20日(金)、ORF2015で「未来創造塾スタート! そしてその先へ」と題して、現在SFCで建設中の滞在型教育研究施設「未来創造塾」についてのセッションが行われた。SFCの学生、教授、卒業生だけではなく、学事・法人職員や藤沢市職員、SFC卒ではない慶應義塾の評議員も参加。さまざまな主体を巻き込む未来創造塾のイメージが体現された。

多くの参加者が集まったセッション

多くの参加者が集まったセッション

槇文彦さん「SFCこそが慶應の国際的評価を上げられる」

序盤にはSFCのキャンパスを設計した建築家・槇文彦さんのプレゼンテーションが行われた。「情報センターのようなものを当初からSFCの中心にするつもりだった」と振り返り、設計段階から単なる図書館ではないメディアセンターをSFCの中心に置こうとしていたエピソードが語られた。自然な見通しの良さを重要視しながらも、鴨池を残すような設計にこだわったという。一方で、「世界と一緒に研究するための宿泊施設を含め、もう少し生活するための場所をつくればよかった」と当時の反省も述べた。「太っていた加藤寛初代総合政策学部長から、教壇と椅子の間のスペースを十分取ってほしいという非常にスペシフィックな要求をされた」と今だから明かせるエピソードもこぼれ、会場が笑いに包まれる場面もあった。

槇さん自身が設計に関わってきた世界各国の研究施設の事例も紹介。ワシントン大学の研究棟やMITメディアラボの設計を務めた経験から「キャンパスに求められるものは時代によって変化する」と訴え、次の時代を見据えて考えることの重要性を示唆した。

さらに、英語で行われる授業のみで卒業単位数を取得できるGIGAプログラムなどに触れ、「慶應のなかで一番国際化が進んでいるのはSFC、そういう空気を大事にしてほしい」と槇さん。研究レベルの高い慶應義塾大学が世界ランキングで実態と離れて過小評価されているのは国際化が進んでいないことが原因だと指摘し、SFCこそがこの状況を打開することに期待を寄せた。

設立当時のSFCの空撮をバックに語る槇文彦さん

設立当時のSFCの空撮をバックに語る槇文彦さん

「SFCは世界中のどのキャンパスよりも美しい」と村井純学部長

後半は、SFCの学生、教授、卒業生だけではなく、学事・法人職員や藤沢市職員、SFC卒ではない慶應義塾の評議員、さらに観覧していた高校生も参加。あらゆる関係者を巻き込む白熱したセッションが行われた。

SFC立ち上げ時の苦労を語る村井学部長

まずは村井純環境情報学部長がSFC設立がいかにハードルの高い挑戦だったかを振り返る。「学部名ひとつとっても論争が絶えなかった。今でこそ総合政策学部という名前はさまざまな大学にあるが、当時はそんな変な名前の学部はどこにもなかった」という。それだけではない。同じカリキュラム編成をする総合政策学部、環境情報学部がどう役割分けをするかでも揉めた。

三田、日吉ではない慶應をつくるのは全く先行きが見えないことだった。「塾高(慶應義塾高校)や女子校(慶應義塾女子高校)からSFCに行く勇気のある人がいるのか心配だった」と明かす。教員にとっても学生にとっても初めての試みで、ともにキャンパスをつくっていくという明るくも不安だらけのチャレンジだったという。

また、村井学部長は「SFCは世界中のどのキャンパスよりも美しい」とアピール。森に囲まれ都心からも遠く、しばしば「僻地」と呼ばれるSFCだが、緑に囲まれているからこそ落ち着いた環境で心が美しくなり、アクセスが悪いからこそコミュニケーションと団結が生まれたという。「三田会の木の寄付のおかげでこうして美しい森が広がっているわけで、その点については非常に感謝したい」と謝辞も述べた。

「SFC着任は島流しだと思った」と河添健学部長

河添健総合政策学部長は、村井学部長より5年遅れてSFCに着任した。それまでずっと理工学部にいた河添学部長は、SFCへの着任について周囲から「島流しではないか」と言われたそうだ。本当に島流しではないかと心配になった河添学部長は「3、4年で矢上キャンパス(理工学部)に帰ってこれるか確認し、いつでも帰ってこれると言われたので着任した」という。しかし、実際は20年たっても誰も理工学部に帰ってきてほしいと言ってくれないそうだ。「SFCの存在は耳にはしていたがよくわからないものだと思っていた。理工学部とあまりに違うアプローチで評価されることが心配だった」と河添学部長は当時を赤裸々に振り返った。

SFCは事務室、学生にとっても新たな挑戦だった

立ち上げ当時のSFCで困難に直面していたのは教員だけではない。事務室や学生にとってもすべてが新しい挑戦だった。「一からすべてをつくっていかないといけないので、学生と話し合うことを大切にした」と設立時からSFCの事務を行う高野仁SFC事務長。SFC1期生の鈴木さんは「高野さんと夜中の見回りやイベントづくりをして、キャンパスを盛り上げようとしていた」という。

多くの困難があったが、「当時は未来を不安視するというムードがなかった」と鈴木さん。未来はワクワクするもので、それがSFCという場所で自分の基本軸になっていったという。そういう人間を多く出すのがSFCというキャンパスであり、未来創造塾もそういう場であってほしいと訴えた。ちなみに、卒業生の間でも何か未来創造塾でイベントをしようという話が出ているそうだ。

SFCは25年前と変わったのか

近年SFCは雑誌やネット上などで「普通のキャンパスになってしまった」という批判をよく受ける。それについて、卒業生の一人は「卒業生として今のSFCは昔のSFCのイメージと変わらないけれど、情報伝播の仕方の問題で普通の大学と言われてしまうのではないか」と意見を述べる。

