「SFC CLIP」がSFCの中島洋研究室で産声を上げたのが2001年4月。中島洋研究室で開いていたジャーナリズム研究会とITビシネス研究会の双方の力が結集して誕生した新しいメディアだった。インターネットで日本をリードしてきたSFCの中に、インターネットをベースにしたメディアがないのは怠慢ではないか、と、常々思っていたが、そこに研究会のプロジェクトとして提案が出てきた。僕は小躍りして、この企画に飛びついた。紙の新聞を発行しようとすればコストは多額に上り、とても研究室で発行しきれるものではないが、インターネットでは、コストは微々たるものだ。


 最初の企画案は、「月1回の発行」だった。僕は「毎日発行にすべきだ」と無理を言ったので、企画したチームのメンバーは腰が引けそうになって、結局、「週1回」で落ち着いた。この原則は今日に引き継がれているようだが、記者を増やし、仕組みを工夫して、週2回、週3回、と少しでも「日刊SFC」に近づけて欲しいと思う。
 当初の編集部の学生たちは、SFCの関係者が興味をもつ事柄について、できるだけSFCの視点に立ってユニークな記事を作ろう、ということで、さまざまな問題点を発見、発掘して、論説付きで報道することに心を砕いてきた。「事件」の報道もした。発行日の金曜日まで待てないニュースは号外を出した。月曜日の授業に関係する早慶戦については、神宮球場に記者が出向いて、結果をメールニュースで速報した。
 特に、9月11日の米国同時多発テロの際には、夏期休暇中でもあったので、SFCの関係者が多数米国にいて、その消息を速報していったのは、インターネットメディアがいかに、リアルタイムの報道メディアとして強力であるかを、実感させたものである。
 村井純教授はブラジルでの国際会議の帰国途中でニューヨークの空港で足止めを食った。米国視察旅行中だった僕も、ワシントンに移動する直前。サンフランシスコで身動きが取れなくなった。ニューヨーク校卒業生で、ニューヨークの家族のもとに帰っているときに騒動の中で振り回されたSFC生もいた。
 当初、百に満たない読者で始まった「CLIP」も今では定期購読者が2700人に上っているそうだ。僕がSFCを去った後は、小檜山賢二先生のお世話になっているが、これを機会にさらに編集や発行体制に工夫を加えて、大きな発展を遂げて欲しい。OB・OGも増えて、協力者の層は年々、厚くなってくる。これらの協力者は皆、ネットワークに常駐しているような先達ばかりだ。協働する構造を考えても良いかもしれない。
 しかし、世の中では「3号雑誌」も少なくない中で、多くの困難に出会いながらもよくぞここまで頑張ってきた。改めてこの継続の力の強さに驚くとともに、先輩を乗り越えて時代に見合った大きなメディアに育つことを期待したい。