「SFCらしさ」を再発見し、激変する社会におけるSFCの役割を見出す「復刻! CLIP Agora」。今回は、2010年に『やぎの冒険』で長編映画デビューを果たした映画監督・仲村颯悟さん(環2)に話を聞いた。現在、5年ぶりの長編2作目『人魚に会える日。』の公開に向けて活躍中。後編では、その映画『人魚に会える日。』に焦点を当てる。大学生スタッフのみでの制作、沖縄の若者が抱く葛藤、そして基地問題。映画にかける思いや込められたメッセージに迫る。

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仲村颯悟(なかむら・りゅうご)

1996年沖縄県生まれ。小学生のころからホームビデオカメラを手に、数多くの作品を制作。13歳のころに手がけた自身初の長編デビュー映画『やぎの冒険』(2010年)が国内外の映画祭に次々と招待されたほか、沖縄県内で大ヒットし、ビートたけしや塚本晋也監督からも絶賛された。

現在、慶應義塾⼤学環境情報学部に在学。5年ぶりの⻑編2作目となる『人魚に会える日。』の公開に向けて活動中。クラウドファンディングも実施している。

5年ぶりの長編制作へ 仲村さんを突き動かしたものとは

—— もう一度映画を撮ろうと思ったのはなぜですか?

自分の中では沖縄でやり残したことはないと思い、関東の大学に進学しました。ただ、関東の大学に来て気づいたことがあります。沖縄の人はみんなわかるけど関東の人にはわからないものがあるんだな、と。具体的に衝撃が走ったのは慰霊の日(6月23日)です。沖縄戦が事実上終戦した日で、この日は学校も休みになります。テレビでは一日中ずっと沖縄戦の話題が流れます。

慰霊の日の週は、「平和ってなんだろう」と考えるのが沖縄です。慰霊の日の前後は、学校でも戦争について考える時間が設けられます。でも、関東では違いました。今年は戦後70年なのでいろんなメディアで取り上げられていましたが、昨年は「慰霊の日」にはほとんど触れられていませんでした。衝撃的でした。だからこそちゃんと沖縄の思いを伝えなくちゃいけないと思ったのです。

スタッフは大学生だけ 沖縄を出てきた大学生に共通する思い

沖縄から上京した大学生スタッフで最初に集まったとき、沖縄と関東のギャップや慰霊の日のエピソードなど、みんなが同じように感じていることに気づきました。沖縄出身の大学生の間で共通する思いがある。その思いを仲間だけで一つの作品に込めたい、と考えて『人魚に会える日。』を撮りました。本当に「伝えたい」という気持ちで撮ったので、強すぎるほどのメッセージが込められています。

—— 強いメッセージ性を持たせるために、自費制作や大学生だけという部分にこだわったのですね。

そうなんです。当初は『人魚に会える日。』に出資してくれるという会社もありました。だけど大人が関わってしまったら、『やぎの冒険』のとき(前編参照)のように、また違う捉え方をされてしまいそうだと思いました。今回は『やぎの冒険』以上に、シビアに沖縄でいま起こっている問題を映画の中に入れています。そこに大人が絡んでしまうと政治色の強い映画になってしまうかもしれない。それが嫌だったんです。だから大学生だけで全部やって、純粋に大学生の思いだけで撮ったんだよっていうのを見せることにしました。初めてのことばかりで正直大変でしたが、当初の出資を断ったことも、大人を入れなかったことも、一切後悔していません。『人魚に会える日。』は大人を入れなかったからこそ生まれた映像だと思っています。

賛成・反対に分けられない「葛藤」をそのまま映画に

—— 『人魚に会える日。』はどんな映画ですか?

どんな映画なんでしょう。ジャンルがごちゃごちゃしているので、説明しづらいんですよ。報道では辺野古、基地問題をテーマにした映画だと言っていますが、実際の内容はまさにファンタジー、フィクションのお話なんです。架空の街の、架空のお話。そのなかに基地問題も入ってくるけど、全体的には「なにか物事を押し進めるとき、どこかで犠牲になっている人がいる、ものがある」ということを伝える映画になっています。

