「努力か? 才能か?」エリクソン博士が登壇 為末大氏らアスリートも スポーツにおける熟達化シンポジウム
6日(土)、三田キャンパスで「努力か? 才能か? スポーツにおける熟達化シンポジウム」が開催された。1万時間の法則、Deliberate Practice理論で知られ、熟達化科学の第一人者であるエリクソン博士が招かれた。パネリストとして、杉山愛氏や為末大氏をはじめとするアスリート、研究者、指導者、SFCの教員・学生ら合わせて12名が登壇。才能と努力の関係性、2020年東京五輪に向けたアスリート育成などについて意見を交わした。
開会挨拶をする加藤准教授(左)と今井教授(左) (加藤・永野・水鳥研究室より提供)
■ゲスト
K. アンダース・エリクソン博士(Dr. K. Anders Ericsson、心理学者、米フロリダ州立大学教授)
■パネリスト
坂田淳二(元プロアイスホッケー選手、指導者)
杉山愛(元女子プロテニス選手、指導者)
為末大(元陸上競技選手、指導者)
平野一成(JOCエリートアカデミー事業ディレクター)
北村勝朗(東北大学大学院教育情報学研究部教授、スポーツ心理学)
銅谷賢治(沖縄科学技術大学院大学神経計算ユニット教授、神経科学)
万小紅(理化学研究所認知機能表現研究チーム研究員、神経科学)
今井むつみ(環境情報学部教授、認知科学)
永野智久(総合政策学部専任講師、スポーツ心理学)
水鳥寿思(総合政策学部専任講師、元体操競技選手、指導者)
山縣亮太(総4、義塾体育会競走部、ロンドン五輪日本代表)
■司会
加藤貴昭(環境情報学部准教授、スポーツ心理学)
■主催
慶應義塾大学SFC加藤貴昭・永野智久・水鳥寿思研究室
■共催
慶應義塾大学SFC研究所
慶應義塾大学湘南藤沢学会
ABLE(慶應義塾大学SFC今井むつみ研究室・東京コミュニティスクール)
エリクソン博士の基調講演で幕開け
加藤准教授と今井教授が開会の挨拶をした後、エリクソン博士による「優れたスポーツパフォーマンスと探求トレーニング: 効果的な練習に向けて」をテーマにした基調講演が行われた。同時通訳は今井教授が務めた。
以下、エリクソン博士の語り。
遺伝と環境「人類に限界値はない」
きょうは皆様にお話することができ、うれしく思います。まずは遺伝的なものと環境的なものをどう考えるかから始めようと思います。
人が何かに卓越するためには遺伝と環境の二つが大事です。遺伝によって決まってしまう要素もあります。例えば、身長と身体サイズは95%が遺伝で決まります。これらは訓練によって克服できない遺伝的な限界があります。
しかし、身長や身体サイズなどを除いたほかの特性、例えば、有酸素運動や知能といった特性には、遺伝的要素がわずかだということが知られています。また、訓練や環境によって能力は伸ばせますし、さらに言えば訓練によってスイッチの入っていない遺伝子がオンになったり、遺伝子そのものが変わってくることすらあります。
そして、あらゆる特性に対して、「人類の限界値」のようなものは見つかっていません。
数唱実験から見えた能力の訓練可能性
皆さんは、数字の羅列を一度にどのくらい暗記できますか。実験では、未訓練の人は7桁前後を暗記できるとわかっています。しかし、2時間訓練すれば10桁、200時間では80桁まで覚えられるようになりました。これを身長で例えると、一般的な背丈の人が7mの巨人になったことに相当します。身長ではあり得ませんが、記憶力では十分にあり得るのです。
人間の能力の記録は歴史とともに塗り替えられます。例えば、腕立て伏せの記録は、1965年の6006回から1980年の10507回へ、フルマラソンは1900年の3時間が2000年の2時間以下になっています。
能力の訓練可能性について講演するエリクソン博士(加藤・永野・水鳥研究室提供)
熟達は努力の結果 Deliberate Practice理論
私の主張はこうです。「熟達者と普通の人の違いは、パフォーマンスを向上させるために生涯に渡って為された努力の結果である」。卓越したパフォーマンスは通常に比べて質的に異なり、また熟達者の特性や能力も質的に異なるものであり、普通の人の域を超えています。そして、そのパフォーマンスは身長などを除けば遺伝的には決まりません。
