21日(金)11:00-12:30には、坂茂環境情報学部教授の研究プロジェクトにより提案された、日本のデザインを保存・継承していくためのミュージアム設立に向けたセッション「東京デザインミュージアム設立構想」が開かれた。


 まず、坂研究プロジェクトの学生がミュージアムの設計、展示のコンテンツ、フィージビリティ、レストラン、ショップの運営などを具体的に数値などであらわした10年間の計画案を発表した。これを受けて、集まった13名の有識者がまずは各々の感想と提案を述べていった。ここでは、それぞれの意見の一部を紹介する。
 企業ミュージアムに携わってきた水野誠一氏(前参議院議員、元西武百貨店社長)は、「事業計画としては面白いけれども1日2000人というのはちょっと甘いのではないか。2000人集められるだけの企画をするために、そこで絶えず何かが行われているというようなアクティブなイベントを多発していくような、動的でダイナミックなミュージアムにするのはどうだろうか」と提案。続いて三宅理一環境情報学部教授が「コンソーシアムをつくることになれば協力したい」と意欲をあらわした。写真家の藤塚光政氏は「子どもを中毒状態にさせるようなものに」とコメントし、一方、MUJIのデザインなどで有名なプロダクトデザイナーの深澤直人氏は「日本の産業を中心としたデザインは他国と違って『集団』によって生み出されたもの。有名な作家展に終わらないように、これまで隠されていたその事実を世界にアピールできるように」と企画展示の内容にまで踏み込んだ。
 このように、基本的にデザインミュージアムをつくらなければならないという意識の点では、全員が賛同していた。その上で、建築家のアストリッド・クライン氏(クライン・ダイサム・アーキテクツ)は「ブランド力よりもコンテンツを重視する時代になっているので、まず良いキュレーターが必要でしょう」とコメント。また彼女のパートナーである建築家のマーク・ダイサム氏(クライン・ダイサム・アーキテクツ)も「私や私の友人たちはよく、日本のデザインはこれだとわかるようなCenterがあると便利なのに、という話をします。スウェーデンやイタリアのようなデザインで有名な国があります。日本の顔も、これまでの『メーカー』から『デザイン』になればいいですね」とデザインミュージアム設立の意義を再確認した。
 会場を沸かせたのはイラストレターのサイトウマコト氏による「この国に関しては、頭にきている」という発言だったが、彼もまた運営面を気にしていた。「国に任せては東京都写真美術館や東京都現代美術館の繰り返しになってしまう。これは、ビジネスとして成功しないといけない」と泡を飛ばした。これに対して、永井一正氏(日本グラフィックデザイナー協会理事、日本デザインセンター最高顧問)も通産省の傘下にある協会の立場から「やはり運営団体が問題でしょう」とサイトウ氏に賛同した。この構想を実現するのに必要な大変な労力を誰が引受けるかということが、後半の議論で最も話題にされた。雑誌を1冊まるごとこの構想で特集した『D』編集長の平沢豊氏も、「運営主体をどういうふうにつくっていくのかが一番の課題。デザイン開発、企業との商品開発など社会循環型の美術館にするならば、むしろ『運動体』のようなものであった方が良いかもしれない」と運営面を心配。同じように建築家でプロダクトデザインも手掛ける黒川雅之氏は「過去のプロダクトの展示は相当工夫しないとつまらない。そこで、たとえば10年間でいろいろなデザインを収集してコレクションするという『スタジオ』形式をとるのはどうだろう。また、デザイナーだけじゃなくプロダクト産業界が興味を持つようにならなければうまくいかないだろう」と新しく提案した。
 しかし、より根本的な問題から考え直す必要があるのではないかという意見もあった。「世界のデザインミュージアムはマンネリ化している。それを新たに日本に作るならば、これまでのデザインミュージアムを批判的に見直す必要がある。この構想にはたくさんの企業を協賛につけることをあげているが、企業だけでなく個人単位の職人も取り込まないといけないだろう。そうしなければ、設立当初は盛り上がっても、すぐに色あせてしまい、人々に飽きられてしまうだろう」と発言したのは理工学部教授で建築家の隈研吾氏。また、イラストレーターの木村氏は「これまでは物としての『実態概念』であったデザインの『美と用』が、ネットワーク社会では意味を作り出すだめの『関係概念』になる。この構想には、思考と思考をのつながりを探究する教育施設という可能性もあるのではないか。また、これまでのようなデザインの分類を越えた『共通感覚』で結ばれたコモンズ単位でデザインを考えることも必要とされているだろう。つまりデザインの基本原理から組み立て直さないと過去形に終わってしまうのではないか」と「デザイン」という言葉からの見直しを訴えた。
 こうして、構想の核となるコンセプトができるまでには、まだまだ話足りないという雰囲気のなか、2時間近くにおよんだセッションは終了。SFCが提案したものだからこそ、このような機会が設けられたのだということを再確認し、構想の今後への期待が膨らむものとなった。