2016年10月30日(日)-11月13日(日)の期間、奥田敦研究会によるアラブ人学生歓迎プログラム(ASP)が行われた。SFC CLIP編集部は、その一部日程において、潜入・密着取材を実施した。

アラブ人学生による出身国についてのプレゼンなどをリポートした「ようこそ日本へ! アラブ人学生歓迎プログラム ASP2016 潜入リポート【前編】」に続き、後編の今回は、11月11日(金)に行われた「日本語レポート発表会」をリポートする。

ASPではアラブ人学生たちが各自のテーマにそって調査・研究を行う。その最終発表の場がこの「日本語レポート発表会」だ。まさにアラブ人学生たちの2週間の成果の結晶である。

レポートの作成にあたっては、アラブ人学生と奥田研の学生が、なんと当日未明の朝4時までかけて完成させたのだという。奥田教授はレポート作成の様子を振り返り「アラブ人学生と奥田研が心血注いで、みんなで完成させたレポートです。味わって聴いていただければと思っております」と感慨深そうだ。

「内も外もきれいに」ハーリドさん

ゴミがあふれるシリアの街を変えたい

「シリアでは、家の中はきれいですが、街にはゴミがあふれています」そう切り出すのは、シリアと日本における「清潔観」を比較する調査を行ったハーリドさんだ。ハーリドさんは来日後日本の道端にゴミがほとんど落ちていないことに感激し、その理由を知りたくなったという。

家がきれいなシリアと街がきれいな日本

ハーリドさんは調査を進めるうちに、日本では一般的に街がきれいである一方、家の中が散らかっている傾向があることに気がついた。家の中がきれいで街が散らかっているシリアとは対照的だ。

イスラームでは「清潔は信仰の一部」という教えがあり、身の回りを清潔に保つことが礼拝と同等に重要な宗教上の義務となっている。それに基づいてシリアでは家の中がきれいに保たれているそうだが、一方で街の美化は行政の義務であるという意識があり、人々は街が汚いことをどうしようもないこととして考えているという。街が汚いのは人々の無責任な行動によるものだが、多くの人はそれを行政の責任であると考えており、街の美化のために自ら行動を起こすことはしない。

シリア人と日本人が忘れている「美化の精神」

ハーリドさんは、日本の「書道の精神」にも清潔を保つ教えがあるとした。精神の統一を必要とする書道は、整頓された場所でなければ、気が散ってしまって取り組むことができない。つまり、シリア人も日本人も、きれいであることを理想とする「美化の精神」を持つという点で共通している。

しかし、シリア人と日本人は、共通して持つはずの「美化の精神」を忘れていると指摘。イスラームには他人を気にかける教えがあるが、自分勝手に道端にゴミを捨て、それを行政の責任にするシリア人も多い。シリア人はイスラームの教えを忘れ、日本人は書道の精神を忘れていることが、家や街を清潔に保てない原因ではないかと語った。

イスラームの教えを思い出せば大きな変化につながる

「シリアのアレッポの街は歴史上幾度となく存亡の危機にさらされてきましたが、その度に民衆たちの手で立ち直ってきました。民衆の一人ひとりがイスラームの教えを実践すれば、やがては他人に対する気遣いや思いやりを取り戻すことができます。一人ひとりがきれいな心を取り戻せば、自分の部屋や街もきれいになります。そしてなにより、みんなが仲直りして、戦争もすぐに終わってくれるだろうと信じています」とハーリドさんは訴えかけた。

「モロッコと日本における学生ボランティア」アスマーさん

日本・モロッコ両国の問題を解決するカギとなる学生ボランティア

モロッコと日本に共通するボランティアの必要性を指摘したのはアスマーさん。深刻な貧困問題の解消のために、他方、日本では、震災後のがれきや泥の撤去など、災害時の救援のためにボランティア活動が必要になる。「学生は若くて体力があるのでボランティアの担い手として最適です。しかし、両国とも学生によるボランティアは多くありません」と続けて指摘した。

ボランティアを取り巻く日本・モロッコ両国の問題

アスマーさんはモロッコにおけるボランティアについて「イスラームの聖典クルアーンに、困っている人を助ける教えがあります。しかし、モロッコには困っている人を探すためのしくみがありません」と、日本におけるボランティアについても「ボランティアに関心をもつ学生の割合が36%しかおらず、その割合の低さに驚きました。というのも、日本の学生は学業やアルバイトで忙しく、ボランティアに参加している時間がないのだといいます」と問題点を挙げた。