熟達者になるためにはスキルを身につけていく訓練が必要です。あるスキルを獲得するには、まずそのスキルについて認知し、そして認知を連合し、最後には自動化させる必要があります。そうすることで、そのスキルは努力をしなくとも使えるようになります。しかし、ただ漫然と練習するだけではその域には達しません。重要なのは、「ここまでできるけど次はできない」をひたすら繰り返すこと。つまり、能力の限界を超えるための訓練(Deliberate Practice)が大切なのです。
目標へのイメージ Mental Representation
熟達者は状況判断に優れています。なぜなら、人間は、過去の経験をただ覚えるのではなく、抽象化して心的表象(mental representation、いわゆるイメージ)を持つことができるからです。そのため、今の状況を覚えていることができ、未来を予測することもできます。
良い心的表象は、一流になるためにとても大事です。例えば、空手の熟達者は、反応速度は普通の人と大差ありませんが、攻撃が身体の上部へ来るか下部に来るかを予測する能力がとても高い。つまり、身体的な反応速度よりも状況判断力の高さからくる反応性が大切で、その反応性はどれだけ優れた心的表象を持っているかに左右されると言えます。そして、心的表象は熟達するためにも大切で、実現したいパフォーマンスが見えている(イメージできている)ことで、具体的な練習ができるというわけです。
指導者の重要性 最適な時期と育成方法
卓越したパフォーマンスを生むためには、指導者の役割が重要で、選手の今の限界を見極めてどのような育成をしていくかが大切です。そして、教育をする時期も重要です。スポーツの世界レベルの人々は早い時期から訓練しており、発達に最適な時期も存在しています。ただ、注目すべきことは、一流の人は個人練習した時間が多いということです。
パネルディスカッション 才能か努力か? 2020年東京五輪に向けたあるべき選手育成とは?
エリクソン博士の基調講演のあと、パネルディスカッションが行われた。講演の感想や自己の経験を織り交ぜながら、トップアスリートになるために必要なのは才能か努力か?、2020年東京五輪に向けて日本のスポーツ界はどうあるべきか? などが話し合われた。研究者の理論的枠組みとアスリートの実践的な経験から、多彩な意見が交わされた。
以下、敬称略。
アスリートらの感想と質問 水鳥: 興味深いお話でした。自分もオリンピック選手になることを常に考えて練習しました。その結果、出場できた(アテネ五輪体操男子団体総合金メダル)ので、自分の経験と話がかなり結びつきました。 指導する立場としては、いかに優れた選手をピックアップして育てるかが大事です。どのような選手をピックアップすればよいのか悩んでます。 杉山: 17年間(1993-2009年)のプロテニス生活では、体格的には自分の体でどう戦うかを考えました。自分の中のベストをどう出せるか、自身のパワーやスピードをどう生かすかを考えて限界に挑戦する練習をしました。 質問は、限界まで行うトレーニングにおいて、本人の思う限界と指導者の思う限界のギャップをどのように埋めると良いか、あるいはどちらが大事なのかということです。また、自分の考えてる限界をどのように打破して目標設定するべきなのかを知りたいです。 山縣: 陸上短距離は黒人選手が世界のトップを占めている。そんな中で、日本人の僕がファイナリストを目指すことを、“才能”の差で諦めてしまいそうになってしまいます。でも、きょうのお話を聞いて、自分の限界を攻め続ければ可能なのではないかと勇気づけられました。 質問ですが、限界を攻めるトレーニングを継続することの難しさを改善することはできるのでしょうか。
左から、山縣さん、為末氏、杉山氏、水鳥講師(加藤・永野・水鳥研究室提供)
指導者の役割とは
