垂れ流しにするのももったいないので、僕がDJをやることにしました。で、なんでハルマキ(田中)が関わってきたんだっけ・・・?
田中:その辺のプロセスはよく知らなかったんだけど、単にDJやっても面白くないだろうと思って、僕が「空間をつくる」って言ったんですよ。VJ(編注:ヴィジュアル・ジョッキー)のできる僕の友達が多摩美術大学からSFCに呼んで、僕らがflowを結成して、その場で彼らはDEVICE GIRLSを結成して。お互いにお遊びみたいな感じだったんですけどね(笑)。最初は「アートユニット」というつもりはなくて、イベントを軽くやろうかなぁくらいのノリでしたね。今じゃ
DEVICE GIRLSの和田くんはWIREっていう日本最大のテクノイベントのメインVJを4年連続つとめる有名な存在になっちゃったね。
2.人のつながりから生まれる作品
–それから、どんどん作品やイベントを企画・制作されてきたわけですが、作品のコンセプトはどのようにして生まれるのですか?
山岸:flowには、アートピースをつくる系の作品と、場所をつくる系の作品と大きく2つあります。アートピース系の作品は、依頼があってつくることが多いかな。
瀬藤:そうだね。展覧会のコンセプト、期間、予算、場所などを聞いてから、そこで実現可能なアイデアをかたちにするというスタイルです。今回のGlobal Windchime Project (Beijing version)(編注:http://www.floweb.org/beijing/)は、中国で開催された「Techno Orientalism」展のコンセプトに合う作品を、過去のアイデアから膨らませてつくったんです。
場所をつくる系の作品は人のつながりで生まれることが多いです。代表的なのはbeach house project(編注:http://www.floweb.org/works/beach/index.html)とkomaba dormitory project(編注:http://www.floweb.org/works/komaba/index.html)だね。
田中:そういえばdrainpipe project(編注:http://www.floweb.org/works/drainpipe/index.html)はゲリラだったけど、beach house projectは庭先でバーをやりたいと言っていた友人に「バーじゃなくて、海の家のプロトタイプをつくろうよ」と提案したのがきっかけです。
–作品のコンセプトが決まると、作品の具体像を練る作業に入ると思います。その作業についてくわしく教えてください。
瀬藤:まずは3人で集まってアイデア出し・・・まぁ、妄想からはじめるよね。それから、予算や技術的な制約について考える。
山岸:たとえばGlobal Windchime Project (Beijing version)(編注:https://sfcclip.net/news2005050602)は瀬藤が1999年に「こんなのができたらいい」と出した妄想なんですね。で、アイデアはできていて、今までにも何回か違う展覧会などに発表はしてきた。けれども、技術的なハードルの高いプロジェクトだったから、なかなか思うような場所で実現することができなかったり、逆に、技術的にできるような場所だと作品のコンセプトにマッチしなかったりしていた。それが今回の展覧会では、コンセプトや予算がうまく合ったうえに、技術的にも十分な環境があったから、Global Windchime Projectが作品として、やっと完成したんです。
瀬藤:気になっていることやアイデアは、flowのメンバー一人一人の中にセーブしてあります。何かのきっかけでflowとして作品をつくることになったときに、セーブしておいたアイデアをお互いに持ち寄って、「これなら3人でやる意味がある」と思えるものを見つけるんです。
めざすは「世直し」

–今「3人でやることの意味」という話が出ましたが、flowの3人らしさって何でしょうか。
田中:「アーティスト」と呼ばれる人のなかには、自分の内面を作品化しているイメージが強いですが、僕らは違います。僕は美術大学からSFCに来て、物事に対して一歩退いた視点を持っている学生が多いという印象を受けましたが、そういう人たちが「アーティスト」になっても良いと思ったんです。どろどろしていないアート、というのがflowの作品の特徴だと思います。
–「ソーシャルデザイン」とはどういう意味ですか?
瀬藤:まだSFCにいたころ、3人で、「それは『世直し』だ」ということになったんだよね。
山岸&田中:うん(笑)
–「世直し」ですか?!
瀬藤:ちょっとベタな言葉ですよね(笑)。僕らは、自分の内面や単に美しいものを表現したいわけではないから、「世直し」っていう言葉を使っています。「世直し」って言葉は、自分の信じていることを正しいものとして社会にアピールし、場合によっては自分の価値観を相手に押し付ける行為だから、非常に危険な響きを持っている。だけれども、ハルマキ(田中)は建築学の視点から都市の歪んだ問題をどうにかしたいという気持ちが強いし、僕も既存の物事に対して何かと不満をおぼえる人間です。僕らはそういう気持ちから作品をつくって、社会に対して「提案」をしているんです。そういう意味で「世直し」という言葉を使わせてください。「ドレミノテレビ」(編注:山岸さんがディレクターをつとめた、NHK教育テレビで放映されていた子供向け音楽番組)もそうだったよね?
