外国語教育や外国語との関わり方について考える「Languages」。 第2回となる今回は、アラビヤ語語研究室の奥田敦総合政策学部教授と植村さおり総合政策学部講師に話を聞いた。第1部では、自身がムスリム(イスラーム教徒)であるお二人の話を聞き、SFCのアラビヤ語教育とイスラーム研究の重要性に迫る。

学んですぐに現地に行く


(写真は関係者様からの依頼により削除させていただきました)
奥田: SFCのアラビヤ語教育の特徴は、早いうちから現地研修に行けるということです。そのための仕組みをちゃんとつくっています。学年を重ねた優秀な学生だけが奨学金をもらって行く、というのではなく、習いたての学生たちがすぐに現地研修に参加できるようにしています。

植村: 今年度から、4月にアラビヤ語を学び始めた学生が、9月にはもうヨルダンでインテンシブ2を受けられるようになっています。

奥田: 私はアラビヤ語を始めた人が、早いうちに現地に行ってイスラーム社会に触れることは、すごく意味のあることだと思っています。もし、その人がアラビヤ語のプロにならないとしてもですね。一見、日本から最も遠い価値観を持っているように見える社会に触れて、その社会の人と共有できるものを探してみる。こういう経験は絶対に意味があります。
アラビヤ語は簡単な言葉ではないので、キャンパス内の学習だけでは、くじけそうになることもあるかもしれません。だからこそ、現地で実際に使ってみて、自分の中の変化を意識したり、学習に対するモチベーションを高めたりすることが大切なのです。

植村: 私も元々SFCでアラビヤ語を学んでいたのですが(01年入学)、初めて行ったシリア研修で、イスラーム教の教えを正しく実践しようとしている人たちに衝撃を受けました。確か、修士にあがるまでに8回はシリアに行ったんじゃないでしょうか。

SFCには、聖クルアーンを精読する授業も


奥田: もうひとつの特徴は、なんといってもアッラーの言葉である聖クルアーン(コーラン・イスラーム教の聖典) を読む授業があることです。「アッラーと対話ができる言語」としてアラビヤ語を教えている大学は珍しいと思います。

植村: 一般的に、アラビヤ語教育というと、アラブの新聞やテレビニュースなどのメディアが伝える内容の翻訳者や、アラブで活躍できる外交官や商社マンを育てることに主眼が置かれているのではないでしょうか。

奥田: その点、SFCでは、イスラームの教えと向き合うことを重視して、聖クルアーンや古典を読むことがアラビヤ語を学ぶ意義だ、というくらいのスタンスです。ですのでアラブ関係以外に関心をもっている人にも履修を薦めます。これはSFCの懐が深いからこそできることだと思っています。アラビヤ語授業のほかにも、イスラーム神学の基礎やイスラーム法などのイスラーム諸学を同時に学ぶことができるという環境が、ここにはあります。

奥田先生


言葉が通じるだけじゃ満足できない


奥田: 確かに現地に行くことは大切。ですが、なにも知らない人がただ現地に行ってもなにもわかりません。ですから、せめてこれらの授業も履修して、現地の人々の価値観についてある程度頭を作ってから現地に出かけて行ってほしいのです。

植村: たとえば、イスラーム社会における豊かさというのは、ちょっと見えにくいんですよね。イスラームの教えが息づいていて、それに由来するさまざまな善行が行われているのですが、それは口に出さないほうがよいということになっているので、こちらから踏み込まなければ、その実態はわからないんですよ。
(写真は関係者様からの依頼により削除させていただきました)

奥田: そうですよね。ただ行って話して、相手の言葉がわかるだけでは私たちは満足できない。価値観、それがちゃんとわかり合えて初めて相手を理解できるのですよね。そのためにも、聖クルアーンは不可欠です。だから、海外研修とイスラーム研究、これはセットでやるもの。彼らの社会はイスラーム教を土台に成り立っています。彼らの生き方の指針はすべて聖クルアーンに集約されているともいえます。だからこそ、私達はこの本を読むわけです。

植村: たとえば、シリアはいま内戦で危機的な状況になっていますが、もともとシリアには、人間力の高い社会が息づいていました。私は修士のときにシリアのアレッポで10ヶ月ほど、慈善活動者に関するフィールド調査をしていました。彼らは、決して特別な人たちではありませんでした。なぜ、彼らがそのように献身的になれるのかといえば、彼らはイスラーム教を敬虔に信じていて、その中の喜捨(ザカート、人間の義務として困窮者に施すこと)の教えが活動の背後にあるからなんです。

奥田: ザカートを義務としているのは何もシリアのムスリムだけではありません。聖クルアーンに定められていますから、それは16億人の信者にとっての義務なのです。その聖クルアーンは、アラビヤ語でアッラーから下されていて、他の言語に訳されたとたんに神の言葉であることをやめてしまいます。ですので、逆にいえば、アラビヤ語でこれを読むことさえできれば、ムスリム16億人と同じものを共有できることになるのです。これはね、凄いことですよ。
 価値観を共有できていると思えば、初対面でも、安心して心を開くことができます。相手も同じ気持ちでいることもわかります。これは経験してみなければわからない、ほんとうに不思議なつながり方です。



日本なりのイスラーム理解を


奥田: それに、実はもう現地に行く人間だけではなくて、日本人全体がイスラームを知る時代が来ているんですよ。ハラールビジネス(イスラーム教の教えに合わせた商品を扱うビジネス。奥田敦研究会発行のフリーペーパー『ハヤート』に詳しい)が日本でも台頭してきているし、東京オリンピック・パラリンピックの開催に向けてムスリムを受け入れる準備が必要になってもいますから。
 例えば、ハラールビジネスに関して、日本でもイスラームに即したルールづくりが求められています。それは、他の地域のムスリムのルールをそのまま持って来ただけでは作れません。日本なりのルールをつくらなくてはいけなくて、それを引き出すもとになるのが聖クルアーンなのです。そこには、異教徒との付き合い方も含め、全ての人間社会の基礎になりうる教えが含まれています。だからこそ、私たちはプラットフォームとして、このクルアーンを勉強しなければならないのです。

 第1回で話を聞いた倉舘健一講師は外国語教育の目的を「異種性と出会う」ことだと言った。だとすれば、SFCのアラビヤ語教育は外国語教育を成功させている。  次回は、お二人がアラビヤ語を学んだ経緯、そしてムスリムになるまでの経緯を聞く。