少なからず存在するというキャリア迷走型のSFC卒業生。どのような人たちが何に悩んでいるのだろうか。また、彼らに対するアドバイスはないだろうか。今回は東京大学大学院教育学研究科でSFC卒業生に対する調査を行った佐藤真衣さん(05年環卒)に話を伺った。

佐藤真衣さん

キャリア迷走型の卒業生とは?

-キャリア迷走型の卒業生の特徴について伺いたいのですが、どのような卒業生の事を指すのでしょうか?
 SFCを卒業後、就職した職場にうまく適応できずに転職を考えているものの、その次に何がしたいかわからないという人達です。とりあえず今から逃げたい人のことですね。調査を行った2008年の時点で、卒業5年以内の卒業生の中に見られました。
 一方で卒業後10年以上経過したキャリア迷走型の卒業生は見当たりませんでしたので、これは覚悟を決めるまでの過渡期と見ることもできます。また迷走型の卒業生も、やめたいとは言いつつ実際にはやめていない卒業生がほとんどだったので、何か糸口を見つければ自分なりにキャリアと向き会ってゆくのではないでしょうか。
-論文からは、キャリア迷走型の卒業生が生まれる背景に、学部時代におけるカリキュラム運用の不備があるように読み取れましたが。
 私も調査をはじめる時点ではそのように考えていましたが、厳密にいうとカリキュラム運用の不備がそのまま迷走につながるということではありませんでした。「カリキュラムが運用できていなかった」というのは、迷走型の卒業生が事後的に説明していることで、たとえば卒業後のキャリアが順調な人にも、敢えていろんな分野の講義をつまみぐいしていた例があったりするわけです。
 私の考えは、学生時代のカリキュラムの運用があって今の職業生活の満足度があるというものではなく、カリキュラム運用がまず就職活動のやりやすさに影響して、そこから職業生活の満足度につながってくるという図式です。
-就職活動ですか。カリキュラム運用がどのように就職活動に影響して来るのでしょうか。
 自己アピールの点で、難しいところがあると思います。面接で学生生活について話す際には、どのようなことを学んできたかということや、サークルや体育会でこんなことしました、と課外活動について説明することになります。就職活動はたった3-4回の面接で内定が決まってしまうので、わかりやすい自己アピールが求められますが、そうした場面で学習の軌跡を筋道立てて説明できず「勉強は、つまみぐいでなんとなく」というアピールでは「で、結局何したの?」という話になってしまうのも無理はないように思えます。
 また面接官が10-20歳位年上だった場合、「総合政策」や「環境情報」といった四文字学部の人間が、自分の学生時代に即して理解することのできない異次元の人々に見えてしまうこともないとは言えません。そうすると更にアピールのハードルは上がってしまうのです。カリキュラムの運用に軸があるかどうかは、就職活動がうまくいくかどうかは別にしても、説明しやすさには影響してきます。
-なるほど、うまく就職活動ができるかということは、その後の社会人生活にも影響してきそうですね。
-しかしカリキュラムの運用が間接的に卒業後のキャリアに影響するという話になりますと、カリキュラム外の学生生活を充実させて、そのまま卒業後のキャリアも順調な方はどのように見ればいいのでしょうか?
-例えばSFC体育会に所属して、そこで学んだ組織の論理を生かして就職した企業組織にうまく適応する人もいると思います。また、CLIP編集部は以前歌手の一青窈さんにインタビューしたことがあるのですが(参照1)、学生時代のエピソードはアカペラサークルの活動や、ストリートライブの話題など、ほぼカリキュラム外の活動で占められているんです。福田和也研究会で言葉の修練を積んだところもあると思いますが、カリキュラム外の活動が現在のあの方のキャリアの原点であるように思えます。

わかります。卒業後のキャリアというのはそもそも大変に個別的な問題ですし、様々な人がいて簡単に類型化できないところもSFCの特徴だと思うので、類型化することでどうしても矛盾は出てきてしまいます。
 ただこの論文での出発点は、一般企業に就職した卒業生の職業生活の如何から大学の教育成果を測ろうとする、メディアのSFCバッシング(参照2)です。また、組織的・制度的にも、大学は本来、職業人養成機関という役割があります。大学の教育効果といえば、一般的に課外ではなく、大学内での学習を問題にします。そういった意味で、独特のキャリアを積んでいる卒業生が多いことも事実なのですが、その人たちはカリキュラムの組み立てと言う側面からキャリアを論じる対象ではないと判断しています。

迷子の学生がキャリア迷走型卒業生になる!?

