これまで、SFC生の就職活動やその後のキャリアを左右する要素として語られてきたカリキュラム。その新規性・独自性のために開設当初から幾度となく議論の俎上に上っているが、学生にとってSFCのカリキュラムはどのようなものだったのだろうか? 直近のカリキュラム改定の背景から、現状を整理する。

SFCのカリキュラムってどうよ

 既に体系化された学問を修めるのではなく、個々人の問題意識から解決の方策を導き出す。そのためのツールとして外国語教育や情報リテラシー教育を重視し、広大な領域の学問が一堂に会した場で自由に研究してゆく。

SFCが設立当初に打ち出したこの教育コンセプトは斬新で、当時の大学関係者に衝撃を与えたという。その後もSFCは大学教育改革の第一線を走る「実験キャンパス」として、カリキュラムを改定し続けてきた。しかし既存の学部にないその特徴は中から見てもわかりにくく、捉えどころがない。
 そしてそのカリキュラムをうまく使い倒せるかどうかは、学生生活の充実度に大きく関わってくるだろう。これまでの連載でその存在が示唆された、「キャリア迷走型卒業生」は、どのような学生生活を送っていたのだろうか? 学生の目線から当事のSFCのカリキュラムを振り返りつつ、2007年のカリキュラム改定を巡る状況を整理していく。

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SFCのカリキュラムはサバイバル

SFCの教育の特徴はよく「問題発見解決型教育」と言い表される。既存の学部ではある学問体系を積み上げ式に学んでゆくが、SFCでは研究会(他学部のゼミに相当)を中心に、授業は学年配当制ではなく、当時クラスターと呼ばれた区分による誘導型の学習となる。卒業制作のテーマも教授から与えられるのでなく、自分で設定することが多い。
 高校生の立場からは、様々な分野の授業を自分の興味のままに履修し、研究に打ち込める魅力的な環境に見えるかもしれない。しかしSFCに入学すると、その自由な環境には重い責任を伴ってくることを痛感させられるだろう。どのようなものであったのか、ここでは学生視点から振り返ってみたい。SFCのカリキュラムは改定を繰り返しており、一括りにまとめるのが困難なため、ここでは2007年のカリキュラム改定直前の状況に即して振り返る。

SFCという環境で授業を選んでゆく難しさ

SFCの扱う研究の分野は非常に広く、学生は「経済」や「情報」といった専攻分野を決めずに入学できる。その上、他学部より必修科目が少なく自由に講義を選択できるので、学生は高度な主体性を要求される。「SFCにいけば何かやりたいことが見つかるかも」とSFCを選択した者にとっては、履修選択に苦労するだろう。この場合、学生の履修デザインを助ける制度面での支援が重要になってくるが、これが万全ではなかった。
 制度面の支援の一つとして、毎年春学期にSFCで行われている研究をオムニバス形式に紹介する「SFC総合講座」という授業があったが、多様な研究分野を13コマ程度で紹介し尽くすのは難しい。
 次に「アドバイザリーグループ(以下アドグル)」である。これは数十名の学生に対して一人の教員が授業選択のアドバイザーとしてつく制度。学生は入学時点で自動的に1つのアドグルに割り当てられる。春学期の「アドバイザリーグループミーティング」で担当教員と上級生と顔をあわせることになっているが、担当教員によっては「4年間で一度も教授がミーティングに来なかった」というようにミーティングが形骸化してしまっている場合もあった。
 また、毎学期の始めにある「学習相談期間」において、学習指導教員と面談をすることもできるが、期間は数日間に限られている。
 事務室も大学生活の相談窓口として重要な役割を果たすが、研究に対するアドバイスは守備範囲外である。2007年のカリキュラム改定について特集を組んだ学内広報誌の『KEIO SFC REVIEW』no.32-33には、カリキュラム改定以前の状況として事務室職員のこんな声が載っている。

「事務室の窓口には、どの授業を取ったらいいかなどを相談しに来る学生もいます。私たちはカリキュラムの仕組みや、卒業要件は説明できます。けれど、私たちには研究内容に関するアドバイスはできません。だから、学習や研究の中身を中心にして考えた時に、学生に対するもう少し手厚いフォローが必要ではないかと感じていました」

