「日本研究概論」対談 土屋教授、加茂・清水准教授に聞く【第1回】
SFCでは今学期、「日本研究概論1」という授業が開講されました。多様な分野の先生が登壇し、「日本」というひとつの大きな切り口で講義が行われました。新コラム「SFCジパング」は、そんなSFCの日本研究を追います。
第1回は、講義担当者の土屋大洋政策・メディア研究科教授、加茂具樹総合政策学部准教授、清水唯一朗総合政策学部准教授(以下、敬称略)3名の対談企画です。
日本研究概論1を終えて
加茂先生と土屋先生は、研究対象が直接「日本」と言うわけではないですよね。今回、日本研究概論1で、ご自身の研究分野と、日本を関連づけてお話するなかで、お考えになったことを教えてください。
加茂具樹総合政策学部准教授
専門分野:現代中国政治、比較政治、東アジア国際関係
加茂:
まず、僕たちがやる日本研究というのは、「日本についての研究」というだけではないんです。「日本の研究」のほかに、日本という場所で共同研究をおこなうという意味での「日本で研究」、先端的な研究をおこなっている研究者との共同研究をおこなうという意味での「日本と研究」という複数の概念を総括したものです。だから、誤解を恐れずに言えば、日本研究というものの中に、何か確固たる具体的な学問大系があるわけではありません。自分の研究を、日本と関連づけて話すと、どのように見えるのかということを、皆さんにお見せする場というのが、日本研究概論という授業だったわけです。
僕は中国を研究していますが、僕という日本人が中国を研究しているので、日本という視点は常に持っています。日本人が中国をどう見るのか、どのように見るべきなのか、という問題意識は常にあります。だから、この日本研究概論という授業で話すのは、そこまで違和感はありませんでした。
この講義で私は、「日本人が中国をどう見てきたのか」ということを過去にさかのぼって見ていくということを話しましたが、これは自分でも、講義で話すために整理して、体系的に考えたことがありませんでした。だからこの授業で話をすることは、自分自身も未経験という意味ではチャレンジだったと思いますね。
土屋大洋政策・メディア研究科教授
専門分野:国際関係論、情報社会論、公共政策論
土屋:
国際関係を見る時に、日本人の研究者が日本を忘れて研究するのは当然不可能なわけです。海外の研究者たちと話をすると、「日本はどうなってるんだ」と聞かれます。その質問に答えるためにも、自分たちの国についての知識は当然必要です。だから、日本研究はやらなくちゃいけないな、と思っていました。
一方で、清水先生は日本政治外交史がご専門ですよね。この日本研究概論1に取り組むにあたって、どのようなことをお考えになりましたか。
清水唯一朗総合政策学部准教授
専門分野:日本政治外交史、オーラル・ヒストリー
清水:
今回の日本研究概論という授業は、SFCにとってのチャレンジだと思っています。
まず、SFC全体を「日本研究」でくくってみようというのが1つ目のチャレンジです。これまで、SFCは専門を横断する、コラボレーションするキャンパスと言われていました。しかし、それぞれの先生が有名になり、忙しくなっています。その結果、お互いの研究の話を先生同士で交わさない状態になっているのではないでしょうか。IT分野やまちおこしの分野だとコラボが行われている事例もあるけど、特に政策系は少ないと感じていました。そういう問題意識から、政策系にかぎらず、SFC全体をくくって、コラボできるものって無いのかなと探したときに、「日本研究」を考え出しました。
2つ目のチャレンジは、学生に「かけ算」をしてもらおうということです。SFCでは、先生たちは自分の専門のことやっているけど、学生はいろんな専門分野をかけ算をして新しいことを生み出せます。今回の日本研究概論では、登壇する先生を僕が選ばせてもらったのですが、このかけ算の部分を意識しました。
海外における「日本研究」の現在
ありがとうございます。それでは、現状での日本研究のありかた、そしてこの「日本研究概論」に取り組む経緯について、お話しいただければと思います。
土屋:
海外のいろいろな場面で話をすると感じるのですが、もう日本研究をしている人が多くないんですよ。だから、日本そのものがあまり話題にならないのです。
かつては、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(米社会学者エズラ・F・ヴォーゲル著・1979年)とか、黒船みたいなランドマーキングな研究っていっぱいあったでしょ。そういう日本を論じたものが出てくると、割と日本人は喜んで読んで、俺たちはこういう位置づけなんだ、と一喜一憂していました。一方で、日本からの発信っていうのがそんなに無かったんですよね。
これは清水先生に聞きたいのですが、旧世代の日本研究者の人たちって、日本研究をしながら日本の中に籠っていましたよね。日本研究の人たちっていまだにそういう風で良いと思っているのか、もう変わりつつあるのか、どっちなんですか?
清水:
変わってきていますね。例えば、2018年は明治維新から150年なんですけど、ちょうど150年前くらいから、世界中で、とくに先進国で革命が起こり始めた。イギリスでもフランスでも起こったし、日本でも起こり、そして中国でも起こった。連鎖していくように起こったそれらの革命を、全部比較して議論しようという見方が出てきています。そういう比較の視点に立ったシンポジウムも増えてきたんですね。ですけど、そのシンポジウムに参加する中で僕たちが直面したのですが、明治維新のような基礎的なことも知られていないですよ。なんでMeiji Restorationというのか、言葉は知っているんだけど、なんでRevolutionじゃないのか知らない。そこから説明しないと駄目な状態であることがわかってきました。
新たな「日本研究」発信の必要性
清水:
僕たちはジャパン・アズ・ナンバーワンの時代の感覚のままでいたから、皆だいたい日本のことをわかってくれているというイメージを持っていたんですよね。でも、今は日本の影響力が落ちていくにつれて、翻訳されなくなってきているし、読まれなくもなっている。
今、その現状に気づき始めた研究者が頑張ってそうした仕事を始めています。変化の徴候は現れてきています。
土屋:
大学院生と『ジャパン・アズ・ナンバーワン』や『菊と刀』(米文化人類学者ルース・ベネディクト著・1946年)を読んだけれども、いやもう古いでしょ、という内容が多いんです。他にも、中国で読まれている戴季陶の『日本論』(1927年)というものがあるんだけど、現代の我々にとっては違和感がある。
その日本論を、中国人の留学生は日本に来る前に、皆読んでいるわけですよ。そんな古い本を読んで来た中国人留学生に、「実際に日本に来てみて、どう思う?」と聞いたら、「全然(日本論で知った日本と)違うんですけど」とやっぱり言うわけですよ。
このギャップは、僕たちがどんどん新しいものを海外に発信していって、埋めなきゃいけないでしょう。
加茂:
皆それぞれ、日本研究の取組みに関心を持ったきっかけは違うと思うんです。でも、共通しているのは、海外に行って日本を説明するときに、説明が出来ないフラストレーションを感じたことなんですよ。それを改善しなきゃいけないという問題意識は、みんな共通で持っていると思います。
日本人として自分の国のことを外国人に説明することができるでしょうか? 日本人として、SFC生として改めて考えなければならないテーマです。SFCジパングは、次回も引き続き加茂先生、土屋先生、清水先生の対談をお届けします!