SNSが緊急時に「行動の連鎖」を起こすシステムとなる

しかし、アスマーさんは続けて「日本の学生が人助けに興味がないのかといえば、そうではありません。震災時はSNSにより現地の情報が伝わり、連鎖的なボランティア活動に多くの人々が参加したといいます。ボランティアへの意欲は日常的には見えませんが、災害などの緊急時にはボランティアに参加したいという気持ちを確かにもっているのだと、調査を通して知りました」と力説。「情報の共有によって多くの若者がボランティアに参加した日本の経験から学ぶことで、意欲があってもボランティアに参加できないモロッコの若者の現状を打開できるのではないか」と今後の展望を話した。アスマーさんは、帰国後も修士論文でこの問題について引き続き論じていく予定なのだという。

「仕事と人生 過労死から考える」アフマドさん

日本人の働き方、時間の使い方に興味

「モロッコ人の時間にルーズな生活が好きでない」と切り出すアフマドさんが考えるのは、日本とモロッコにおける労働問題だ。モロッコでは1日の労働時間が短く、労働の効率も悪いのだとか。アフマドさんは漫画『賭博黙示録カイジ』から、主人公の「社会に貢献できないなんて、俺はクズだ」というセリフを引用し、「日本人は時間を大切にしてひたすら仕事をするというイメージがあり、それはモロッコ人とは正反対で、あこがれていました」と続けた。

調べるにつれて浮上する「過労死」の問題

アフマドさんは来日後、奥田敦研究会の学生とディスカッションをするなかで「過労死」の問題について知ったという。日本人の仕事観を知るにつれて「どのような働き方がいちばん良いのか」という疑問が浮上したそうだ。そこでアフマドさんは、日本人の働き方と仕事に対する価値観を明らかにするために、授業の履修者を対象としたアンケート調査を行った。

授業内で行った調査の結果、「自身が将来過労死する危険性があると思う」という回答が全体の31%を占めた。この調査結果に対してアフマドさんは「10%以下になるだろうと思っていた」と驚いたという。「無理な労働でも断ってはいけないという無言の圧力がある」と指摘した。

仕事をしながら生きていくなかで欠かせない「大きな目標」と「小さな目標」

アフマドさんは「仕事をしながら生きていくなかで、『大きい目標』と『小さい目標』のそれぞれを持って仕事をしないと、生きていく上でどうすればいいか迷ってしまいます」と指摘。「モロッコ人はイスラームの教義による『楽園』に行くという目標がある一方、日本人は生きていく上での『大きな目標』を見失いがちです」と続ける。「目の前の仕事といった小さな目標だけを追いかけていると、いつしか暗闇に迷い込んでしまいます。『大きな目標』は、暗闇の中でも、進むべき道を照らす光になると思います」と締めくくった。

「ムスリム女性へのイメージとその変容」ハディージャさん

日本人学生の持つムスリム女性へのイメージが知りたい

「欧米圏では、ムスリム女性に対して否定的な固定観念を持つ人が多い」と切り出すのはハディージャさん。彼女は日本人が持つムスリム女性へのイメージに関心があり、もし日本人がムスリムに対して悪い固定観念を持っていたなら、その理由を分析し、悪いイメージを払拭するための方法を考えたかったという。

ハディージャさんは「イスラームとイスラーム圏」およびアラビア語の履修者を対象にアンケート調査を行った。ハディージャさん自身の日本語学習の経験から、アラビア語を学んで文化を知ることは、精神的な距離を縮めることにつながるという仮説を立て、授業を履修する前後の、ムスリム女性に対するイメージを比較することでこの仮説を検証する。

日本人学生が持つムスリム女性に対するイメージの変化

その結果、73%の学生が、授業を受ける前と受けた後でムスリム女性に対するイメージが変化したと回答した。

履修前の日本人学生によるムスリム女性へのイメージは、「宗教に拘束されている」「スカーフや服装が窮屈そう」「自由がない」「男性に抑圧されている」などといったネガティブなものが多かった。また、ほとんどの学生のイメージは「TVや新聞などのメディア」や「インターネット」など間接的に得た情報で形成されていた。

