「未来からの留学生」―これはSFCが目指す先進性を表す「比喩」として使われている。しかし、SFC CLIP編集部は、独自の情報網から字義どおり、未来からこの時代にやってきた留学生がSFC内に複数存在しているとの情報をキャッチした。極秘裏に数名の未来からの留学生に連絡を取ったところ、交渉の末、一人だけが取材に応じた。
 以下はそのインタビューの全文である。世紀を超えたインタビュー、ぜひご堪能いただきたい。

— 今回はインタビューを受けていただいて、ありがとうございます。「未来からの留学生」のうち、取材に応じていただけたのはあなただけでした。

そうでしょうね。「未来からの留学生」は自らの正体を明かすことを許されていませんから。
 

— それは、いわゆる「タイムパラドックス」の懸念があるからでしょうか?

いえ、我々がいた時代では「タイムパラドックス」は存在しないということがほぼ証明されています。じゃなきゃ、取材に応じたりしませんよ。取材に出るだけでも、変化が連鎖して私の存在が消えてしまったりするかもしれませんからね。
 我々が過去の時代に来るということそれ自体が、我々がいた未来につながるものとは別の選択肢を選んだということになります。この世界が進むルートは既に我々がたどって来たものとは別の未来に進んでいます。その未来では私は生まれないかもしれませんし、あるいはタイムマシン自体つくられないのかもしれません。
 しかし、いまここにいる私の存在が消えるわけではありません。それは、ノベルゲームで選ばれなかったルートのデータもゲームソフト内に残っていることに似ています。

— では、なぜ「未来からの留学生」は隠れているのでしょうか?

それが未来の倫理だからです。タイムマシンが開発されたとき、世界中でカンカンガクガクの議論が交わされました。タイムパラドックスが存在しない以上、未来人(この呼称はなんだか恥ずかしいですね)が過去でどんなことをしても未来に影響がありません。例えば、過去の世界を未来の技術で侵略しても問題はないのです。
 しかし、未来にも倫理は存在します。数年に及ぶ議論の末、過去の人間もまた人間であり、その生活は守られるべきという内容の世界時間憲章が採択されました。
 その後、世界時間管理会が設置され、厳しい渡航規制がかけられました。いまだに、過去観光は禁止されていますし、学術や環境保護目的の渡航も厳しい審査と規定があり、無闇に未来人であることを明かすことは許されていません。
 

— 厳しい渡航規制があるということですが、あなたは何をしに過去に来たのですか?

私は未来のある学術機関に勤めていて、可能性技術研究(Unrealized Technology Research)という名目で来ています。
 

— いまの時代にはない分野ですね。可能性技術研究とはどういう学問なのでしょうか?

可能性技術とは、「生まれる可能性があったが、生まれなかった」技術のことです。
 例えば、この時代より少し前、携帯電話は日本のものとほかの国のものは全く別の進化をしましたよね。それと同じように、全ての技術は複数の発展ルートを持っているのです。そして、そのどれかが「実際に起こった」発展ルートとなり、残りの「可能性があった」発展ルートは可能性のまま消えてしまいます。
 この仕事は、訪れた時代の技術を観察し、淘汰されたり可能性のまま消えてしまったりして未来には存在しない技術や発想を持ち帰ることです。
 技術発展に関係しそうなところに数名ずつ時間渡航士が送られ、SFCにも私を含めて何人かいます。

— どうして、そのような仕事が必要とされるのでしょうか?

それによって、未来の技術発展を刺激し、閉塞した状況を打ち破るためです。我々がいた時代では、タイムマシンの開発以降、長い間技術革新が起こっていません。「進歩」や「発展」という言葉が少しずつ、使われなくなっています。
 そのような状況のなか、未来の技術者たちが考えたのは、過去に我々が「起こした」発展のほかに「起こりえた発展」があったのではないか、ということです。「未来」というフロンティアが失われ、「過去」の忘れられた可能性が開拓の対象となったのです。
 世界時間管理会は長年の協議の末、技術観察のための時間渡航を許可しました。様々な規定が設けられ、過去への介入が最低限のものとなるように決められました。厳しい審査と訓練を経て、数人の時間旅行士が選ばれ、その一人として私はこの時代にやってきました。

— 時間旅行は気安いものではないとのことですしね… 厳しい訓練をしてまで、その仕事を目指した理由はなんですか?

 私は子どものころから空想が大好きでした。ファンタジーを読みあさってその世界に心を飛ばし、ドラゴンやペガサスなど想像上の生き物の絵を描いて遊んでいました。  いま思うと、閉塞した現実が嫌で空想に逃げていたのかもしれません。そういう逃避的な気分は、未来の子どもたちに共有されていたように思います。先ほど言ったとおり、未来では「進歩」や「発展」という言葉は流行らない、時代遅れの言葉です。  その後、私は成長し、そういう遊びからは離れ、ボンヤリと生きていました。きっと将来はAI(人工知能)によって適当と判断された職業のなかから、適当に進路を選んでなんとなく生きていくんだろう、そう考えていました。  そんなとき、たまたま時間渡航士の募集を見ました。過去に行って、起こり得た技術を見つけ出す。そして、この閉塞した状況を打ち破る。数年ぶりに感じたワクワクに、いてもたってもいられなくなって、私はすぐに申し込みました。  

— 実際に、この時代に来てみてどうですか?

 少しだけ、我々の時代と似ています。未来に期待するということがしづらいような雰囲気が流れている。それはちょっと意外でした。ただ、未来と違うのは、その空気に気づかず、あるいは無視して可能性を追い求める人たちがまだまだ多いことです。  我々の時代から見れば、いまこの時代は様々な技術のつぼみがつき始めたころです。そのつぼみを一生懸命咲かそうとしている人を見ていると、私はすごくうれしくなるんです。それは、我々の時代にはできないことです。それだけじゃない。技術だけじゃなくて、あらゆる分野にまだまだ可能性が眠っている。それは未来人の私が保証します。そのなかには、私がまだ見たこともないようなものもあるはずです。

 皆さんにお願いしたいのは、その可能性をぜひ、私に見せてほしいということです。そうすれば、私は必ず未来の閉塞を打ち破ってみせます。それをお願いしたくて、私はこのインタビューを受けさせていただきました。  もしあなたの挑戦が失敗し、つぼみのまま咲かなかったとしても、僕が必ず未来にそのつぼみ持ち帰り、華を咲かせてみせます。   ※このニュースは、2015年4月1日に更新されたエイプリルフール企画記事です。実際のニュースではありません。