さらに、冨田勝環境情報学部教授は「自己保身、安定志向による日本の停滞のなかで、他人に自分の得意技で貢献しようというスピリッツは25年前と寸分違わない」と断言。また、4期生でSFCに22年間、学生、教員という形で在籍してきた井庭崇総合政策学部准教授は「自分より少し先輩の代は楽天などITベンチャーを創業した人が多く、後輩にはマザーハウスなど社会起業した人が多いという違いは確かにあるが、今までにないものをつくっていくというSFCのスピリッツは変わらない」という実感がある。教員や卒業生のなかではSFC精神に対する認識は今も昔も変わらないようだ。

しかし、ある卒業生からはこんな意見も。「今は1期生のころと違い、SFCの考え方のプロセスや環境が当たり前だと思っていて、時にその強みを認識していない」。さらに「三田などのSFCの外部に行くとよく気づく。SFCの卒業生は三田会のような単純な同窓会では集まらない。何かおもしろいことが特段とないと物足りないと思い集まらない」という意見もあった。SFCは1年生でも大きなプロジェクトを回しているのが特徴的で、ほかのキャンパスには見られないという。25年前新鮮だったものは、今のSFCでは当たり前となっている。そんなSFCの特徴や強みを再認識することが必要なのだろう。

SFCこそが慶應のあるべき姿

「SFCこそ慶應」だと会場で最初に口にしたのは村林裕総合政策学部教授。村林教授は幼稚舎から大学まで慶應で、SFC出身ではないがSFCこそが正統な慶應と強く言う。「最初にそういう話を聞いたのは、冨田先生から。そうなのかなって思って、福澤諭吉の書いた福翁自伝を見れば、SFCのことがそのまますべて書いてある。そこで、SFCが福澤諭吉が真につくりたかった本物の慶應なのだと気づいた」。

また慶應義塾の評議員であり、文学部で非常勤講師を務めたこともある公益財団法人根津美術館顧問の西田宏子さんも次のように話す。「非常勤講師として三田文学部の授業を持っていたとき、とても遠いSFCから授業を受けている学生がいて驚いた。SFC生の書くレポートの文章は一捻りもニ捻りも違って、ほかの学生とは発想が違ったことが印象に残っている。SFCが慶應の中心になり得ると思った」。 ただ、他学部から見てSFCは物理的にも精神的にも遠く、そんなSFCに少しでも日吉や三田の人々が近づけるようにする工夫が必要だとも述べた。

同じく評議員で経済学部卒の石井壯太郎さんも他学部を巻き込む重要性を訴えたほか、来場した高校生からも「SFCのスピリットを大学から広げてほしい」という声が出た。

「SFCこそが慶應のあるべき姿」という考えは多くのSFCの教員に共有されているようだ。「2007年のプロジェクト立ち上げ時から未来創造塾に関わっている」という古谷知之総合政策学部教授。学部長補佐の古谷教授は、かつての学部長から海上自衛隊、陸上自衛隊の寮に泊まって未来創造塾のための調査を依頼されたこともある。そんな古谷教授は、「実は慶應義塾のなかに塾をつくっていいのかという議論もあった」というかつてのエピソードを明かす。名称についてはさまざまな論争があったが、当時慶應義塾理事の村井学部長が「SFCこそ慶應」だと言い名称が決まったそうだ。セッションでは「SFCが慶應の本質、本流」という議論が盛り上がった。

今回のORFでは来場者の意見も取り込む SFC-SBC

このように未来創造塾はSFCだけではなく慶應義塾にとってもそのアイデンティティとなり得る可能性を秘めている。そのためにもさまざまな主体を巻き込もうと、SFC-SBC(Students Build Campus)という名称で、学生が施設設計や建築に積極的に関わってきた。そしてさらに今回はORF来場者の意見も取り込むため、未来創造塾も含めSFCの全敷地を再現した模型を用意し、来場者の意見にもとづいて新たに模型を製作し、イメージをふくらませた。多くの来場者が現在SFCに不足している衣食住にまつわる施設の必要性を提起したという。

ORF2日目の21日(土)、この建物が追加された模型を使ってセッションが行われた。「未来のキャンパスをデザインせよ! ―SBC出張カンガク会議発表会」と題し、毎週水曜日にSFCで行われているカンカンガクガク会議のように、参加者同士がざっくばらんに未来のSFCのあり方について議論した。オープンな空間とセキュリティをどう両立させるのかという意見が高校生から出されたことに対し、プロジェクトに関わる卒業生の菊地豊栄さんは「高い塀がある街より、ない方が安全という話がある。『見る』『見られる』の関係のある、人の顔が見える村をつくってセキュリティを上げる」と答えた。

模型を指さし未来創造塾の設計プランを語る菊地さん

模型を指さし未来創造塾の設計プランを語る菊地さん

今回は言葉通り多様な人がセッションや未来創造塾のプランニングに参加した。義塾横浜初等部に孫がいるという方から「未来創造塾ができ、普通では生まれないようなアイデアが生まれるSFCに将来孫が入るのが楽しみだ」という声も聞かれたように、このプロジェクトは今、そして未来に生きるさまざまな人が関わるものだ。SBCプロジェクトの中心メンバーの土肥梨恵子さん(総4)は、「既存キャンパスはそれぞれの専門を深めていくところで、新しい未来創造塾は実践を深めていく場所。そこにはさまざまな研究会、人のコラボレーションが必要」と語る。いかに多くの人たちを巻き込んでいくかが未来創造塾の成功の一つの鍵となるだろう。

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