加藤: 限界を超える練習の難しさ、そして選手と指導者の立場の差についてお話をお願いします。また、個人練習が大事ということですが、それならば指導者はいらないのではと思いますが、いかがでしょうか。 エリクソン博士: 指導者の役割についてはまだ研究が進んでいません。指導者は自分の経験から決め付けて指導することが多い。理論的な根拠に基づいた指導というのはまだ歴史が浅いのです。 現時点で言える、指導者の役割として大事なことは、エキスパートを意識するのであれば、本人の好きにさせるのではなく、目的に見合った方向性を作っていくことでしょう。子供の好きにさせていると、本質的に重要なスキルの習得が難しくなります。 ただし、選手が自覚している問題を指導者に話すことは、自分の弱点を晒すことになり得ます。指導者は選抜する役割もあるので、弱点を晒すことで選手が不利になるかもしれない。だから、利害関係のない客観的な立場の研究者にパフォーマンスを分析してもらうのが良いとも考えています。 トップアスリートになるために重要なことは、モチベーションをどう保つかということです。できないことをできるように練習するのが大事ですが、精神的にも厳しく、やってみないとわからないですし、すぐにできるようになるわけではないことに挑戦していかなければならない。そのためのモチベーションをどう維持してくかが大切なのです。どうやって厳しい練習を乗り越えるのか
加藤: 次はアスリートの方々にお尋ねしたいと思います。厳しいトレーニングを続ける、乗り越えるコツというものはありますか。 為末: モチベーションには、山頂を目指すものと山登りを楽しむものがあります。メダルを取るモチベーションが前者、自分を変えるモチベーションが後者ですね。メダルを取る訓練は辛いですが、日ごろの試行錯誤を通して感じる喜びがあります。この喜びや気づきが私のモチベーションになっていました。目に見える高い目標のもとで、日々成長していくことがモチベーションということです。 杉山: 私はオタク気質で、自分の身体で実験していくのが楽しみの一つです。このトレーニングをしたときに身体がこう反応したという感覚をデータとして蓄積して、練習中や試合中の自己の調子の判断に使いました。テニスは瞬発力と持久力が要求されるハードなスポーツなので、様々なトレーニングをしますが、持久的なトレーニングは仲間と一緒にやりました。ハードなトレーニンクをどう楽しむか、そして苦しいことを成し遂げたときの喜びを糧にして頑張りましたね。 水鳥: 大きな目標を目指しているときは、自分が感じる1日の変化は少ない。それで不安になります。このとき、大きな目標から段階的な毎日の小さな目標を逆算して設定することがコツです。それを一つひとつ達成していくことが最後の大きな目標につながるというわけです。 山縣: しんどい練習をするのが苦手ですが、チームメイトの力を借りて心を奮い立たせることで継続しています。 坂田: アイスホッケーはチームスポーツですが、海外に行ったとき、自分の技術の低さに愕然としました。そこで、周り選手たちの技術を分析して自分に応用しようと努めました。選手としての自分と、指導者の自分に分かれるんです。味方の動きを研究して、どうやって彼らに合わせるのかを考え続けました。そうしているうちに、思考法が徐々に変わっていきました。周りの選手の特徴を記憶して自分の立ち回りをイメージします。そうすることで、試合の展開がすべて見えたことがありました。自分だけのモチベーションも大事ですが、チーム全体を考えることもモチベーションになるのです。「努力する才能」はあるのか
為末: 「努力できる能力」は、いつ身につくものなのでしょうか。先天的か後天的か。 エリクソン博士: そこまで先天的なものではないでしょう。努力できるかはモチベーションが深く関わります。モチベーションは、「自分がやりたいか」という特殊なものです。それは、振替可能ではなく、性格テストで測れるようなものでもありません。モチベーションがあるからやって、やるから育つ。限界を攻めるような訓練は辛く、それが楽しい人はあまりいない。辛いことをするのは誰でも辛いし、一般的に思われているような「努力する才能」みたいなものはないと考えています。スポーツはいつ始めればよいか
