外国語教育や外国語との関わり方について考える「Languages」。今回はインドネシア語特集。マレー・インドネシア語研究室の小笠原健二総合政策学部非常勤講師に話を聞いた。1万3000を超える島々があるインドネシアでは、島ごとに生態系や文化、言語が隔絶されており、それぞれが独自の発展の過程をたどってきた。インドネシアの多様性をもたらした要因とは何か。第1部ではその背景にせまる。

地理的要因がもたらしたインドネシアの「多様性」

—— インドネシアの生態系や言語、文化の多様性をもたらした要因は何でしょうか?

決定的な要因はおそらく、何十億年もの長い地球の歴史のなかで、プレートが重なりあって大地に深いシワを刻み、島と島が激しい海流で隔てられるような地域がつくられたということですよね。例えばバリ島は、その激しい海流のおかげでサーフィンが盛んだし。そうした環境が所与のものとしてあるんですよ。そこにウォレス(英生物学者、1823-1913年)という、進化論でダーウィンと双璧をなすような人がやってきて、バリ島のとなりに線を引くんですよ。ウォレス線(生物分布境界線)というのを。それくらいインドネシアには生態系や文化の断絶があるのです。

植民地支配によって残った「王国のシステム」

—— 17世紀にオランダがインドネシアを植民地支配するまでは、各地域バラバラで全く別々の文化があったのですか?

そうですね。それぞれの地域・島に、それぞれ支配権が確立していたところに、ルネッサンス、近代、産業革命を経たオランダが入ってきて、植民地(オランダ領東インド)にしました。もともと、それぞれの島には王国があって、そこにオランダがやってくるんです。それで産業革命遂行に必要な土地と労働力を支配しようとする。でも、西洋人がそんなに大人数では来られないので、少人数で支配するしかないわけです。
 少人数で支配するとき、君だったらどうしますか?

—— 私だったら、まずは現地のどこかの王国を仲間にしますね。

ね、そういうことです。つまり、もとからあるものを利用しちゃうんですよ。だから、当時、の王制がそのまま残ったのです。オランダはそのシステムを使って、支配を貫徹させようとするので、もとからある王国が確立したシステムを使っていきました。もし、オランダが進出していなければ、ひょっとしたら、この地域はバラバラに歴史をたどって、モザイクのような独特な社会ができあがっていたかもしれません。でも現実は、皮肉にもオランダが支配したためにまとまったというわけです。

古いものをそのまま引き継いだ社会

1942年、太平洋戦争のとき、今度はオランダが旧日本軍の侵攻によって追い出されるんですよ。続けて1945年、旧日本軍も負けて出ていく。すると、またオランダが「警察行動」と称して2回にわたり侵攻し植民地支配を復活させようとします。しかし最終的には、国連安保理がオランダを非難する決議を採択することで停戦合意が促される。その結果、ようやく1950年には単一国家としての完全に独立した現在のインドネシア共和国ができました。
 インドネシア初代大統領(1945-1967年)のスカルノ(1901-1970年)はどうやって支配したと思いますか? オランダの旧支配地域を引き継いだとき、どうやって管理しますか?

—— 共通の言語でしょうか?

半分正解です。実は、オランダが使っていたシステムをそっくり引き継ぐんですよ。だから、スカルノの時代も王制が残る。王制が残るということは、王制を支える人間関係、さらにはその人間関係を支える人々のエートスも残ることになります。王様と民の心を結び付けるエートスが残るということです。インドネシアは、心と心で結び付く社会です。王様と民は、直接的な1対1のなかに人間関係をつくりあげるのです。このシステムをオランダもスカルノも使って、今日まで来ました。だから、例えばバリ島にはバリ島の王制とこれを支えるエートスがあって、王様がまだ何人かいます。ジャワ島の古都ジョグジャカルタやスラカルタでも同様です。そして、その王様たちを庶民は敬愛していくわけです。ですから、大前提として、言葉もそうですが、古いものをそのまま引き継いでいる社会なのです。それがインドネシア社会の基本構造だと思います。

インドネシア語による「多様性の中の統一」へ

—— 言語の統一はどのように進んだのでしょうか?

バラバラだった島々がオランダの植民地支配によってまとまり、その社会システムがそのまま残りました。しかし、言葉だけが各地域でバラバラだったんです。言葉がまとまっていなければ、どうしようもありません。教育もできませんし、独立国家として政治的にも問題になります。そこで、インドネシア語という共通語が必要になりました。
 ちなみに、当時のオランダはインドネシア語を推奨しませんでした。まとまってしまったら支配の妨げになりますよね。だから、エリートだけにオランダ語教育をするなどしていました。それに対して、旧日本軍はオランダに抵抗するためにインドネシア語をやらせるんですよ。それで一気にインドネシア語の普及率が高まりました。そして独立後、正式な国語としてインドネシア語が整備されるわけです。

インドネシアの国章「ガルーダ・パンチャシラ」。国の標語である「BHINNEKA TUNGGAL IKA」は、古ジャワ語で「多様性の中の統一」という意味である。 インドネシアの国章「ガルーダ・パンチャシラ」。国の標語である「BHINNEKA TUNGGAL IKA」は、古ジャワ語で「多様性の中の統一」という意味である。

「世界一簡単な言語」とも称されるインドネシア語。いったい、インドネシア語はどのような言語であるのだろうか。その背景とは何か。次回、第2部ではインドネシア語が簡単である「理由」に迫る。

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