【番外編その1】ワシントン大学の教員が語る、米国での日本研究
現在、米国ワシントン大学で語学留学をしている元SFC CLIP編集部員、藤田夏輝(12年9月総卒)が、日本に関する研究をしている教員2名にインタビューを行い、私たちが日本から発信すべき日本研究について考えていく。
ワシントン大学(University of Washington)は、米国ワシントン州シアトルにある州立大学だ。設置は1868年で、米国北西部では最大の規模を誇る。医学系、図書館情報学系、公共政策学系に強く、常に米国や世界の大学ランキング上位に名を連ねる。また、慶應義塾大学とは包括協定締結校である。
ここでの日本研究の歴史は古く、多くの米国の大学は戦後から日本研究を開始したのに対し、ワシントン大学では戦前から取り組んでいる。
またワシントン大学では、米国における日本研究の学術誌『The Journal of Japanese Studies』を発行しており、現在も日本を研究している教授が多い。日本語や伝統文化はもちろんのこと、現代アートや批評、政治学や国際関係論、科学技術、沖縄やブラジルにおける「日本語文学」など、「日本」に関わる様々な研究がなされている。
今回は、そんなワシントン大学で日本研究をしている、Davinder Bhowmik Associate Professor、Justin Jesty Assistant Professor(以下、ボーミック准教授、ジェスティ助教授)の2人に、現在行われている研究と、日本研究について日本の学者に期待する事をインタビューした。
沖縄文学を研究する、ボーミック准教授
ボーミック准教授は、日本文学、特に目取真俊(めどるましゅん・1960-)や崎山多美(さきやまたみ・1954-)といった沖縄文学の研究をしている。沖縄文学以外では、村上龍(むらかみりゅう・1952-)や池澤夏樹(いけざわなつき・1945-)などの著書の翻訳に取り組む。今学期は、朝日新聞で4月20日(日)から100年ぶりに再連載が始まった『こころ』(夏目漱石・1914年)を題材にした講義を開講している。
「日本と言っても東京だけじゃない」
— なぜワシントン大学で沖縄文学を研究しているのですか?
日本を理解するためには、東京以外の地方のことも知らなくてはならないと考えるからです。多くの場合、日本の文化や歴史といった学術的なものは、東京を中心に発信されます。しかし、日本全国には様々な文化があり、東京はそのうちの一つでしかありません。また、今までは地方に焦点を当てた研究が米国であまり行われていませんでした。そのため、日本を論じる際は、東京という先入観に常にとらわれている状況でした。
ワシントン大学が発行する『The Journal of Japanese Studies』 には、毎号約30本の論文が掲載されています。現在は3つが沖縄に関する研究です。米軍基地問題に関する議論の活発化や沖縄返還40周年(2012年5月15日)という要因もあると思います。
米国西海岸は、古くから日本人の移民が多いことに加えて、漫画やアニメなどのポップカルチャーも人気があるので、日本研究には幅広い需要があります。日本文化理解のためには、東京以外の地域のことをもっとよく知らなくてはいけません。そこに私の研究の意義があると思います。
文学好きが高じて、大学教授に
— 日本・沖縄文学を研究し始めたきっかけを教えてください。
私は幼い頃から文学が好きだったので、ワシントン大学の学部生時代は英文学と日本文学を専攻していました。元々私は沖縄で生まれたので、日本に縁がありましたが、実際に日本文学を研究し始めたきっかけは、単位習得のために履修した講義で興味を持ったからです。
その後の院生時代は、日本文学を研究対象にしていました。しかし、森鴎外(もりおうがい・1862-1922)や夏目漱石(なつめそうせき・1867-1916)といった主流な著者以外は米国であまり扱われていなかったので、長崎原爆の被爆を取り上げた林京子(はやしきょうこ・1930年-)や、沖縄文学の目取真俊を具体的な研究対象として取り上げることにしました。
米国の研究者「日本の現代批評が必要」
— 日本の学者が英語で日本研究に関する発表するとしたら、どのようなものを期待しますか?