そして、もう一つ込められている僕たちの思いがあります。普天間基地移設問題の話になると、すぐ賛成派と反対派の2つに分けたがる傾向がありますよね。でも、実際に沖縄に住んでいる人としてはどっちの意見もわかるし、どっちの意見もわからない部分があるんです。だから、みんなちゃんと考えているけど結論は出ないという状況に陥っています。この映画の中には、「自分たちではどうすることもできない」という葛藤もそのまま込めました。メディアは賛成や反対に分けたがるけれど、実際は分けられないようないろんな思いが沖縄の若者にはある。見た人が共感して、より多くの人がこの問題について考えてくれたらいいな、と思っています。

【人魚に会える日。(2016年)】ストーリー: 沖縄の高校生ユメは、生まれた頃から近所に立ち並ぶ米軍基地を、当たり前のように感じていた。基地の建設で県民の意見が賛成・反対に二分されていることを知っていても、ユメにとって大きな問題ではなかった。同級生の結介が姿を消すまでは…。美しい海が基地建設によって奪われることをひどく気に病み、突然姿を消してしまった結介。結介を探すべく、ユメは基地建設の計画が進む村を訪れる。その村では古くから、海や山など、自然界の神の許しを乞いながら生活していた。基地はつくるべきなのか。基地にまつわる争いが終わるときは来るのか。村人の思い、姿を消した結介の思い、神の思い。ユメは突然突きつけられた沢山の思いを前に、ひとつの答えを見つける。(http://www.ningyoniaeruhi.com/) 【人魚に会える日。(2016年)】ストーリー: 沖縄の高校生ユメは、生まれた頃から近所に立ち並ぶ米軍基地を、当たり前のように感じていた。基地の建設で県民の意見が賛成・反対に二分されていることを知っていても、ユメにとって大きな問題ではなかった。同級生の結介が姿を消すまでは…。美しい海が基地建設によって奪われることをひどく気に病み、突然姿を消してしまった結介。結介を探すべく、ユメは基地建設の計画が進む村を訪れる。その村では古くから、海や山など、自然界の神の許しを乞いながら生活していた。基地はつくるべきなのか。基地にまつわる争いが終わるときは来るのか。村人の思い、姿を消した結介の思い、神の思い。ユメは突然突きつけられた沢山の思いを前に、ひとつの答えを見つける。(http://www.ningyoniaeruhi.com/)

青い海も、基地も、アメリカ人の友だちも “当たり前”

—— 『やぎの冒険』の中にも基地が出てきますよね。沖縄を題材にすると自然と基地のことが入る、という感覚なのでしょうか。

沖縄の日常では、基地は当たり前のもの、普通に存在するものなんです。『やぎの冒険』のときも、大人のスタッフには基地の話を入れるのはやめようと言われました。でも、大人がそうやって取り外してできあがったものが、今までの沖縄映画なんじゃないかと思います。せっかく僕のような沖縄の人が撮る映画なので、沖縄の日常から見せたくないものを取り除かず、“いつもの沖縄”の風景として『やぎの冒険』にも基地の話を入れました。

—— “当たり前”という感覚が気になります。仲村さんにとっては生まれたときからあるわけですよね。沖縄の人にとって、基地はどんな存在なのでしょうか。

難しいですね。世代や立場によって違います。戦争を体験したおじいちゃんおばあちゃんは、基地は絶対ない方がいいと言います。自分たちの敵だったアメリカ人がいまだに沖縄にいることに納得できないし、その人たちがいろんな事件・事故を起こすこともおじいちゃんおばあちゃんにとっては苦しいこと以外のなにものでもない。40代くらいの人はアメリカの統治下を経験していて、アメリカ人と遊んでもらったことがありつつも、アメリカの法律だからとアメリカ人が大変な犯罪を起こしていた時期を知っています。だからやっぱりアメリカに対して少し嫌な部分はあるみたいです。それが大人です。

一方で、生まれたときから基地がある僕たちの世代も、またいろんな思いを抱えています。沖縄戦でアメリカが敵だったのはわかるけど、それ以上に普通にアメリカ人の子どもがいて、友だちで、一緒に遊んで。アメリカ人による事件・事故も起こるけど、みんなが悪い人じゃないことをよくわかっているんです。ヘリの墜落とか、基地がとなりにあることで危険があることもわかっているけど、基地があるからお金をもらって暮らしている人たちもいる。人によって違うし、いろんな思いを抱えています。複雑…ですね。

基地がなくなれば本当に平和なのかどうかは、基地がない沖縄を見たことがないからなんとも言えません。みんなわからないのです。ただ、そのわからない思いや基地があること、事件・事故があること、アメリカ人と遊んだりするってこと、全部含めて日常の沖縄。それはちゃんと伝えようと思っています。みんなが反対しているわけでもみんなが賛成しているわけでもないことは、自分たちが伝えないとダメなんです。

「基地の話」は政治的ではない―日常生活に入り込む基地

—— ひしひしと伝わってきます。沖縄の人同士で基地問題を話すこともあるんですか?