山岸:「ドレミノテレビ」(http://www.nhk.or.jp/doremi/)で目指していることは、極めてflow的なことです。僕がNHKで働いているのも、コンテンツをつくることが何かしらパブリックに共有されうる目的のためのサービスになることがしたいと思っているからで、社会に対するflow的なアプローチの一つだと思っています。
瀬藤:例えば、ピカソの代表作の「ゲルニカ」っていう作品は、ナチスドイツによる無差別空襲による惨劇を世界に伝えることを目的としてつくられました。ある意味、自分の内面を表現するためではなくて、社会的なメッセージを発するための「アート」はこれからますます増えてくるんじゃないかと思います。
デザインとアートのフィールドを越えて
–flowが一貫して伝えたいメッセージは何でしょうか?
瀬藤:言葉にはまだ、ならないですかね。
–「ソーシャルデザインするアートユニット」というキャッチコピーにメッセージを読み取ることはできませんか?
田中:そうとも言えるのかな。「ソーシャルデザインするアートユニット」って実はおかしなフレーズですよね。デザインとアートは別の領域だと一般的に考えられています。
瀬藤:そうですね。「デザイン」は機能的だけど「アート」は多義性や象徴性を求めている。行間があればあるほど喜ばれるのがアートです。
田中:僕は建築デザインのフィールドで働きながら、そこで満たされない「目の前に見ている問題を問題として社会に訴えたい欲望」をアートの領域で満たしているんだと思います。
現時点では、「アート」の分野と「デザイン」の分野で活動している人たちの志向は全然違うし、突き詰めると「業態」の違いです。でももっと突き詰めると、実は「アート」でも「デザイン」でもどっちでもいいんです。言葉の意味することはどんどん変わるものですから。でもとりあえず、現時点での一般的な認識では「アート」はあくまでも問題提起のフィールドで、それを解決するのが「デザイン」のフィールドとすることができます。2つのフィールドの関係をどんどん緊密にしていくことで、やがて境界は限りなく薄くなってしまうんじゃないかと思うんです。もちろん語源的な違いはあるし、相容れない部分は必ず存在するのですが。
瀬藤:もっと言っちゃうと、今言われている「アート」と「デザイン」の違いって、「映画」と「テレビ」の違いみたいな感じです。あえていうと、ビジネスシステムの違いなんです。「アート」という言葉を発した時に、それに興味を持つ人がいて、そこで経済が成立しています。一方、「デザイン」という言葉を発した時に、それに興味を持つ人がいて、そこでも経済が成立しています。
ただ、映画とテレビと同じで、両者は相互依存だったり相互浸透していたりするんで、違いは極めて曖昧であったりすると思います。僕ら3人は、「ソーシャル」、「デザイン」、「メディア」、「アート」と呼ばれている領域や現象に興味があると言いたいために、全てをつなげて「ソーシャルデザインするアートユニット」としているだけのことです。
3.互いをリスペクトできる場所
–flowは8年続いていますが、今後も続けていかれるのですか?
瀬藤:SFCを卒業して6年経って、ようやくflow的なバランスが見えてきたと僕は感じています。
田中:仕事も作品みたいになってきてるんで、ずっとつくり続けている感じですね。
–flowに限らず?
田中:スピリットは同じなんです。
瀬藤:それから、プロジェクトごとにディレクターを決めて、flowの作品を仕上げていくという過程が大分こなれてきたとも感じますね。
田中:僕らってディレクター集団なんですよ。
–全員がディレクターなんですね。
田中:3人とも、あまり手を動かさない(笑)。
山岸:僕はずっとSFCだから基本的な美術教育を受けたわけではありません。それでも作品をつくれるのは、flowがあるからこそです。
田中:SFCってそういう人間を育てるためにあるんじゃない?
瀬藤:方法論をつくれる人ね。でもflowに関して言えば、僕らはディレクター集団ではあるんだけれども、それぞれのフィールドが重なっていない。だから、8年も続けることができました。清之進(山岸)にしかできないこと、ハルマキ(田中)にしかできないこと、僕にしかできないことがある。
田中:確かにそうですね。たとえば建築の設計の仕事は大人数で取り組むことが多いけれど、みんな同じフィールドの専門家だから、そのなかでせめぎ合いが起こります。でも、flowの3人のようにそれぞれの分野がちがうと、お互いをリスペクトできる。
瀬藤:専門が近すぎると、たとえば建築家同士とかだとさ、壁を赤にするか青にするかでぶつかることもあると思います。でも、flowではそういうことが起こらないんです。「色に関しては任せるわ」って良い意味で干渉しない。だから、フィールドが同じだったり、近すぎる人同士でのコラボレーションって案外やりづらいんです。flowはそういう意味で、うまくいっているんだと思います。
無茶をしながら、続けてきたこと

–これまでのflowの活動の中で、特に楽しかったプロジェクトを教えてください。
瀬藤&山岸&田中:(笑)
山岸:けっこう、どれも楽しいよね。
瀬藤:基本的にね、僕の中では、flowは珍道中。
–珍道中?