日本の批評をわかりやすくまとめたものがあると良いですね。批評は、日本人が取る行動の根底を解説しているのでとても重要です。現状の問題として、例えば、米国の大手新聞では日本のことが頻繁に紹介されますが、特殊なサブカルチャーに焦点を合わせがちで、日本についてとても奇妙な印象を米国人に与えています。もちろん、文芸評論家である加藤典洋(かとうのりひろ・1948年-)の米紙ニューヨーク・タイムズでの論説のように、真っ当なものもありますし、SFCの小熊英二総合政策学部教授(おぐまえいじ・1962-)はこちらでも人気の社会学者です。しかしながら、英語で手に入る文献はまだまだ少ないというのが現状です。
お互いの文化を理解する上で最も求められることは、日本の学生・学者が日米間を行き来することだと思います。ワシントン大学では、神戸大学、早稲田大学、日本大学などから大学院生や教授を招いていますし、私も沖縄研究の一環で法政大学の沖縄文化研究所に行ったことがあります。
もちろん、日本から来て米国の大学の講義を正式に受講するには、英語の試験を通過しなくてはなりませんし、太平洋を挟むという地理的な問題もあります。しかし、もし米国の大学に来るチャンスがある場合は、私を含めて日本研究をしている人を訪ねてもらえれば嬉しいです。
日本の現代芸術を研究する、ジェスティ助教授
米国では今まで注目されてこなかった日本の戦後文化
— なぜワシントン大学で日本の現代芸術を研究しているのですか?
多くの米国の学者は1960年代に集中して研究をしています。米国で最も権威ある歴史の学術誌『American Historical Review』でも、50年代から60年代にかけては、日本を含めて国際社会の中での転換期だという見解が出ています。第二次世界大戦後の世界や冷戦構造という枠組みが出来上がってくる時期だからです。正直に言えば、日本の戦後文化史について、米国ではあまり注意深い研究はなされていません。あくまで、文化的にリードしているのは欧米だという認識が当然のようにあるからです。
もちろん、戦後の日本にも国際的に評価されている人がたくさんいます。映画界で言えば、大島渚(おおしまなぎさ・1932-2013)、篠田正浩(しのだまさひろ・1931-)、吉田喜重(よしだよししげ・1933年-)といった監督です。そこで、私は戦後の現代日本についてきちんと研究してみようと思いました。
日本研究のきっかけは、大学の講義
— 日本の現代芸術を研究しようと考えたきっかけは何でしょうか?
オーバリン大学(Oberlin College・オハイオ州)に通っていたとき、安部公房(あべこうぼう・1923-1993)、大江健三郎(おおえけんざぶろう・1935-)、村上龍といった日本の現代文学を扱う講義に出ていたのがきっかけです。英訳された著書を読みながら、週末には日本文化について友人と語り合っていました。講義自体を履修した理由は、日本文学が好きだからというよりも、面白い教授が担当していたからです。彼に出会ったのは4年生の時で、言ってしまえば偶然です。それまではヨーロッパ哲学を専攻していました。
日米間の障壁「日本の学問体系がわからない」
— 日本の研究者が研究を海外に発信するとすれば、どんなものを期待しますか?
日本の学問のコンテクストをまとめたものが欲しいです。極めて細かいところを扱う分野について、なぜそれが重要なのかを解説されたものがほしいですね。権威化されている分野、特に文学では、とても細かい部分の研究が発表されますが、それを理解する程の専門家は海外にはなかなかいません。また、極めて国内志向が強く、海外への発信には消極的なので、海外の研究者がそういった学問領域には入って行きづらいということが起こります。
翻訳自体はそんなに大きなハードルではありません。しかし、研究の枠組みがわからなければ、手をつけるのが非常に難しいです。個々の研究がどのように繋がっていくのか、それぞれの意義は何なのかを明らかにしてほしいです。
— ボーミック准教授とジェスティ助教授、インタビューにお答えいただき、ありがとうございました。
余談ではあるが、日本のアニメの人気によって、日本研究に興味を持つ海外の学生は、日本人が思うよりも確実に多いだろうという話があった。しかし、多くの日本語学習者が大学から日本語を学び始めるので、言語の障壁が高い。そのため、研究をするにも日本の学問体系、特に権威体系がわからず、どこから手を着ければ良いかわからないために断念する人が多いという。日本研究をしている現地の大学院生は「もし仮に学問体系をまとめた日本研究の入門書のようなものを英語で読むことができれば、米国での日本研究の裾野を広げられるのではないか」と話している。