SFCでは、2014年度から14学則と呼ばれる新カリキュラムが導入された。SFC CLIP編集部では、昨年の秋学期から「14学則特集」と銘打ち、アンケート、教員インタビュー、学生・教員・学事による座談会など、さまざまな方法で14学則に対してアプローチをしてきた。この14学則特集は、14学則が適用されている間は続けられるべきだが、予定としてはひと段落がついたので、この特集の企画者として雑多な「まとめ」のような文章を書いてみようと思う。この特集を企画し、取材していくなかで、私が考えたことについてだ。

私が、この特集のなかで考えてきたことは、SFCを、そしてカリキュラムを「手段」として考え直したいということだった。昨年度より施行された14学則に対する多くの人の意見は、先輩から「07学則との差異」として語られる進級要件の違いやそれに対する不満といったものばかりであった。たしかに、今学期はじめにDS1とDS2が同時履修可能に変更されたように、はっきりいって「事故」っているデータサイエンス科目や、導入直後でなかなか留学や休学の促進という目的を果たせていないように思える4学期制など、まだ整備不足の部分は多い。

ただ、そうした目の前の不具合の問題からは一度距離をとり、SFCとカリキュラムについてもう少し長い射程で考える言葉はほとんどないように思えた。SFCの広報誌「KEIO SFC REVIEW」で組まれた「新カリキュラム特集」ぐらいである。

カリキュラムの新陳代謝? 学則の歴史

SFCのカリキュラムの歴史を一言でいうと「必修強化と自由化の行ったり来たり」だ。数年おきにカリキュラム(学則)を変更し、まさに「実験キャンパス」として既存の大学の枠組みからは逸脱し続ける。そこに自主的な学生を取り込み、既存の「学問」や「常識」に囚われず、実践を通して問題解決を試みる。SFCが開設以来ずっと研究会を重視しているのは、確固とした目的をもった学生が「自分の手で」研究会を選び、それを中心に自分で計画を立てていくというモデルを理想としているからだ。よく使われる「未来からの留学生」とは、まさにこのような学生を指している。

しかし、実際に入学する学生はそんな「理想の学生」ばかりではない。実際のSFCの在学生の多くは「楽単」の沼にはまり、特に大きな志をもって入学したわけでもなく、意識が高い学生ばかりではないのである。そんなことは大学側もわかっていて、現にAO入試よりも一般入試の学生を多くとっているし、一般的な学生に「異質な学生」を混ぜることでコミュニティを活性化させ、「SFCだからこそ開花した」というような学生を増やしていくのがSFCの一貫した現実的な方向性だ。

そうした学生の質・運営におけるマネジメントといった現実的なカリキュラムが「必修強化」の流れだ。2001年に改訂され、SFC Ver.2と呼ばれた「01学則」は、「普通の大学になろう」とした試みの一つだった。このように、SFCは「理想」と「現実」を行ったり来たりしている。この流れを振り返ると、必修科目が少なかった07学則は「理想」で、言語・データサイエンス・情報などの科目が両学部ともに必修である14学則は「現実」だ。

「実験キャンパス」であるがゆえに数年おきにカリキュラムを変更するのがSFCの特徴だが、これは本当に「実験キャンパス」といえるのだろうか。「実験キャンパス」のわりには「現実」と「理想」を行き来しているだけで大差はない。「自然言語と人工言語」「研究会」「実践重視」といった中心的なものは特に変わっていないし、必修科目の量を基本的には動かしているだけ。14学則における「アスペクト」や01学則における「クラスタ」といった新しい枠組みはほとんどその場限りで破綻している。

「変わること」が当たり前。それ自体でいいことにはなっていないか。しかも、この場合の「変化」は前述したようにあまり大きくはない。また、過去には4年間以上適用されていない学則も少なくないのだが、これでは在学する4年間を一つのカリキュラムで勉強する学年はほとんどないため、しっかりとした「効果検証」を見込めない。カリキュラムを変更する折にはしっかりとした「ビジョン」とその後の「効果検証」が必要になってくる。

14学則における両学部必修化に疑問を感じた人も多いだろう。入試科目も入学後のコースもほとんど大差のない両学部が必修科目さえも一緒にしてしまっていいのだろうか、「総合」と「環境」の二つの学部が存在する意味はあるのだろうか、と。この出来事について、07学則と14学則のカリキュラム作成に大きく関わった内藤泰宏環境情報学部准教授は以下のように述べている。

 内藤: SFCの教員内で、「総合と環境が双子の学部である」ということは了解されているのですが、双子だけど「同じ」なのか、双子だけど「違う」のかということについては、意見はばらついています。僕は個人的に違うと思っています。・・・本質的に分かれている両学部を、カリキュラムも分けて違いを出す必要はありません。カリキュラムを変えたから変わるというのは非常に薄っぺらいと思いますし。・・・白と黒を混ぜて、みんなで灰色になろうと謳っているわけではなく、白い場所も黒色や灰色の場所もあっていい。混じりようがない二つのものが衝突し続けているのが良いんですよ。 SFCは文理融合という一つのゴールを目指しているわけではなく、常に新しい領域を開拓し続けていくのが使命だから、一つの学部にしてはいけないんじゃないでしょうか。  【14学則特集】座談会 「研究会/アスペクト」 クラス制 両学部の必修同一化 14学則の特徴【第2部】(https://sfcclip.net/column2015040301/)より。

私見では、こうした視点にこそなぜSFCに「総合政策」と「環境情報」の二つの学部が存在するのかを考えるためのヒントがあるように思える。内藤准教授が述べているのは、「必須科目」程度のものが違うだけで「総合」と「環境」の軸はぶれないということだ。そして、混じりようがない二つのものが衝突し続けるダイナミズムによって、新しい領域を切り開くというSFCの使命を果たすことができる。

単純な文理融合ではなく、「いま・ここにはない/存在しない」ものを生み出すためには二つの学部が衝突し続けるような構図が必要であり、ここにこそSFCが「未来からの留学生」を育てるための根幹があるのではないかと私は思っている。

25歳のSFC

今年で25歳になったSFC。開設当初の華々しさや、その若さゆえの期待とエネルギーは影を潜め「もはや普通の大学になった」と一部メディアから言われるようになって久しい。重要なのは、「開設当初はよかった」などといった安易なノスタルジーに陥らない姿勢である。SFCがこれから思春期・青年期を経て成年期を迎えるにあたり、どう年をとっていくのか。未来を切り開くよりも過去を懐かしむ「大人」になってしまうのか。それとも、これからも「次世紀の芽」を蒔き続けることができるのか。 

少なくとも、私は後者であってほしいと思う。私も一人のSFC生として、具体的にはこの「SFC CLIP」というメディアも使いながら、SFCがこれからどう歳をとっていくべきかについて考え、そして「いま・ここにはない」価値を生みだしていきたいと思う。

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