瀬藤:必ず何かが起きる。でも、それを楽しむ余裕もある。
田中:「ビジネスプラン」では現実に可能なことしか受け入れられないけれど、アートって現実から8割くらい飛躍しても誰も怒らない。そういう自由さがおもしろいです。僕は、アートで8割くらい飛躍して、ビジネスでは5割くらいに抑えています。それでだいたいうまくいくんです。自分のなかでは、アートがバロメータなんです。みんながアートをそんなふうに使えば、頭かたくならずに済むのになぁって思いますね。
–実験みたいですね。
田中:そうですね。アートは基本的に実験です。SFCでももっとアートに取り組んだほうが良いと思いますよ。アート系の研究室が少なくなっているらしいですけれど、SFCにとっては問題だと思いますよ。「発想の転換のし方」にはいろいろありますけれど、「アート」って一番いい加減なぶん、一番飛躍できる手段なんですよ。
山岸:SFCの学生は、物事をそつなくまとめるのが得意ですよね。仕事ならまだしも、学生のうちはもっとぐーんと飛躍して良いと思う。
瀬藤:僕もそう思いますね。20代のうちは恥をかいてもたいした傷になりませんから。たとえば自分の普段暮らしている世界と全く違う世界に旅行に行ってみることをおすすめします。自分の固定概念を壊すと同時に、自分の本当に大切なものを知るための冒険です。
–flowも「恥をかいた」経験をたくさんしたのですか?
田中:僕ら、恥を恥って思わないんですよ。
瀬藤&山岸:まあねぇ(笑)
田中:迷惑を平気でかけていましたからね。僕らのやるようなことって、一般的には「イレギュラー」なことです。どこかでおもしろくないと感じる人が出てくるのは当然のことです。それでも、受け入れられるギリギリのラインを見つけるためには、とにかくやってみないことにはわからないんですよ。
瀬藤:大学という知識の伝達の場では、文字に起こせるような情報は教室で教えてくれます。でも、恥をかいたり、無茶をしたりすることによってしか理解できないことは、自分から体験しにいかないと知ることができないんですよ。だから、どんどん恥をかいて、無茶してください(笑)。
–みなさんはこれからもflowで無茶をしていくのでしょうか。
瀬藤:flowに限らず(笑)。
一同:(笑)
山岸:flowに限らないよね。
田中:僕らには「無茶している」っていう自覚がないんですよね。
瀬藤:無茶をすることが目的ではないことを忘れないでください(笑)。でも、僕らがやろうとすることを実現する過程で起こしてしまう「無茶なこと」が楽しいことはたしかです。
–最後に、学生やSFC CLIPを読んでいる読者に伝えたいことがあればどうぞ。
瀬藤:一つのことを続けてください。それをようやく・・ようやくでもないけど、僕はflowを続けてよかったってすごく思う。
–8年ってすごいですよね。
瀬藤:過ぎてしまえば、別になんてことはないんだけどね。10周年になったら何かやろうか?
山岸:うん(笑)。続けることだけが目的じゃないけど、続けていくことでわかることがある。今日はそれがわかりました。
–最後に、現在のお仕事について一言ずつどうぞ。
瀬藤:僕はSFC、東京芸術大学、それから千葉商科大学で非常勤講師をやっています。それから、個人的に博士論文の執筆をすすめている関係上、以前やっていた音楽の仕事を減らしていますが、たまにDJなどやっています。秋学期にはSFCで授業をやりますので、できれば、音楽の好きな、元気な人に来てもらいたい。面白い人、いっぱい来て下さい(笑)。
山岸:僕はNHKの教育テレビで番組を制作したり、ライブイベントの企画制作をやっています。この記事がアップされる頃は、終わってしまっていますが、サントリーホールでやるUAの童謡コンサート、第2弾もあると思いますので、次回は学生や大人にもぜひ見てほしいです。
田中:僕はクリエイティブディレクションの会社経営をやっています。建築、プロダクトなどいろいろなデザインの分野に全部手を出したいからです(笑)。最近では、自分の手を動かすというよりかは、いろいろな分野を結び付けながら物作りをするディレクターの仕事が中心になってきています。それから、いろいろなタイプのデザイナーが50人くらい入っているコラボレーションオフィス「co-lab」(編注:http://www.academyhills.co-lab.jp/)の企画運営をしています。仕事以外では、個人のアーティストとして郊外住宅風景への問題提起をする作品やトレーラーを改造した災害救護の車を開発するなどの作品を制作し、美術展に出品しています。
–どうもありがとうございました。