2007年度もあとわずかとなった。4年生が卒業を迎えるが、退官される教員も少なくない。長い間SFCを見てきた教員は「SFCらしさ」をどう思っているのだろうか。今週からのアゴラは退官される教員特集でお届けする。



小檜山賢二政策・メディア研究科教授

SFCは道場だと思う。どんな道場なのだろうか。
 SFCには、ダブルメジャー(二つの専門を持つ)というコンセプトがある。これは、文系と理系が共存するキャンパスにおいて、それぞれの頂点を極めたうえで、既存の学問領域に橋を架けることにより、新しい学問領域を生み出し、時代を先導するのだということなのだろう。
 これを、一学生・一教員の立場から考えてみよう。専門を持ち、それを探求することにより、いろいろなことが見えてくる。それがとても重要なことであることは間違いない。しかし、それだけでは足りないのだSFCはいう。もう一つ以上専門をもてというのだ。それは、新しい学問を生み出そうとするSFCらしいコンセプトだ。また、富士山のような独立峰ならともかく、現在のような複雑な世界では、山の頂上を極めても別の山に隠れて見えない部分があるので、もう一つの頂上を極めなさいといっているようにも思える。つまり物事に対して、複数の視点を持てということなのだろう。
 しかし、これを実現するのはなかなか難しい。先ず、一つ専門を極めなければならない。SFCの学生の多くは、「自分探し」が好きだ。いろいろなことをやってみて、その中から自分の進む道を見つけたいということだ。SFCには、多様でレベルの高い教員がそろっている。研究会を渡り歩けば、様々な経験が出来る。しかし、自分探しで4年が終わってしまう学生も少なくない。私の研究会では、「今すぐにやりたいことを決めろ! 」という。そしてそれを一生懸命やってみる。一生懸命やれば、自分が変わる。そのとき、同じことを続けても良いし、やりたいことが、別に見つかったら、それを始めればよい。努力するということは、自分なりの山を登ることだから、その結果やりたいことが変わることはよくあることだからだ。エベレストや富士山ではないかもしれないが、自分なりに苦労して、努力して、山を登らないと周りが見えてこない。知識だけではなく、実感としてそれを感じた時、学生なりの頂上に立ったといえるのではないだろうか。
 それだけでも大変なのに、もう一つ専門を持てという。確かに、SFCの教員・環境はすばらしく、本人の努力次第では、トリプルメジャーだって可能かもしれない。しかし、一般的にいえば学生にとってはなかなか難しい課題だろう。私は、必死に頑張る対象があれば何でも良いのではないかと考えている。スポーツでも、クラブ活動でも、自分の頭で考え、努力さえしてくれればよいのではないかと思う。
 このように、ダブルメジャーを育てる道場が、SFCなのだと考えているのかというと、そうではない。
 複数の視点であることを見たとき、初めて真実が見えてくる、という場合もあるだろう。ところが、多くの場合異なった真実が見えてくる。真実は一つのはずだ。ある視点では重要なことが、別の視点では重要ではなくなる場合だってある。上述のように、本人の努力次第では、トリプルメジャーだって可能かもしれない。でも、専門を増やせば増やすほど、真実の数が増えてしまうかもしれない。さてどうしたらよいのか。
 SFCは、様々な専門家が同居している多様な環境である。ダブルメジャーとは、そのような環境を自分の中に作るということだと思う。つまり、その結果何が起こるかは、自分自身の問題であり、大学で教えることは出来ない。自分の中の異なる真実を自分の中で消化する。真実が一つとは限らないということを感じたとき、もっと広い意味での自分を見つけることが出来るかもしれない。複数の真実があるかもしれないことを知ったとき、他人の立場に立ってものを考えられるようになるのではないだろうか。他人の話を先入観無く、フェアーに聞けるようになるのではないだろうか。ニュートラルな状態で自分を見つめられ、また他人と接することの出来る人間になるための道場が、SFCなのではないかと思うのだ。
 実は、このことは教員にもいえる。十年前に赴任してから、これまで経験したことの無いような、様々な専門の教員と一緒に仕事をしたり、議論したり、時には遊んだりした。ここで述べたことは、赴任以前から漠然と考えていたが、この十年間で、実感として味わうことが出来た。SFCは、教員にとってもすばらしい道場だった。