話しますね。『人魚に会える日。』でも高校生が基地について話しているシーンがあります。それを見た関東の大人には「え、あんな政治的な話をするの?」と言われました。でも、高校生も普通に基地の話はしていて、それを政治的な話とは誰も捉えていません。学生生活をしている上で、「基地のゲート前での反対運動で道が渋滞していて遅刻しました」ということも日常的にあります。

普天間基地のとなりに住んでいる人にとって飛行機の音がうるさいのもわかるし、授業が中断されることもありました。だけど、ハーフの子がクラスに1人はいるのも当たり前なんですよね。もし基地がない方がいいって言ったら、その子の存在はどうなっちゃうんだろうって。その子の存在自体を否定する、ではないけど、基地がなかったら生まれていない友だちもいるんです。さまざまな思いがみんなの中にはあります。ただ、マスコミを通すとそういう思いに色がつけられてしまう。友だち同士で話はするけど、主張みたいなことはしませんでした。

—— タブーな話になったりはしないんですね。

しないです。大人はタブーにしますよね。『人魚に会える日。』も基地問題がテーマだと話すとそれだけで協賛できないと言われることもありました。映画の内容以前に、基地がテーマというだけで沖縄の大人たちが一歩下がってしまうんです。それで今回は協賛が全く集まらなくて。協賛が集まらないと公開資金もないので、最終手段のクラウドファンディングに行き着きました。自分たちの世代は基地に対してタブーな印象はない。けれど、沖縄の大人たちは基地=政治になっちゃうので、あまり話したがらないのです。

すべてがゼロからのスタート

—— 『人魚に会える日。』を撮っているときに一番苦労したことはなんですか?

大学生スタッフばかりだったことが大変でした。みんな映画サークルに入っていたわけでもなく、沖縄から関東に来て普通に大学生をしていた人が集まったので、ゼロからのスタートでした。音声もカメラもプロはいなかったので最初は戸惑いましたし、キャストは県内でプロとして活躍している役者にお願いするこだわりがあったので、プロの役者さんと素人のスタッフのバランスをとることにも気を遣いました。

—— うれしかったエピソードはありましたか?

多くの人が協力してくれたことがうれしかったです。機材は沖縄の制作会社からお借りしたのですが、安く、ときには無料で貸してくれました。『やぎの冒険』のときはスタッフ全員が「仕事」でしたが、今回は自主制作なのでスタッフが全員ボランティアでした。ボランティアにも関わらず一つの映画を完成させるために一丸となって頑張ってくれるのがうれしくて。一生懸命やってくれている姿に感謝の気持ちがあふれてきました。だから、僕には責任がある。自分で動かなきゃこの映画を広められないし、みんなに協力してもらったからこその使命感も感じています。自分の足で動いて、一人でも多くの人に映画の存在を知ってもらい、見てもらわないといけない。そう思っています。

「大学生に見てほしい」沖縄の同世代がどう思っているのか

—— 最後にSFCの学生に向けてメッセージをお願いします。

ぜひ関東の大学生に見てほしいです。沖縄という遠く離れた場所で同世代が何を思っているのか、映画を見て感じてほしい。沖縄についてはいろんな報道がされていますが、それがすべてではありません。物語としても楽しめるものになっているので、いつもどおりに映画を見る感覚で、この映画が伝わってくれたらうれしいです。

加熱する基地移設問題で日々報道される「沖縄」。だが、それは問題の一部分を切り取ったものに過ぎない。沖縄県外に住んでいるとどうしてもわからない、複雑な現状や人々の思いが沖縄にはあります。どうしたらいいのか悩み、葛藤する等身大の沖縄の学生の思いがインタビューを通して伝わってきました。一人でも多くの人にこの映画が届き、自分なりに沖縄を考える機会になってほしいと思います。

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