先月10日(土)、徳田英幸環境情報学部客員教授の最終講義会が行われた。講義はθ館がいっぱいに埋まるほどの大盛況で、直前までキャンパスで行われていたシンポジウム「Keio TGU Creative Cluster International Symposium on Co-evolving Cyber Physical Systems」で基調講演をした教授らも出席した。

恩師から同僚、卒業生から現役生まで駆けつけた

まず登壇したのは司会の中澤仁環境情報学部准教授。徳田教授が最終講義のために用意したスライドの枚数が来月まで話し続けられるのではないかというくらいに多い、と冗談を言うと、会場が笑いに包まれた。そのあとは徳田研の卒業生で、カーネギーメロン大学(CMU)のクリフ・マーサー氏がサプライズゲストとして登壇し、徳田教授と抱擁を交わした。「OSの研究に熱心だった徳田教授は、本の山に囲まれ、夜な夜な論文の編集を、それも手作業で行っていた」というマーサー氏の当時の思い出話も披露され、和やかな雰囲気に包まれて90分間の最終講義が始まった。

満席のθ館 満席のθ館

分散処理システムの権威になるまで

徳田教授が初めてコンピューターに触れたのは慶應普通部の講習で、塾高の数学研究会で大学生と一緒にBASICという言語でプログラミングをしていた。義塾の工学部に進むと、メインフレームの時代からマイクロプロセッサを使った分散システムの時代へと変化するのを経験し、常識を疑うという研究の姿勢を身につけたという。

そして卒業後は日本IBMに入社したが、入社当日にカナダのウォータールー大学への入学許可証が届きすぐさま退社したと話し、会場からは驚きの声が上がった。ウォータールー大学では理学部博士課程にて、分散リアルタイムシステムの開発といったOSの部分から、当時東京工業大学にいた村井純政策・メディア研究科委員長のマシンとCMUにある自分のマシンを繋ぐ、といったネットワークの部分まで、幅広く研究した。そして1982年、分散リアルタイムシステムのプロの研究者となった。

SFCの教授として

SFC誕生前を振り返る徳田教授 SFC誕生前を振り返る徳田教授

1990年からSFCに勤めはじめたが、1993年までCMUの教員だった。そのため半年はCMUで、半年はSFCで教えている、という期間があったという。
SFCに着任した当時は、ユビキタスネットワークの時代が到来していた。いつでもどこでも繋がる人間中心のICTを作り上げていこうという提言を国にし、企業やSFC創立期に入学してきた学生やとともに数々のプロジェクトを行なっていた。ユビキタスのビジョンは、今日に社会でも重要視されているものであるという。
その後、1997年から2016年にかけては、情報化の常任理事、政策・メディア研究科委員長、環境情報学部長、そして再び政策・メディア研究科委員長と、義塾内で様々な役職を勤めてきた。ユビキタスコンピューティングについて政府に提言をしたり、メディア露出の多い研究もした。徳田教授自身が取り上げられたニュース番組をθ館の大画面で放映した。

未来に向けて

最後に、「これからの研究教育」と題して、ORF2015で議論された、社会的コンテキストを踏まえた研究のあり方について語った。これからは人と機械が共に社会をデザインしていく共創社会になる。そのためには、研究者も社会と接点をもって、オープンマインドでいることが大切だと話した。

感極まる徳田教授 感極まる徳田教授

質疑応答の際には、徳田・村井研恒例レクリエーションイベントについて、徳田教授が大のスポーツ好きなことや、元徳田研メンバーがフットサル好きだったからだ、という伝統の始まりが明かされた。

卒業生と現役の学生らからの花束贈呈 卒業生と現役の学生らからの花束贈呈

徳田教授は現在、国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)理事長を勤めていて、今後も名誉教授としてSFCで教鞭を執る。今後も益々のご活躍を祈念します。

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