為末: スポーツを「もう始めても遅い」という時期はいつでしょうか。陸上は18歳からでも間に合った事例がありますが、技術的な要素の強いスポーツ、例えばゴルフだと間に合いません。 今井: 発達の観点から言うと、成長段階に応じてやっておかなければならないことがあります。例えば、英語のRとLの聞き分けは、生後1年間でできるかできないかが決まります。これは遺伝子ではなく学習によるものです。 でも、言語は音だけでは決まりません。RとLの聞き分けができなくても英語は使えます。音はダメでも意味分析なら大人からでも十分間に合います。時期を逃しても、ほかの方法や要素で追いつくことができる場合が多いのです。スポーツでも、ほかの要素を応用できるなら、同じことが言えるかもしれません。何を目標にして、何をもって自分のレベルを決めるかが大事です。 銅谷: 大人になってからでも同じ機能を習得することができるかもしれません。それに、技術が向上すれば、今できないことが次はできるようになることもありますので、一概に考える必要はないと思います。アスリートをはじめ、指導者、研究者ら13名が議論した。(加藤・永野・水鳥研究室提供)
Deliberate Practice と Deliberate Play
加藤: 子どもが早いうちから厳しい練習を重ねると、怪我をしたりバーンアウト(燃え尽き症候群)したりしやすいと思うのですが、どうでしょうか。 北村: 勘違いしやすいですが、できるだけ早くから厳しい練習をすればよいものではありません。最初は専門的な指導よりも、おもしろい体験、楽しい体験を積ませる方が良いのかなと思います。Deliberate Play(実践)で楽しませて目標を持たせてから、Deliberate Practice(訓練)に入る流れが良いのではないでしょうか。 エリクソン博士: 実は、Deliberate Practice と Deliberate Play は対立しません。発達段階に応じて適切な練習を適度に積ませるのが良いのです。ただし、長くやればよいというわけではありません。保護者がやらせ過ぎたり、強要したりすることは逆効果です。自分からやれば短時間でも集中してできるのに、強制されることで、できなくなってしまうかもしれません。 このように、パネルディスカッションでは多角的な意見が交わされた。最後に、「自分と向き合うことの重要性を改めて感じた」と杉山さんは振り返った。為末氏は「研究者とアスリートの距離を縮めていきたい」と理論と実践が手を組むことの重要性に関心を寄せている様子だ。今年度からSFCに着任した水鳥専任講師は「選手が自分のことを客観的に評価して目標に近づけるようなコーチングをしていきたい」と指導への熱意を見せた。また、東京五輪に向けて期待が高まる、義塾競走部の山縣さんは「いろいろなところからモチベーションを得ることで厳しい練習を耐え抜き、目標に向けて頑張りたい」と熱意をアピールした。加藤貴昭准教授からのコメント
このシンポジウムの担当教員である加藤貴昭准教授は、SFC CLIP編集部の取材に対して以下のようなコメントを寄せた。— 今回のシンポジウムはいかがでしたか?
加藤: トップアスリートの方を交えてシンポジウムを開催できることは、とても貴重な機会です。皆さんに集まっていただいて大変感謝しています。 ただ、この1回のシンポジウムだけでは、熟達化に関する今回のテーマは伝わり切らないのです。今後もエキスパートの方々と一緒にシンポジウムを続けていきたいと思っています。 また、きょう来てくださった方々が、今後どのように熟達化を目指していくのかを期待しています。特に山縣君をはじめとする、これから道を切り開いていく現役の人たちは、きょうからでも、熟達化について考え、実践することを始めてほしいです。— エリクソン博士の講演についてはどうでしょうか?
エリクソン博士は、欧米でとても有名で、彼の理論もよく知られています。でも、誤解されることがとても多いんです。例えば、「1万時間理論」は最たる例で、ただ量をこなせばよいと思われてしまっています。そうではなく、本当は、どのような目標を持つのか、どのような質でやっていくのかという Mental Representation を自分で作った上で、Deliberate Practice をやっていくことが大事なのです。 私から付け加えるなら、リラックスして楽しむことも大事だと思っています。皆さんにはメリハリをつけてやっていってほしいと思っています。