『車内での携帯電話のご使用は、他のお客様のご迷惑となりますのでご遠慮下さい』
 今では当たり前となったこのアナウンス。1996年頃からの携帯電話の爆発的普及に伴い、交通機関各社も車内での携帯電話の使用について、乗客のマナー向上を訴えるようになった。けたたましい着信音や、辺りを憚らない大声での通話は確かに「迷惑」かも知れないが-


 1996年1月に850万台弱だった携帯電話の契約数は今や7,200万台を超え、契約数の伸びこそ鈍ったものの、成熟市場となると共に日常生活への密着度を高めている。そんな中、いつまでも「迷惑」だから禁止というのも如何なものだろう。日本人サラリーマンの平均通勤時間は片道1時間15分、仕事中の移動も含めるとかなりの時間である。こちらからかけるのは遠慮するにしても、『かかって来たんだからちょっとくらいいいじゃないか』というのも人情だ。
 懸念されるペースメーカへの悪影響は、1996年のペースメーカ協議会とNTTの共同実証実験により22cmが安全距離であるとされている。影響のあった最長距離が15cmで、安全マージンをとって1.5倍の22cmとなった。このガイドラインは、W-CDMA・CDMA/CDMA2000 1xといった携帯電話の新規格も2002年に改めて考慮され、総務省がその妥当性を確認している。人道的な配慮を要する事項だけに軽挙は慎むべきだが、過剰な心配だという見解もある。人命に関わるという『伝家の宝刀』扱いが、ペースメーカ利用者の不安を募らせている面も否めないからだ。
 「迷惑」だから、という理由はかなり曖昧である。例えば、同じ車内でも新幹線のデッキが迷惑でないのはそういうルールだからで、ちょっとした見方の変え様で迷惑もどうなるかわからない。さらに論を進めれば、こういったマナーの存在が乗客の不快感を煽っているという言い方もできる。マナーの存在がマナー違反者を浮彫りにし、社会的規範の逸脱をより目に見える形にしてしまうという、マイナスの方向への作用も考えられないではない。
 携帯電話の急激な普及は社会に明らかな変化をもたらした。マナー問題は、その変化が生んだ既存の規範との軋轢かも知れない、と少しゆったり構えてはどうだろう。ペースメーカ利用者への配慮も必要であるし、迷惑な行為は「迷惑」でいいが、あまりに白い目を向け過ぎでは、と思う。諸外国では車内通話は当然のことであるし、化粧の匂いや酔っ払いの方が迷惑だという調査結果もある。『ちょっとくらいいいじゃないか』というゆとり一つで、新しい社会の新しいマナーが生まれるかも知れないのだ。