-論文の中では迷子の学生という、カリキュラムをうまく運用できない学生の存在が示唆されていましたが、迷子の学生とはどのような人たちを指すのでしょうか?
 「何を履修すればよいかわからなくなってしまった」学生のことです。ひとまず色々な分野を眺めてみたものの、「どれも面白そうだけども、どれを続けていいのかわからない」、「デザイン言語なるものをやってみたけど、なんかこれも違う」といった状態でしょうか。
-非常によくわかります(笑)
 しかし入学時点では誰もが多かれ少なかれ迷子の状態だと思うのですが、そこから自分の分野を見つける人と、迷子のままの学生にはどのような違いがあるのでしょうか?
 これは仮説ですが、第一の分かれ目に、入学時点が挙げられるのかなと思っています。SFCには最初からやりたいことを定めて入学する人も多いのですが、その一方でやりたいことが見つからないものの、「SFCに入って色々な学問に触れてみたらきっと何かが見つかるはずだ」と思って入学した人も相当数存在するのではないかと思います。

佐藤真衣さん

もちろん中には、意図して多様な学問に触れてみようという狙いの人もいるのですが、それほどはっきりした目的のない人は要注意です。私が行った調査でも、高校時代から森平研究室や冨田研究室を志望していたような、学習の軸を決めて入学していた人も確認できましたが、そうではなく、「いろいろやってみてから決めようと思った」タイプの人に、その後迷いが生じたケースが散見されました。仮説に過ぎませんが。
 一方、「第一の分かれ目」と言ったのは、入学時点には明確な学習計画を持たなくても、将来、仕事をしている姿をイメージしてある程度分野を徐々に絞った、という意見も聞かれたためです。私の調査の限りでは、そうした人たちは迷子にはなっていないようでした。
-確かに、最初からやるべき分野を定めて入学する伝統的な学部に比べて、SFCでは早い段階に自分の軸とする分野を定めないと、専門性を深める時間がどんどんなくなってしまいますね。
 惹きつけるじゃないですか。18歳くらいの若者にとって、SFCの扱う分野の広さを見せられ「君の可能性を狭める事はないよ」と言われれば、「今やりたいと思っていることが、1年後、2年後変わるかもしれない」と方向転換が出来そうなSFCを選ぶことが妥当なように思えてきます。そうした人が実際に入学して、将来の幅をもたせようとしていろいろつまみ食いをしてみた結果、どれもちょっと好きだけどちょっと嫌いという、迷子の状態に陥ってしまうのかなと考えています。

SFC生や卒業生へのメッセージ

-これからキャリアを形成していく、SFC生や卒業生に対して、なにかメッセージをお願いします。
 キャリア迷走型の卒業生は「ここではないどこかに、何か自分のやるべきことがあるはずだ」と考える人が多かったのですが、卒業後10年以上の卒業生の話からは、迷いつつも悩みから逃げなければ自然と道が開かれたという教訓も得られました。桃源郷を目指すのではなく、今の取り組みを続けていけばそれがひとつ専門性になっていくのではないかと思います。
 また、2007年度に新しくなったカリキュラムによって、専門性の構築がなされやすい形になったかと思います。この方針は、SFCが理想とする「自律性を持って、学生が自ら問題発見解決能力を育む場」からの乖離があるようにも思えるのですが、学生が迷走しないための処方箋としては至極妥当な線だと見受けられます。卒業後の社会が求める力は、非常におぼろげなものですが、実は、おぼろげなものは、何かを1つでもかちっと続けることで生まれてくるのかも、しれないですね。
 このような、曖昧模糊とした個人に要求される能力が、実は「専門性」を介して獲得できるのではないか、という指摘は、他の研究者からも聞かれるところです。『「ニート」って言うな!』で脚光を浴びた教育社会学者・本田由紀は、その著書『多元化する「能力」と日本社会-ハイパー・メリトクラシー化のなかで』で次のように述べています。

 やれ「生きる力」だ、「人間力だ」、「創造性」だ、「コミュニケーション能力」だ、と、過剰な価値的意味を引きずった言葉を生産し続けることは不毛である。そのうわずった社会のあり方をクールダウンするための方策として、「専門性」という、より輪郭の明確な立脚点を打ち出すことを本書は提案する。(前掲書P.207)

未来からの留学生が、未来を創造する近道は、案外、古くて新しい「専門性」なのか…SFC卒業生の活躍に、その答えを見つけたいものですね。

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