「SFCの黒羊」阿川尚之総合政策学部長
創設20周年企画としてSFC CLIPが送る新企画「CLIP Agora」。SFC生のみならず、OB・OGや教職員から様々な「SFCらしさ」を語ってもらう企画である。第1回目は阿川尚之総合政策学部長に寄稿していただいた。
———-
「SFCの黒羊」阿川尚之総合政策学部長
我が家の子どもたちがまだ小さかった今から二十年ほど前、アメリカで買った毛布を今でも使っている。白い羊が何匹も並ぶ模様なのだが、そのうちの一匹だけ黒い羊である。実はこのデザイン、英語の「ブラックシープ・オブ・ザ・ファミリー」という慣用句を視覚的に表したものだ。白い羊の群れに、遺伝子のいたずらでまれに黒い羊が生まれることがある。この現象から、「一人だけ親に似ない、周囲と調和しない人」を指すようになったという。日本語の「鬼っ子」に似ている。
実は小生、自分がSFCの黒羊だと、密かに思っている。SFCには積極的に世の中に関わろう、自分の力で世の中を変えていこうという、元気のある人が多い。気候温暖化を防ぎ環境問題を解決しよう。新しいベンチャーを立ち上げよう。21世紀の新しいインターネットシステムを構築しよう。そのエネルギーたるや、見上げたものだ。
私自身も学部長として、学生諸君に対し「問題の発見、問題の解決」を目指せ、「未来への先導者」たれ、などと発破をかけているけれども、当の本人はできればあんまり人と会わず、家で静かに歴史の本など読んでいたい。海のそばで一日中じっと沖を行く船を見ていたい。何にも立ち上げたくない。(第一、「立ち上げる」という言葉が大嫌いである。)せっかくだから寝かしておけばいい。
小さいときから、自分があまり周囲になじめないと感じていた。友人のなかで騒いでいても、ときどき遠くから友人と自分自身を冷ややかに眺めている。慶應義塾高校に入学したときは、特にそれを感じた。慶應高校生は、勉強はあまりしないけれど、人づきあいがうまく格好よかった。そんな彼らがとても遠く思えた。
けれどもそれから三十年間、人前で一応話ができるようになったし、大勢の人のなかにいても気後れしなくなった。歳を取って図々しくなったのだろうか。あろうことか、この頃は時々「あなたは幼稚舎から慶應ですか」などと訊かれることさえある。知らないうちに私は、「慶應らしく」なっていたらしい。
さて「SFCらしさ」である。開設されてからまだ20年も経っていない、しかも研究・勉学の内容がきわめて多様なこのキャンパスの教員や学生に、共通の「らしさ」などあるのだろうか。そもそもSFCの人は、SFCとは何か、総合政策学部・環境情報学部とは何かを論ずるのが好きだ。これほど自らのアイデンティティーを問いかけ続けること自体、SFCが何であるかがよくわからない証拠ではないか。
ある人は、SFCの原点を慶應義塾の創立者である福澤の精神に求める。SFCは福澤先生の理想にもっとも近い学校だと主張する。ある人は、それをSFC開設時の加藤寛さんや相磯秀夫さんの果敢なるファイティング・スピリットに求める。創設時のSFC精神はどこへ行ったのかと嘆く。さらにある人は、過去を振り返るな、これまでの歴史など関係ないと断言する。SFCは常に未来を向いているのだからと胸を張る。それぞれ一面の真実があり、それぞれ何か足りない。
私自身、大学で教えてみたいと初めて考えたとき、思い描いたのはキャンパスの真ん中にチャペルがあるような、古い静かな大学であった。大教室には黒光りする大きな教壇があって、学生は静かに講義へ耳を傾けノートを取っている。図書館の書庫へ入れば古い本の匂いがする。入口には大きくて立派な古い門があり、キャンパスの外へ出ると古本屋がある。そんな大学で私は少人数の学生と小さな教室で集まり、古典を輪読する。
それがどうだ。私が着任したSFCには、チャペルなど天上の世界を思わせるものは何もない。おそろしいほど現世的だ。大教室で授業が始まると学生は一斉にノートパソコンを取り出し、キーボードをたたく。メディアセンターでは本よりコンピューターが幅を利かせる。SFCの周辺に古本屋はおろか、本屋が一軒もない。万葉集の歌や蕪村の句を口ずさむ人は絶えてなく、URLやらRFIDなど、わけのわからぬ横文字の略語ばかりが横行する。
そんななかで、19世紀の合衆国憲法判例を学生に読ませ、日米関係史の授業で日米和親条約の原文を配る。1年生の授業では『学問のすゝめ』を手で写させ、コンピューターは授業中なるべく閉じろ、パワーポイントは嫌いだ、きちんと文章を書けとわめく。そんな私は、どう見てもSFCの黒羊である。SFCらしくない。
しかしである。着任以来ずっとそう思ってきた私の気持ちが、少し変わりつつある。学部長になって初めての三田の会議。塾長以下、常任理事や学部長・研究科委員長が並ぶなかで、やおらノートパソコンを取りだしたのは、「私を含む」SFCの面々だけだった。「おや、私もSFCらしくなったのかな」と、内心おかしかった。
去年の秋、三田の教員談話室で、SFCの同僚F先生と打ち合わせをしていたときのことである。FさんもあんまりSFCらしくない。「2人とも、SFCでは異質ですねえ」と言うと、Fさんにやりと笑って、「でも、我々SFCだから、生きていられるんじゃないですか」と答えた。同感である。
まったくSFCらしくない人でも排除せず、鷹揚に受け入れてしまうのが、もしかすると「SFCらしさ」なのかもしれない。