11日、快晴のマンハッタン、ハドソン川からの強風が吹きつける中、ワールドトレードセンター跡地、通称グラウンドゼロを訪れた。一年前の今日もこんな天候だったのだろう。亡くなられた犠牲者のことを思うと胸が潰れる思いがする。当日、グラウンドゼロ周辺は、追悼のために遺族や観光客が世界各国から大勢訪れていた。現場近くのトリニティー教会では終日、慰霊のミサが行われた。


世界貿易センター跡地世界貿易センター跡地
 ワールドトレードセンター跡地周辺は厳戒態勢が敷かれていた。当日、警備にあたっていた警察官はニューヨークの市警の警察官だけではなく、ボストンやサンフランシスコ市警の警察官もおり、アメリカ中から警察官が応援に駆けつけてきたという。
世界貿易センター跡地世界貿易センター跡地
 1機目の飛行機がワールドトレードセンタービルの北棟に突入した午前8時46分に1分間の黙祷が犠牲者に捧げられた。トリニティー教会では鐘をならし、犠牲者を追悼した。黙祷に続いて、現時点で身元が判明している2801名の犠牲者全ての名前がジュリアーニ前NY市長や俳優のロバート・デニーロ氏らによって読み上げられた。ワールドトレードセンターの南棟が崩壊した午前10時半頃には、町中の教会が一斉に鐘を鳴らした。犠牲者の名前を読み上げるのに2 時間半以上かかりセレモニーは11時半頃に終了した。当日は筆者が滞在したニュージャージー州とマンハッタンを結ぶ連絡船も飛行機がビルに突入した時刻に合わせて運航を一時的に中断し、犠牲者に哀悼の意を表した。

世界貿易センター跡地

その一方で、マンハッタンでは普段と何ら変わらない人々の日々の営みも繰り広げられていた。犬を散歩に連れてセントラルパークを散歩している人、ジョギングに汗を流す人。1年前のあの時から、時が経過しているということを改めて実感した。11日付けのUSA TODAY紙のアンケートによれば、1年前に比べると「家族の誰かがテロに遭うかどうか心配か?」という質問に「とても心配している」と答えた人は約半数になっている。「アメリカ人のテロに対する考え方は変わったが、行動は変わっていない」と同紙はこのアンケートの結果をしめくくっている。この悲劇を忘れないためにも、この1周年の式典の持つ意味は大きい。ワールドトレードセンターのビルの向かいにあるビルの窓枠から垂れ下がった、"We never forget"と書かれた垂れ幕が印象的だった。この日の夜、CBS(日本では日本テレビ系列で放映された)では、ビル内部から撮影された映像が約2時間に渡り放映された。事件から一年経った日にこの映像をみて、あの日の記憶が鮮明によみがえった人は多いだろう。
 厳戒態勢のニューヨークでは空港(ニューアーク空港)の手荷物検査も厳重に行われていた。筆者がアメリカに持ちこんだ、ラップトップコンピューターは、中に何かしかけがないかどうか、赤外線の検査機に何度もかけられ検査が行われた。飛行機でニューヨークを発つ際に、離陸後30分間はアメリカ連邦航空局の勧告により席を立つことができなかった。もし席を立ったら、緊急着陸の措置をとる場合もあるという。今回のニューヨーク滞在はテロの影響の大きさを改めて実感した。