秋祭1日目の10日(土)、書籍や映画でヒットした「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」(著: 坪田信貴、発行: 株式会社KADOKAWA アスキー・メディアワークス)のモデルとなったことで知られる小林さやかさん(10年総卒)が母校SFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)で受験生向けのトークショーをおこなった。

SFC CLIP編集部はトークショー後、小林さんに独占インタビュー。その模様を数週間にわたってお伝えする。第1部では「ビリギャル」が慶應へ強い想いを持つようになるまでの経緯が明かされる。

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「まさかSFCで『ビリギャル』を語ることになるとは」

数多くの講演会をさまざまな場所で重ねてきた小林さん。しかし、秋祭ではいつもとは違う言葉でトークをはじめた。「まさか5年ぶりにこういう形でこのキャンパスに来るとは思いませんでした」と。

愛知県出身の小林さんは2006年にSFCの総合政策学部に入学し、2010年春に卒業した。キャンパスを訪れたのは5年ぶりで、「あのころはいまお話しているこの教壇とは反対側の椅子に座って授業を聞く方だったのに」と当時を懐かしんだ。

母校SFCで話す小林さやかさん(主催側より提供) 母校SFCで話す小林さやかさん(主催側より提供)

「自分のことはギャルではなく清楚系だと思っていた」

小林さんは1988年に愛知県名古屋市に生まれた。2000年に中学受験の末、名古屋市内の中高一貫校に入学。大学付属の女子校だった。「小学校のころの自分はとてもおとなしかった。自分をもっと明るいキャラクターに変えたいと思って、自分の知人が誰もいない学校に行きたかった」と中学受験を決意。

「別にいい大学・会社に行きたいとかはなかった」とも語る。そのせいか中学入学後1日目で勉強しなくなったという。さらに、中3の夏にソフトテニス部引退。中3のときにギャル風の子と仲良くなったことや両親の不和によって家に帰りづらくなったこともあり、その後ははじけたようにギャル道へ進んだ。髪も金髪に染めた。

「自身のことはあくまで清楚系だと思っていた」と小林さん。「いま振り返るとギャルと言われてもしかたがない」と苦笑するが、自身がギャルとして振舞っていたという認識は当時はなかったという。

学校を信頼できなくなり、塾へ

2003年、小林さんが中学3年生のときにある事件が起きた。喫煙を理由に小林さんの周囲の友人が芋づる式に無期停学になったのだ。このとき小林さんは、友人が自分の名前を挙げたと学校側に騙され、小林さん自身も吸っていた友人の名前を挙げるように強要されたという。友人関係を壊すような卑怯な手を使われたことに酷く傷ついたという。そうして学校を信頼できなくなり、このままエスカレーターで大学に上がりたくないと思うようになった。

小林さんの母・ああちゃんは、そんなときも小林さんの気持ちを尊重してくれたというが、同時に何かを見つけるきっかけをくれたのもこの母親だったという。母親の勧めでたまたま行った塾の面談で、後の恩師となる坪田信貴氏(「ビリギャル」著者)に出会った。

「絶対に慶應」という想い

坪田氏が指導する学習塾に通い始めた小林さんは、とにかく坪田氏と色んな話をすることにワクワクしたという。志望校を決める段階で、「東大はどう?」と坪田氏が言うと「興味ない」と答えたことに対し、「じゃあ慶應は?」と言われたとき、慶應にキラキラしたイメージを持っていた小林さんは「慶應なら行ってもいいかな」と答えたという。

坪田氏は「僕と話しておもしろいと思うのなら、なおさら慶應に行くべき。君の人生全体にプラスになる出会いがたくさんあるはずだから」と小林さんに言った。もっと広い世界を見たいと思っていた小林さんはこの言葉で火がつき、猛勉強が始まった。それは高2の夏のことだった。

受験勉強、基礎の基礎から積み重ねていく

坪田氏は小林さんにいきなり難しい問題は解かせなかった。受験レベルからははるかに離れた小4のドリルから始めさせたのだ。「受験レベルに達するまで相当時間がかかるけど、何十万人もの受験生を最後に抜かすのは君だから、僕を信じて」という坪田氏の言葉を小林さんは心から信じた。

その経験から、小林さんは「どうやったら勉強できるようになるのか教えてほしい」という中学校の講演会での質問に対し、「できるところまで戻ることが大切」と実際に答えたという。できないことをやっても嫌になる、できるところから始めて自身を持つのが大切だと強調する。

また、坪田氏は決して小林さんを頭ごなしに叱ることはなかった。「聖徳太子」を“太った女の子”だと考え「せいとくたこ」と小林さんが読んだとき、坪田氏は小林さんを叱ることなく「君のその発想は天才だね」と目を丸くして言ったのはよく知られている話だろう。このエピソードは映画版の予告編にも使われている。学校の教師を毛嫌いしていたが、「坪田先生はそういう学校の先生とは違い、自分のことをよく褒めてくれる人だった」と小林さんは当時を振り返る。

「慶應に行く」と公言 逃げ道を作らない

最近、Twitter(ツイッター)をはじめたという小林さん。Twitter上ではさまざまな質問が飛んでくる。受験勉強をしようと思っているが、お腹が空いたり眠くなったりして集中できながどうすればいいかという質問を受けることもあった。そのような質問に対して小林さんは、「まだ余裕があるからお腹が空くし、眠くなる。自分には余裕がなかったので受験勉強中にそういう経験がなくうまくアドバイスができなかった」と語る。だからこそ、小林さんは「自分の志望校を公言して、自身を追い込むことが大事」というアドバイスをよくするという。

高校時代、思ったことをすぐ口に出す癖があったという小林さん。坪田氏の助言もあり、高校などで「私は慶應に行く」と公言してきたそうだ。結果的に小林さんは慶應合格を成し遂げるしかなくなり、自分を追い込むことができた。

小林さんは講演会などで学生に夢が何か質問することがある。しかし、失敗したときに恥ずかしいから友人に聞かれたくないと言って答えない人も多いという。「それじゃダメなんですよね」と小林さん。夢を公言し、言ったからにはやるしかないという気持ちになってほしいと訴える。

さらに小林さんは自身の慶應への思いを高めてより自分を追い込もうとするために、毎日使う勉強机の前に「慶應」という文字を貼った。目標を明確化し、自分に刷り込み、慶應合格という目標に少しでも近づこうとしたのだ。

次回、小林さんの受験勉強への原動力にせまる

このような経緯で「ビリギャル」こと小林さんは慶應合格への執念とともに必死に受験勉強し続けた。1日15時間勉強することも普通だったというから驚きだ。第2部では小林さんと両親の関わりと受験勉強への原動力について取り上げる。

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