しかし、履修後にはネガティブな回答をした学生は少なくなり、「誇りを持っている」「自発的に信仰している」など肯定的な回答が多く見られた。その変化の理由に関しては、「イスラームやイスラーム圏に関する講義、言語の授業を受けて」「日本やイスラーム圏で実際にムスリムとふれあったこと」と回答した学生が多かった。

イスラームに関して学び始めて1年も経たないにも関わらず、学生たちがムスリム女性ひいてはイスラームに対して固定観念を持っていたことに気づき、そこから肯定的なイメージを持つように変わったことに、ハディージャさんは驚いた様子だった。ハディージャさんは、「SFCではイスラームを『教え』として学べる講義があり、アラビア語の授業に関しても言語教育とイスラームがセットで教えられている。そのため、単なる報道・事実のレベルにとどまらない『教え』としてのイスラームが、日本人学生にとって理解しやすい形で教えられている」と考察した。

一方で、「アラブ世界では、日本でのイスラーム教育とは寧ろ逆の事が起こっています」と指摘。「アラブ世界のイスラーム教育は、『これはしてもいい』「これはしてはいけない』といったイスラームの戒律に関する教育はしても、教えの本質は教えられず、形骸化しています」と続けた。

欧米の「フェミニズム」をムスリム女性は望まない

モロッコにおいても、欧米の権利団体によるフェミニズムの活動が盛んに紹介される。ハディージャさんは欧米のフェミニズムに関して「彼らが考えるムスリム女性の理想形は、スカーフを捨て、イスラームを捨てる女性、つまり西洋的な意味の自由を享受する女性ですが、モロッコのムスリム女性は、そのことを全く良く思っていない」と苦言を呈した。「女性だからという理由で教育を受けられなかったり、家庭内での発言権を持たなかったりする場合があります。それは土着の慣習によるものであり、イスラームによるものではありませんが、それがイスラームによるものであると勘違いされています」と語った。

私自身にも非ムスリムに対して偏見があったのかもしれない

「実は私は、心のどこかで、日本人はイスラームの教えやアッラーという存在を深いところでは理解できないのではないかと思っていました。今思うとそれは私の中にある固定観念だったのだと思います」と切り出したハディージャさん。「しかし、奥田先生がアッラーはムスリムのみならず全てを包み込んでいると説明してくださったとき、本当に驚きました。なぜなら、アラブのムスリムさえ初めて聞くようなとても新鮮なお話だったからです。そのとき私は、アッラーを今までで一番身近に感じることができ、涙が出そうでした。そして、私にも固定観念があったのだという事に気づきました。ムスリムでなければわからないと思っていた『アッサラーム』、平和という概念も、ムスリムでない人々とも共有できるし、お互い学び合うことができるのだと知りました」と、自身の発見を振り返った。

「知る」ことは「変わる」こと

アラブ人学生の発表が終わると、JICAからの来賓の先生5名と、総合政策学部でも教鞭を執っているアレッポ大学学術交流日本センターのアフマド・アルマンスール講師が登壇し、発表会への感想を述べた。

来賓の先生方 来賓の先生方

以前モロッコの都市・フェズでアスマーさんに日本語を教えていたことがあるという長谷川富貴子さんは、ハディージャさんの発表を踏まえて「『知る』ことは『変わる』ことだと、とても強く感じました」と感想を述べ、この経験が、双方の学生にとって大きな宝物になるとしたうえで、「友好の輪が広がっていくことを心から願っています」と、発表を終えたアラブ人学生と奥田研の学生にねぎらいの言葉をかけた。

イスラームやアラブに興味を持つ学生なら誰しも、イスラームについて適切に理解できるか、気づかぬうちに偏見の目で見てしまわないか、不安に思うことであろう。しかし、その対象について「知り」、まずは自分自身が「変わる」ことから、友好の輪を広げていく。そしてそれが相互理解につながっていくのだろうと、筆者は今回の取材を通して強く感じた。先行きの不透明な国際情勢の中で、ASPの交流活動がアラブ圏を取り巻く状況を少しでも改善する助けになることを、願ってやまない。

関連記事

関連ページ