最後にカリキュラム外の話になるが、学生生活においては、上級生の実生活に即した履修アドバイスが何よりも役に立ったりするものである。その意味で、入学時点でのサークル選びもその後の学生生活に影響してくると言える。しかしSFCは扱う分野も多岐にわたるため、自分が相談したい分野について詳しい先輩がサークルにいないことも多々ある。

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自分の軸とする分野を定めた後の死闘

上記の環境を乗り越え、「自分はこれをやりたい!」という研究の分野が見つかったとしても、そこで安心することはできない。SFCには大量の授業が用意されており、また学年配当制ではなく、前提科目を要する授業も少なかったため、学生生活の初期から非常に多くの履修の選択肢があるからだ。
 その中でどの科目を選べばよいかわからず、初回授業の印象や学生からの評判で履修を決める学生が非常に多く存在していた。そのため特定の授業に学生が集中し、履修制限が行われてしまう。初回授業で希望者に選抜用紙を書かせて選抜したり、抽選で履修者を制限するというものである。
 この履修制限で涙を飲む学生も多く、「取りたい科目があるのに、4年間履修制限で履修することができず納得いかない」という学生の声があった。教授と直接交渉して履修を勝ち取る学生もいたが、全員がそうした方法で希望通りの履修ができる環境ではなかった。

たどり着いたクラスター科目の崩壊

厳しい競争を勝ち抜き、自分なりに順序だてた授業を履修できたとしても、思わぬ落とし穴が待っていた。クラスター科目の形骸化である。当時のSFCの授業は汎用科目・専門科目・クラスター科目という区分があり、クラスター科目が一番専門性の高い内容を教えるものとなっているはずだった。
 しかし「履修制限もあるし、上級生になった際に自分が希望するクラスター科目が取れるとも限らない」という考えから、1-2年次からクラスター科目を積極的に履修する学生も多かった。クラスター科目を16単位取得することが卒業条件になっていたので、この考えを責めることもできないが、結果としてクラスター科目に集まる学生のレベルがばらばらになり、授業の質を落とさざるを得なかった。前述の『KEIO SFC REVIEW』no.32-33において、事務室職員はこのようにも語っている。

「そもそもクラスター科目は、汎用科目や専門科目を履修した後に取る専門性の高い授業として設定されていました。ですから、基礎的な汎用科目はたくさんの人が履修して、専門、クラスターと上がるにつれて履修する人数が少なくなっていくはずです。それなのに、クラスター科目の履修者が400人だったりしたのです。おそらく、卒業要件の専門科目16単位、クラスター科目16単位を始めに取ってしまおうと、多くの学生が考えたからでしょうね」

学生によっては危険なSFCのカリキュラム

こうした事情から、2007年当事のSFC生の多くが迷子になってしまう状況があったとされている。『KEIO SFC REVIEW』no.27において、当時のカリキュラム委員会委員長はこう述べる。

「現在のカリキュラムが、学習目標の曖昧な学生にとって危険であることは事実です。現状では多くの学生が迷子になっています。残りの少数の学生を育てるだけではダメだという意見もあれば、少数の逸材が育てばよいという極論もある」

また、第3回記事で取り上げた佐藤氏の論文において、当時のカリキュラム特命委員はこのように語っていた。

教員:「お前らもうちょっと頭使えよってね、メッセージを少なくとも僕は込めたかったし。学生にはもっとSFCを使い倒してほしいんだよね。もったいない」
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当時の状況を振り返ると、高度な自律性を求めるカリキュラムを使いこなせないまま迷子になってしまう学生の存在が、大学の意図に反して見えてくる。
 もっとも主体性の無い学生が学生生活を迷走させてしまうのは、どこの学部でも同じこと。経済学部においてはゼミ選考に漏れるとゼミに入ることも出来なくなってしまう。また、「数学にしても多くの分野があるため、ただ漫然と学生生活を過ごしてしまい、研究分野を絞りきれずに専門性を深められないまま修了してしまう学生もいる。」(京都大学理学部卒・同理学研究科修了)という声も聞かれた。
 ただSFCのカリキュラムは、入学後に軸となる分野を決め、軸に沿った授業を履修し、そこで専門性を深めていくという過程で他学部に無い厳しさを持った危険なものであったといえるだろう。
 後編では2007年のカリキュラム改定を取り上げ、引き続きカリキュラムの考察を行ってゆく。